NITE(独立行政法人製品評価技術基盤機構)での
ナイロンザイル検証試験について




-遅くなりましたがやっと掲載に漕ぎつけました。
ご覧いただければ幸いです-



―発端―

 平成26年1月8日:名古屋大学の企画展開催中に、名大教授獅山有邦先生(学術研究・産学官連携推進本部副本部長)よりお電話があり、海外、特に東南アジアの「消費生活用品安全法」の制定に向けて活動中であり、父の取り組みはその先駆けであるので、英文で講演や展示などの方法で、父の活動内容や研究資料を紹介したり、啓もう活動を計画されたいので、共に今後の「製品・安全」に関する講演、展示などで協力体制をとりたいとのご連絡ありました。その後16時前に獅山先生が名大博物館の展示会場に来館され、1月17日に菊池久氏(NITE:独立行政法人製品評価技術基盤機構の特命アドバイザ-)が来館されるとのことでした。
 父の資料などを調べた結果、菊池氏は以前、父が委託を受けて委員となった製品安全協会の委員西出徹雄氏(旧通産省生活産業局企画官)の代理で「S63年度登山用ロープ安全基準調査研究委員会」に出席され父とも懇意で、西出氏は獅山先生の恩師だと言うことが判りました。


1月17日午後:獅山先生と菊池氏ご来館。
    西田先生(名大博物館企画展主任)・堀田先生(名大文書資料室企画展主任)と共に面談

 
NITEは現在もザイル安全基準に基づく評価を実施し、併せてザイルの安全研究もしているので、展示中の五朗叔父遭難時のナイロンザイルの切り口を電子顕微鏡撮影で検査したいと名大に申し入れられましたが、それは大町山岳博物館の所蔵品なので、そちらに申し入れされるように西田先生が伝えられました。五朗叔父遭難時の装着腰ザイルは18日には井上文学館に移されることになっていましたので、ちょうどその時、代用品として私が自宅より持参していた当時のナイロンザイルの切れ端(約15cm)を菊池氏に撮影用としてお貸しいたしました。


1月21日:尾上昇氏から、ナイロンザイルについてのメ-ルを拝受

 1990年3月、当時日本山岳会東海支部長であられた尾上昇氏は、副支部長の中世古隆司氏と共に、会長・副会長を辞任なさいました。その理由は、石原國利氏と父に賛同して、篠田軍治の名誉会員反対のためでした。(下資料:東海支部報参照) 




左の東海支部報をクリックしてください。
尾上氏の「支部長13年間-その任を終えるにあたって-」の
名誉会員問題関係文書(P3の中より。前文はカット)と
中世古氏の「副支部長辞任の辞」をお読みいただけます。
尚、中世古氏の文に続いて掲載されていた1990年3月18日付中日新聞の転記の頁が、1頁しかなくて欠けていたため、当時の新聞を掲載いたしました。
 





 その後、篠田軍治日本山岳会名誉会員撤回への活動を支援してくださり続けた方で、2009年から昨年まで日本山岳会の会長を務められました。
 2006年、尾上氏が「ふわく山の会」でナイロンザイル事件の講演をされることになり、父に質問をされたいと来訪された時に、家に残されていた五朗叔父遭難時のナイロンザイルを、父が講演用としてお貸ししました。
 この日のメ-ルの内容は「名大での展示で、大町山岳博物館貯蔵の切れたザイルが展示されているが、返却されるとお聞きしましたので、私がお預かりしているザイルがお役に立てば返却したいと思います」と言うものでした。
 1954(昭和29)年12月初旬に父が購入したナイロンザイルは、当時山岳用品(主としてナイロン製品)販売業で中京山岳会副会長の父とも懇意であった熊沢友三郎氏から「保証付の新製品ザイル」として薦められて80m購入した物で、それを半分の40mで切って岩稜会の初登攀用として冬山合宿に持たせた物でした。
 1955(昭和30)年元旦、石原國利氏をリ-ダ-とする冬期前穂高岳東壁の初登攀に挑んだのは、澤田榮介氏と若山五朗叔父ですが、この時に初めてこの40mの8mmナイロンザイルを実際に使用した訳です。
 この切れたザイルの実際に使用した物は、現在、大町山岳博物館貯蔵の物しかありません。それは五朗叔父の遺体が発見された時に、しっかりと腰に巻かれていた物です。もちろん確保していた石原氏の方に残ったザイルもありますが、それは父の親友だった木下是雄氏(元学習院大学学長)に切れ口の検査と実験のためにお送りしたとのことです。
 残りの未使用の40mのザイルは、父の実験用として使用されて、名大に寄贈した2m程の物・前記の15cm程の切れ端・そして尾上氏にお貸しした物の3本が現存しているだけとなりました。そこで、是非お返しいただきたいとお返事をして、1月27日に送っていただきました。


1月24日:菊池氏、15cmのナイロンザイルを返却に来館

 菊池氏は、ザイル返却と共にマイクロスコ-プ(200倍)によるザイル切断面の撮影写真と赤外線吸収波形線図を持参されご説明くださいました。その結果、59年前のナイロンも現在の物も組成は同じ「ナイロン6」であることが判りました。現在でも欧州製も「ナイロン6」を使用しているそうです。


 左の赤外線吸収波形線図は菊池氏から頂いた物です。
 59年前の五朗叔父遭難時のナイロンザイルが<事故品>とされていて、赤色の波形がそれです。この試験は、大阪製品安全センタ-で測定されました。青色の波形は現在のナイロンザイルの物で、桐生市にある燃焼技術センタ-で測定されました。測定結果はほぼ同じであり、「ナイロン6」であることが判りました。
波形は見やすくするためにずらして印刷されています。




 右の写真(マイクロスコ-プによる)も菊池氏から頂いた物です。
 写真上はお貸ししたザイルの切断面で、下が新たにハサミで切断してから撮影したものです。どちらも同様の切断面になっていることから、家にあった15cmナイロンザイルの切れ端はハサミで切断したものだと推察されます。





















 左の写真は<事故品>の拡大写真です。
全ての切り口がキノコのように水玉状になっています。
これは現在のザイルも剪断後は同様の形状となっているとのことでした。



 菊池氏は、大町山岳博物館貯蔵のナイロンザイルの切断部分の撮影の許可を得られて、山岳博物館リニュ-アルオ-プン前の3月3日~10日の間にお借りして調査されるとの事でした。
 また、尾上氏からお返しいただくナイロンザイルがあると言うことをお話ししましたら「是非、そのザイルで剪断試験をさせていただきたい」と言われましたので、快諾いたしました。

 
1月30日(名大展示最終日):菊池氏来館

 菊池氏が尾上氏から返却のナイロンザイルを取りにいらっしゃいました。
 そのザイルは事前に測ったところ2m50cm有り、片側は父の実験により剪断されていました。
 菊池氏は「ザイルの長さが基準に達していませんが、可能であれば剪断試験をしたいと思います。よろしければ立ち合いをお願いします」とのことで、試験後は東京本部にある事故品の展示室や、桐生市にある燃焼センタ-などに切ったザイルと分析結果などのパネルを常設展示したいとお考えでした。


尾上氏から返却されたナイロンザイル

2月21日:群馬県桐生市にあるNITEの燃焼技術センタ-にて剪断試験
 
 上越新幹線高崎駅で相田さんと合流して、車に乗せていただいて、14時頃桐生市のNITE燃焼技術センタ-に到着。菊池さんが、玄関で待っていてくださいました。
 直ぐに会議室(?)に通されて、センタ-長の並木氏、主査の小林氏、技術補助職員川上氏のご紹介があり、4種類のパンフレットと「消費生活用製品安全法34年の歩み」「登山用ロ-プの安全試験」の2種の資料が手渡され、NITEについてざっと説明を受けました。
その後、登山用ロ-プ落下衝撃試験設備を詳しく見学させていただきました。
 NITEの登山用ロ-プの落下衝撃試験は、1975(昭和50)年から神戸繊維製品検査所に設置されて業務を開始されましたが、その建設にあたって父は何度も神戸に出向き指導したそうです。
 1995(平成7)年の阪神大震災で建物が傾き、試験ができなくなったため、急遽桐生支所に専用試験棟を建設して検定業務を移転されたそうです。
 そして、剪断試験の準備が始まりました。登山用ロ-プの剪断試験のロ-プの長さの規定は2m80cmと定められており、私から提供の2m50cmの物では足りないので、足りない分を最新のナイロンザイルを縛って補充しての試験でした。
 試験が始まる前に、NITEの理事の河本氏が、偶然視察にいらっしゃったとのことで、同席されました。


 
 ビデオがセットされて、荷重を既定の55kgにして、いよいよ試験の始まる前に、私が「切れるときにできるザイルの糸くずを回収できれば有難いです」とお願いして、落下地点にダンボ-ルを敷いていただき、剪断実験が始まりました。
 当然ですが、一瞬で終わりザイルはあっけなく切れ、その後ハラハラと落ちてきた糸くずも上手にダンボ-ルの上に落ちてくれました。次に同じくらいの太さの最新網ザイルの実験があり、これも切れて、父が以前していた実験と同様、網の部分が縮んで、芯になっているロ-プが出っ張った状態で切れていました。
 切ったナイロンザイルの切り口の両側と、糸くずは、電子顕微鏡での撮影と分析を受けて、4月初旬までには、両側が切れている物と、糸くずはお返し願えるとのことです。もう一方は、東京渋谷区にあるNITEスクエアと言う事故品の展示場で、パネルやポスタ-を作成して展示したいとのことですので、それが決定ならば寄贈したいと考えています。
 試験の後、また部屋に戻り、上記5名の方々が同席されて、ナイロンザイル事件について質問を受け、相田さんが熱弁をふるわれました。
 16時少し前に、私が声をかけてお開きとなりました。

 遠かったけれど、有意義な桐生行きでした。 

3月20日 15:00-16:00:菊池氏と名古屋駅で会見、ご報告を受ける

 菊池氏は、大町山岳博物館のナイロンザイル(3月3日に貸し出しを受けられ10日にお返しになった)と、この間、桐生で剪断試験されたナイロンザイル、桐生でのザイルで父が実験した側のザイル切り口、最新式8.2mmの編ザイルの、多数の電子顕微鏡写真とマイクロスコ-プ写真、粘弾性試験機・融点測定機を使っての測定結果を持参されての難しい話しに頭が三角になってしまいました。
 私に理解できたことだけを簡単に以下箇条書きにします。これは、今までに解析された部分までの話で、これからさらに詳しく解析されて、新発見につながることもあり得るとの事でした。

〇 ナイロンザイルの剪断破壊時のメカニズム:ファイバ-(一番細いナイロン繊維)の計測や写真撮影で、剪断する鋭角の角に触れる側から、剪断破壊・延性破壊・脆性破壊が起きている。
 1.    剪断破壊切れた面が溶けたように水玉(キノコのように)になる。これは剪断部分に応力が集中し衝撃エネルギ-が熱エネルギ-に変換したため、ナイロン6の融点225℃を越えたためと考えられる。
 2.    延性破壊延びて少し細くなった状態で切れる。先が紐のように細くなって出ている状態の物も見受けられる。
 3.   
脆性破壊繊維がサキイカのように縦に裂けてはがれながら切れる。

〇 山岳博物館のナイロンザイル(1とする)と、桐生で実験に立ち会った時のザイルで、父が実験に使用したと思われる方のザイル(2とする)の切り口は、ほぼ同じである。

〇 桐生で剪断試験したザイル(3とする)の切り口は、1,2とは少し違う。理由は、安全基準に使用されるザイルは、全て280cmに切り、55kgの荷重で試験されているので、3も同じ荷重で行われた。荷重をかけ過ぎたために、剪断が急激に起きたと思われる。

〇 1のザイルが切れたときは、五朗叔父の体重は64kgであったが、ズルズルとずり落ちるように落ちたので、初期の荷重は少なかったと思われるが、その少ない荷重の段階で切れたのではないか。

〇 2の父の実験では、8mmナイロンザイルは、15kgの荷重でも簡単に切れた、と言っているので、2の実験の時も荷重が少なかったと思われる。

 忘れていることがあると思いますが、大体以上のようなお話でした。いただいてきた資料は、まだ解析中のものなので、外部には出さないで欲しいということでしたので、ここには掲載いたしません。
 桐生で切ったナイロンザイルの父が実験した側のザイルを返却していただきました。長さが250cmしかなくて、既定の280cmに満たなかったので、他のザイルを結んで試験されましたが、その結んだザイルも付けたまま返してくださいました。
 菊池氏は、解析結果を判りやすく書いた小冊子やポスタ-を作成して14日から18日までの間に鈴鹿に持参してくださることになりました。


4月19日:菊池氏、鈴鹿市の石岡宅来訪

 お約束通り菊池氏が結果のまとめを持参して来訪されました。
難しい話なので、私一人でお聞きするのは心配で、岩稜会の澤田さんと相田さんにもご一緒していただきました。
 この時、菊池氏からいただいた資料に、相田さんと私が付記したものを掲載いたします。

上をクリックしてください。
全文がお読みいただけます。


6月19日:中部山岳国立公園指定80周年企画展「氷壁を越えて ナイロンザイル事件の真実と石岡繁雄の生涯」が上高地でプレ開催


 この日に向けて、菊池氏がナイロンザイルの検証結果ポスタ-を作成してくださいました。ポスタ-は3枚あり、超目玉の最新情報として展示されています。



7月24日: NITEの燃焼技術センタ-で、最新のナイロンザイルの剪断シ-ンを、新たに購入された1秒間に8000コマの撮影ができる超高速度カメラで撮影される

 後日、その映像をお送りくだり、この試験の結果、なんと!たったの0.07秒で切れることが判りました!!
          
    上のアイコンをクリックしてください。
 その映像がご覧いただけます。提供はもちろんNITEです。
 これは、このHPに掲載することだけを許可されたものですので、お持ち帰りはご遠慮ください。(9.15追記)


さて! 皆様!! このお話はこれで終わりではありません。
現在行われている名古屋大学主催の「あいちサイエンスフェスティバル」で10月3日にNITEが
製品事故の原因を探るサイエンス ―『氷壁』ザイル切断事故から最前線情報まで」のト-クショウを
午後6:30から名古屋テレビ塔スカイデッキで行われることになりました!

「石岡繁雄の志を伝える会」が始めた父の残した資料などの整理作業が功を奏して
今、父の志が大きく羽ばたこうとしています。
ご支援のほどよろしくお願い致します。

平成24年8月26日
石岡 あづみ記