その7:登山者の命を守るための闘いへの道

昭和30年9月20日~12月


 9月20日 父宛 石原國利氏からの手紙
 篠田教授の偽りの蒲郡公開実験について、当事者の國利氏と父は話合い篠田教授を告訴できるかどうか検討していた。この手紙はそれについての詳細を書いた物である。


 前略
 先日はいろいろとご馳走になりありがとうございました。
 早速、要件に移りますが、上京以来ザイルの告発のことに付いて友人に聞いてみたり、石田君からも研究室の知人に尋ねてもらってみましたところ、誰の返事も申し合わせたように、要するに我々の場合も、今後事故が起きた場合も、おそらく会社側が刑事責任を問われることはないのではないかと言うのです。つまり刑法にこの事件に該当する条文がどこにも見つからない以上は(刑法ではごく特殊な場合を除いては、準用の規定がないそうです)例え告発しても刑事事件として取り上げてくれないのではなかろうかと言うのです。そして、我々の場合も今後の場合も、その都度、民事訴訟事件として、損害賠償を請求する以外に手はないのではないかと言うのです。それも、我々の間では明白な証拠と信じられていることでも、それを客観的に証明することは困難なことが多いから(例えば、ザイルが切れたのが果たして岩角であったのか、糸屑が見つかったのも風で飛んで来て、そこにあったのではないか、といった風な疑問に対する客観的証明)、実際問題としては、損害賠償の請求が成り立つかどうかも裁判次第、つまりこちらの弁護士の腕次第だと言った甚だ冷淡な解釈です。
 この観察が法律の通用上的を得たものであるとすれば、これは我々としては全く怪しからぬことですが、一方会社側としても、あれだけの組織を持っているのですから、法律上の考察を尽くしていることは十分察せられますし、当然こういったことを充分計算の上で、ああいった風な一連の非人道的な方策を重ねてきたのかも知れません。
 今になって、見越の弁護士の方が言われた「要するにザイルが切れたと言う事だけで十分なのでしょう」と言う言葉が、問題を解決する実際上の手段としての核心をつかんだものではないかと思い当たるのです。
 刑事事件にするにしろ、民事事件にするにしろ、前準備として我々は、もっと第三者の、それも山岳関係以外の人の冷淡な(私たちにはそう感じられます)意見を聞く必要があるのではないでしょうか。
 しかし、結局法律上の解釈がどうなろうとも、我々としてはバッカスの言われたように、この問題はあくまでも日本の登山界の民主主義の正常なる発展のためにも、正義の立場に立って究明しなければならないと思います。それには、当座の方策として、東京製綱の欺瞞の実験に反駆するためには、我々の真意を伝える場として、岳人なり山渓なりに投稿して、我々の実験の結果を発表する必要があると思います。
 ナイロンザイルの弱さに関する一般の人々の無知は全く驚くべきものがあるようです。我々としては一刻も早くこれに対して啓発する必要があるのではないでしょうか。それにしても説得効果から考えても、権威ある第三者の(裁判を別として)研究結果を発表して欲しいものです。
 要領を得ない書き方を続けましたが、要するに裁判による白黒決定の方策を準備するのと並行して、緊急の要務として、ナイロンザイルの知識に関する啓発運動を起こす必要があると言いたかったのです。
 私たちは24日から約2週間学校は休みとなりますので、秋山の合宿前に一足先に上高地入りして、しばらく滝谷でも登ってみたいと考えています。バッカス、秋山の合宿はどうなさいますか。もし暇でしたら、合宿に参加していただけたら非常に有難いと思っております。
 では、家の皆様に宜しくお伝えください。
  9月20日  石原國利
 石岡様

 難局を向えた大変な時にも山に登ると言う國利氏の学生らしい発言を、仕事を持ちつつ、ナイロンザイル事件に立ち向かわなければならない父はどう思ったことだろう。

 同日 父宛 加藤富雄氏からの手紙
 加藤富雄氏は<その5>で記したように暁学園の教師で、メ-カ-側のデ-タを暴露してくださった方である。この手紙は氏の正義感の強さを物語るものである。

 
 もう秋の気配です。慌ただしい季節の移行は、私のような無為の日々を送っているものには、とりわけ身に染みます。
 先日、お心づくしのご歓待に、すっかり好い気になってしまって、誠に御迷惑をおかけ致しました。ありがとうございました。
 岩登りや登山一般についてのお考えや、ザイル抗力限界等の貴重なデ-タ…いろいろご教示をいただきましたが、今後、私自身の登山や、私の周囲の若い人々の登山に、大きく反映させていかなくてはならないと思っています。
 ナイロンザイルの性能、ことに、岩場に於けるその使用が、極めて危険な事態を招来する可能性が大きい事実は、声を大にして登山者に知らせるべきだと思います。
 残念にも、この事実は、明解な説明も与えられずに、黙殺されてしまいましたが、これっきりで黙ってしまうのは、私たちの取るべき態度ではないと思います。
 篠田先生も黙っていられるし、ことに関根氏のような著名人が、あのような無謀な放言をされている始末ですから、少々私たちに風当たりが強くなっても、この問題をウヤムヤにせずに、あらゆる機会をつくって、はっきり対決すべきだと思います。別に関根さん方のお世話で山に登らせていただいている訳ではありませんから、少々叱られても平気です。幸い、早稲田大学山岳部監督の近藤等氏を存じ上げていますから、氏を通じて関根氏に質問して、納得のいく返事をもらおうと思っています。又、山渓なり岳人なりに働きかける必要もあると思います。場合によっては、先生の資料等拝借させていただく必要が出来るかも知れませんが、その折は宜しくお願い致します。
 それから、これは誠に申し訳ないことですが、25日の五朗ちゃんのご法事には是非お参りさせていただくつもりでいましたところ、23日から新潟の方へ出張することになりましたので、それも出来なくなりました。正月以来、何にも五朗ちゃんにお報いすることが出来ず、心苦しくって、せめてご法事でも…と思っていましたのですが…なにとぞご容赦ください。
 23日の夜行で発ちますので、その前にお邪魔でなければ、ちょっと八事の家の方へお寄りさせていただこうと思っています。
 では、取り敢えずお礼方々お詫びまで。
石岡先生         加藤拝
 9月20日
 
 9月23日 父宛 澤田榮介氏からの手紙
 
 拝啓
 先日は大変お世話になり、長々とご無礼致しまして、本当にご迷惑だった事と存じます。どうかお許しください。
 さて、家に帰って早々連絡し、また整理にかかったのですが、思ったことの何も出来ず、つい御無沙汰致す次第となりまして、申し訳ございません。
○小生、入院中の病院宛の手紙、今井と探したのですが、大島氏・岩瀬先生・碓井氏の3通のみ関係分で、あと、金坂さんの手紙等は、バッカスがお見舞いに来ていただいた時に見せていただいたのみとの記憶でした。取り敢えず3通同封します。
(以前にも記したように、ナイロンザイル事件関係の手紙などは全て父の許に集められた)
○五朗ちゃんの身体検査表、学校でもらって来ましたのでお送りします。昨年の5月の状態ですから、7ヶ月前のものです。
○ザイル等の接写による撮影、今井に頼んでおいたのですが、都合が悪くてついつい延び延びとなりまして申し訳ありません。
○五朗ちゃんの三十五日(法要)参れませんと、申し訳ない次第です。どうかよろしくお伝えください。
○追悼出版の方は、第一回集合をやり、室・今井・岩佐・新井・澤田の5名を委員として、逐次進めつつありますが、如何なる程度の本で、内容を如何にするかは、先生と相談の後とし、取り敢えず行動状況と行動表、想い出等を集めています。
(この時点で、五朗叔父の追悼文集が作られる予定だったようだ。しかし、岩稜会として作られたと言うことは聞かない。たぶんナイロンザイル事件の追及の方が急務となり、頓挫してしまったのだと思われる。)
○金城大学の秋山合宿、社長より聞きましたが、三重大は12日より前期試験に入りますので、全然だめで、岩稜会も、先日お話ししました四峰正面の秋山合宿を是非遂行したく、それを参加せず金城の方に行く事は考えられませんので(國ちゃんのことはよく知りません。秋山10月1日~10月5日終わり後、残ることもあるかも知れません?)一応神戸の方はお断り願います。尚、三重大は20日に試験が終わりますので、それ以後ならば参加できると思います。
(父は昭和28年頃から、恩師の須賀太郎先生のご依頼で、金城学院大学の山岳部のコ-チをしていた。この部の山行きの時には、同行するか、岩稜会のメンバ-に頼んで同行してもらうかしていた。)
○ザイルテストの方はどうなったでしょうか。神戸に置いてある道具(ザイル・秤等)必要であれば至急連絡ください。
○告発の意は、職権を持っている者が行うものでありますから、我々側よりは、告訴と小生は考えますが?
○緩衝器、まだやってないのに憤慨しています。杉浦さん・社長からもくれぐれも早く仕上げるよう頼んでもらうことにしました。
○明日から国体予選に参加せねばならなくなりましたので参ります。本当に五朗ちゃんの三十五日お参りできず申し訳ありません。
 何かと非常にお忙しい事と存じます。どうかくれぐれもお身体大切に頑張って下さい。
 では、皆様に宜しく。
 9月23日  榮介拝
  9月29日 父宛 澤田榮介氏からの葉書

 前略
 ○東壁遭難救助に来ていただいた早大山岳部の方々は、次の4名です。
  鴫原啓佑(浦和市…)・日下田実(茨城県…)・寺谷昌恭(文京区…)・安藤英弥(杉並区…)
 ○今夏東壁調査の時の南山大山岳部員は中世古隆司他1名です。
 ○国体予選の結果、神戸高校・多度高・四日市工高・津工商の4校に決定しました。
 ○岩登り講習会の件、予選席上で申したところ、大賛成で大変喜んでいました。しかし10月23日は高校試験に入りますので、11月13日の日曜にしました。
 ○國ちゃん23日夜行で北穂に向いました。秋山は向うで一緒になります。金城の事で連絡あれば、1日夜行出発の森泰造兄にお願いすれば都合が良いと思います。
 
 10月17日~19日 <昭和30年度秋季応用物理学連合講習会>名古屋大学工学部2号館にて
 篠田軍治教授以下、梶原信男氏、川辺秀治氏は、17日午前に「ナイロン・ロ-プの動的特性」の講演をする。その内容は、科学者にもあるまじき、奇怪きわまる報告であった。須賀・上田・木下の三教授と父は、須賀教授宅で、この点を討論した。以下は講演予稿集の内容である。

 [ナイロン・ロ-プの動的特性]
  篠田軍治・梶原信男・川辺秀昭(この時点では大阪大学工学部学生、後に同大学名誉教授、精密工学。2003年に71歳で死去)

 ナイロン・ロ-プは直径11mmのもので引張強度1500kg、伸び80%に達し12mmマニラよりも強度で数割、伸びで数倍も大きい。そして衝撃に対して安全であるとされていたが、昨年末から本年初頃にかけて穂高岳で、わずかなスリップでこれが切断するという事故が相次いで3つ起こった。これらの事故を起こしたロ-プのX線回析図形は、良好な繊維度を示し、繊維の機械的性質も良好で、ドライアイスの温度でも著しい脆性を示さず、強度は増加している。従って材質的欠陥は全くないと考えられる。
 ロ-プを岩角にかけて衝撃落下試験を行うと、衝撃力は高さH、ロ-プの長さLの比H/Lの関数となり、55kgの錘を使うとマニラの12mmはH/L=0.3で切断するに比し、ナイロンは1.3まで保ち、マニラの24mmのものに近い強度を示した。ナイロンがこのように衝撃に耐えるのは伸びが大きく、引張りの弾性係数が小さいためで、切断時の衝撃力はナイロンでもマニラでも500~600kgである。
 ナイロンは静的引張試験の際に24度程度の温度上昇を示し、繊維の圧着現象が見られた。衝撃時の温度上昇は4度をあまり越えないので、切断時の衝撃荷重は500kgを少し上回った温度である。この値は上の値と一致する。
 実物及び模型実験の際、高速映画を撮り、模型実験では落下高さ1/5程度まで跳び上がり、落ち込み部分は正弦曲線、跳ね上がりは放物線になり、数回の上下運動の後正弦曲線になって止まること等を知った。マニラではこのような著しい跳ね上がり現象は見られない。
 このような強力なナイロン・ロ-プがわずかなスリップで切断したのは岩角の切削作用、すなわち切削に起因する摩擦熱が主原因であると思われる。ナイロンは融点が低いために岩角やヤスリの摩擦で容易に溶融切断し、切り口には融着現象が認められる。

 この予稿集に書かれた内容に沿って、約20分間に渡りスライドを見せながらの講演であった。父は、須賀先生や木下先生たちと共に講演を聞いたようだが、予稿集に書かれていないこととしては、「岩角のテストは東京製綱の蒲郡工場で行い、使用した岩角は岡崎石である」程度に留まった。
 さて、皆様は上記の予稿集を読まれて、果たしてナイロンザイルが強いのか弱いのかお判りになるだろうか?
 要点をまとめてみる。
① ナイロンザイルは材質的欠陥は全くない。
② ロ-プを岩角にかけて衝撃落下試験を行うとマニラ麻ザイルよりはるかに強い値を示した。
③ 強いナイロンザイルがわずかなスリップで切断したのは、岩角の切削によって起きる摩擦熱が主原因である。
 ①と②では強いと言い、③では弱いと言っている。②は岩角に面取りして丸味を付けた蒲郡実験の時の結果であるが、③では、「切削によって起きる摩擦熱で切断する」と言っており、その切削が岩角の鋭さとどう関係があるのかを示さず、摩擦熱だけを強調しているので、登山者はナイロンザイルの岩角欠陥に気付かず、ナイロンザイル切断による滑落死の危険性を免れない。
 蒲郡実験の時に使用した岩角が、故意に丸みを付けてあったことを認めない限り、上記の矛盾は解決されない。

 右は、この講習会の模様を報道する新聞名不明の記事である。この新聞にはペン字で「31.10.19」となっているが、父の字ではないので、後にいただいたものと思われる。これは昭和30年の誤記である。クリックしていただければ、拡大してお読みいただける。
 この講習になぜ遠くから木下先生が来てみえたのか疑問であったが、記事から同時に講演をなさったことが判り納得した。

 10月21日 中部日本新聞記事

「山のスポ-ツ二つの研究」<摩擦熱には弱いナイロン・ロ-プ>篠田阪大教授注目の発表
 本年度の秋季応用物理学連合講習会は全国各地の大学教授らが集まって17日から19日まで名大工学部で各部門の研究発表が行われたが、その中にスポ-ツに関係する研究が二つ含まれていた。
 阪大篠田軍治教授(阪大山岳部長)の「ナイロン・ロ-プの動的特性」と学習院大学木下是雄教授の「スキ-直滑降の加速状況の実測とその解析」で、このうちナイロン・ロ-プに対しては、今年1月北ア穂高岳で相次いで起こった3件のナイロン・ロ-プ切断事故の原因が未解決のまま残されている折なので、山岳関係者間に大きな反響を呼ぶものがあった。
 ナイロン・ロ-プ
 本年4月29日東京製綱蒲郡工場で行われた麻とナイロンの衝撃比較テストの結果について行われたものだが、結果においてナイロンザイルは直径11mmのもので引張り強度は1500kg、伸び80%に達し、12mmのマニラ麻よりも強度で数割、伸びで数倍も大きく、ロ-プを岩角にかけ重さ55kgの錘を使用しての衝撃落下試験ではマニラ麻の24mmのものに近い強度を示したと、その強力さを認めたが、一方このような強力ナイロン・ロ-プがわずかなスリップで切断したのは岩角の切断作用、つまり切断によって起こる摩擦熱が主な原因であると論じている。
 ナイロンは融点が低いために岩角やヤスリ状のところでの摩擦で簡単に溶解切断し、切り口には融着現象が認められると、その著しい欠点も指摘してあり、不用意に、あるいはその欠点を知らずに使用する場合、容易に切断することを示した。
 
 10月25日 岩波写真文庫『冬の登山』
 以下に掲載するものは、この文庫の中の「冬山へ登る支度」と「登攀用具」の頁である。ナイロンザイルのことが記されているので、該当部分を転記する。 


 最近、ナイロンザイルの切断事故が多い。ナイロン繊維の強さを過信し、外国で使っているからとか、ヒマラヤに行った隊が使ったなどと言うことだけを頼みにして、いきなり8mm太さのものに全体重をかけ生命を托するには、あまりにも日本のナイロン製造の歴史は浅く、登山界のこれに対する経験も少ないのではあるまいか。色々なことが判るまでは、たとえナイロンであっても、やはりある程度以上の太さの物を用いる慎重さが欲しい。



 ザイルはそれを使っても登山が楽になったり、登れない所が登れるようになるといった効果は余りない。万一滑落しかけても、これを食い止めて、悪場の通過を安全にするために用いる。従来の上質麻に代り、近時はナイロンが用いられるようになった。軽くて丈夫なのが利点だが細すぎる物は危険であり、少なくとも10mm太さ位の物が安全である。



 当時は、ナイロンザイルでも太い物なら安全と思われていて、岩角欠陥については記されていない。

 10月29,30日 九州福岡での講演
 以下の新聞記事は西日本新聞の10月23日付のものである。父は3時間にわたって「冬山に備えての登山教室」で講師を務めている。この時には、岩稜会の松田氏を伴って出かけている。




 この時の礼状が、11月5日付で加藤秀木氏から来ている。内容を少し掲載する。

 (前略)
 今度の講演会は私だけでなく、福岡の岳人たちにとって、たしかに大きな影響を与えたようです。色々な山岳会で、今度の講演会のことが取り上げられているようです。
 今後の福岡の岳人たちの動きを期待しながら静かに見守っていると言うのが、私の現在の気持ちです。
 私にとって何より楽しかったことは、久しぶりであなたや松田君にお会いして、大いに語り、大いに学んだ個人的な時間でした。あなたのいつに変わらぬ真面目な山に対する気持ちを聞いて、過ぎたことなど色々思い出して感慨を深くしたものでした。
 岳人の中堅の中に、あなたのような方が居られることは、たしかに希望の持てることです。
 (後略)

 11月10日 『積雪期登山』山崎安治(1919年生、1985年沒。日刊スポ-ツ新聞社・日本山岳協会常任理事・登山家)・近藤等(1921年生、2015年沒。早稲田大学名誉教授・フランス文学者・登山家)
 この本の「登山綱(ザイル・ロ-プ)」の中に書かれたことは、ナイロンザイルを絶賛するものだった。以下に転記する。

 現在多く使用されている物は、麻の綱で日本では「東京製綱」「一つ星」など、外国品でマニラ麻のア-サ-ビル、イタリア麻のセクリタスなどがある。この他、合成繊維ナイロンの綱がフランスのアンナプルナ隊以来広く使われ出している。外国製品ではアメリカ、スイス、英国、独など、わが国では東洋レ-ヨンの原糸を東京製綱で撚りナイロンザイルとして売り出されている。
 性質は下表の如く、重さ、強度、耐湿、いずれの点から言っても、非の打ちどころが無いはずである。

ナイロンと他繊維との比較(東洋レ-ヨンKK調査)         
繊維 比重 乾強度g/d 湿強度g/d 乾伸度g/d 湿伸度g/d 吸湿性 対昆虫性 対バクテリア性 対燃焼性
性質
ナイロン 1.14 4.5-7.5 3.6-6.4 14-25 3-35 4 虫に食われる事無 極めて大
綿 1.5-1.6 2.22-5.93 2.44-6.1  7.4-9.8 7.5-2.5 30
1.3-1.45 3-6 3.8 17-24 30 9.6

 昭和30年1月ナイロンザイルの切断による遭難が続出し東洋レ-ヨンの製品は紫外線に弱いと言っていささか評判が悪いようであるが、元来天然繊維の麻や絹と違って合成物の強味は、いくらでも改善の余地があること、昨年悪かったからと言って、今年まだ悪い等と考えるのは愚かなことである。紫外線に弱いと言ってもラケットのガットなどが充分使用に耐えているところを見ると、いずれ将来立派な安心出来る物が出来るであろう。ただし熱軟化性合成樹脂の欠点として火気、温度(300度)には弱いから取り扱いも充分注意しなければならない。
 最後に各種ザイルの寸法、長さ、重量、及び強度を表として掲げて置く。





K
K
調
査 
ザイルの種類 マニラ麻(12mm) マニラ麻(8mm)補助綱 ナイロン(11mm) ナイロン(9mm)補助綱 ナイロン(5mm)補助綱
抗張力kg(JIS規格) 1250(940) 590(460) 1500 1000 600
重量g/m 110 50 75 50 20

登山綱で東京製綱株式会社雨谷氏の貴重な御助言を得た。(木村庸益)

 これを読まれた読者は、ナイロンザイルは素晴らしいザイルだと思って、買い求められるだろう。

 11月12,13日 「岩登り講習会」三重県山岳連盟・岩稜会・三重大学山岳部主催
 この講習会は、三重県山岳連盟が呼びかけて、岩稜会と三重大山岳部主催で行われた。各山岳団体から98名の参加者があり、指導員(岩稜会・三重大学山岳部)は21名であった。右に掲載する資料は、講習会関係の資料が綴じられていた表紙である。以下にその案内状を転記する。


 秋冷の候、いよいよ御清祥の御事とお慶び申し上げます。
 さて、この度、岩稜会・三重大学山岳部より、若山君の遭難の折に会員諸兄より寄せられました多大なるご援助に対して深い感謝の意を表せられ、これに対する謝恩のために岩登り講習会開催の労を取りたいと言う申出がありました。連盟本部では、これを喜んでお受けすることに致しました。
 それで、来る11月12,13日、御在所岳にて岩稜会・三重大学山岳部主催で、岩登り講習会を開きますから、会員諸兄には是非多数参加ください。
 実施要綱は次の通りです。
主催:岩稜会・三重大学山岳部・三重山岳連盟
時:11月12,13日両日
所:御在所岳藤内壁
集合:12日午後4時までに北谷小屋集合
講師:石岡繁雄
指導員:岩稜会・三重大学山岳部各会員
講習日程:
 第一日…石岡氏講演-ザイルの結び方練習。その他岩登りの注意。
 第二日…藤内壁にて実地講習及び練習。(ル-ト及び練習方法は申込書到着後連絡いたします。
準備品:天幕・炊事用具・寝具・食糧(3日分)・ザイル・カラビナ・ハ-ケン・ハンマー・細綱(ザイルの結び方練習のため、腰囲の三倍位のもの)
 注:ザイル・カラビナ・ハ-ケン・ハンマー等はなくても結構です。北谷小屋は当日混雑すると思いますので、できるだけ天幕を持参してください。
申し込み方法:別紙申込書に各項目書き入れの上、左記宛10月25日までに申し入れ。
 整理の都合上、期日までに申し込みのない方はお断り致します。
申込書送付先
 鈴鹿市神戸新町480番地 今井喜久郎方 岩稜会
  昭和30年10月10日
 会員各位   三重県山岳連盟


毎日新聞記事「寒風も何のその」御在所岳で岩登り講習
注目引いた岩稜会の懸垂下降技法
 

ザイルの結び方の講習をする父

 

 11月18日 大阪大学篠田教授教授室に於ける教授と父他3名との会見
 会見の詳細を『ナイロン・ザイル事件』より転記する。


 場所:大阪大学工学部、篠田氏の教授室
 日時:11月18日、午後1時頃から3時頃まで
 会見までの経過:大阪美津濃運動具店に集合。車で行く
 列席者:篠田軍治氏、新保正樹氏(美津濃研究部)、澤田鶴橋氏(遭難当時同行者の実父)、伊藤経男、石岡繁雄
 会見の要旨:篠田氏に岩稜会の「ザイルに関する見解」及び切断したザイル、石膏等を詳細に見てもらう。その結果。

篠田-非常に正しいと思う。実験の事だから若干の誤差はあるかも知れないが、本質的には全く誤りではないと思う。<これに含まれる重要な点は、1.松の木の実験、すなわち稜角90度の岩角で事故の条件に近い実験で、事故ザイルは簡単に切れ、麻ザイルは切れないこと。2.前穂高東壁での岩角の稜角は、いわゆる40度とみなされること(もちろん若干凸凹があって一定でない)>
 [報告書を篠田氏に預ける。(これは12月20日に返却される)]

 [次に加藤富雄氏の暁学園高校の会報を見ていただき、加藤氏執筆内容の誤りの有無を聞く。
 篠田氏は机の引き出しからナイフを取り出し、ナイロンの繊維を切ろうとして力を加え、繊維が切れないのを見せつつ「大変強い」と言われた。そのナイフの刃は、極端に丸くなっていたので、石岡は「そのナイフの刃は、丸くてダメですね。岩角はそんなものではありません」と申したところ、篠田氏は「そうですね」と言って、直ちに机の引き出しに収められた。石岡は、そのナイフは篠田氏に会いに来る人々に見せるため、わざと刃が丸くしてあると直感した]

篠田-正しいと思う。<これに含まれる重要な点は、1.篠田氏は東洋レ-ヨンの実験を指導されたこと。2.蒲郡での実験で事故ザイルが切れなかったのは、使用した岩角が丸かったためであったこと>
石岡-ヤスリの実験(東洋レ-ヨン研究室でのナイロン・麻比較実験)はナイロンザイル切断の原因究明にとって重要な関係があるとは思われないか。
篠田-非常に重要な関係があると思う。
石岡-何故それを発表されなかったか。
篠田-岩稜会でも研究していられると言う事を聞いているので、良く相談してからにしようと思った。
 [中日の記事(蒲郡実験)を見ていただく]
石岡-ナイロンザイルは鋭い岩角の場合でも強いと書かれているのはおかしいではないか。
篠田-新聞社というものは、いい加減に書くものだ。
石岡-新聞社にも聞いてみたが、あの実験を見れば、ああ書かざるを得ないと言う事である。
篠田-あれは強い方の実験をやったのだ。
石岡-熊沢氏がザイルが切れたのは、指導者の誤りだと書いているが、そうなれば東雲山渓会も大阪市立大も、もちろん含まれる筈だ。こんなことは考えられないと思う。
篠田-あんなことを書くとはどうかしている。
 [化学7月号、関根氏の記事を見ていただく]
篠田-関根さんにも困ったものだ。<と言いながら新保氏と顔を見合わせて苦笑される>
石岡-4月29日の公開実験を基礎としてああ言われたのではないか。
篠田-それとは無関係と思う。<篠田氏は『冬の登山』(前記岩波写真文庫)を出して来て、(石岡は『冬の登山』を初めて見る)澤田の足の所など眺められる。ザイルの記事の部分を小声で読んでみて>ナイロンザイルの欠点は、太さには関係ないのだから。<困ったように首をかしげられる>
 [次に石岡は岩稜会並びに石岡個人のお願いを提出する。口頭で更に趣旨を説明する]
石岡-先生は学界に対しては発表されたが、現在の登山界の混迷を思う時、登山界に発表することは是非とも必要だと思う。<次に共同発表の点に関し>一方が発表した後で、一方が訂正の発表を行うと言うようでは、いたずらに登山界を混迷させるのみであるから、三者の共同発表もしくは、篠田先生の発表で両者の意志の入っていると言う形の物にしていただきたい。
篠田-岩稜会のお願いに対しては、全面的に賛成である。又東京製綱に対しても承諾させる自信があると思う。しかし石岡個人のお願いについては、部分的に承諾されない点があるように思う。例えば「生命を托するに足る保証付新製品として販売…」と言う所、「陳謝の態度に出ていただきたい」と言う所は、もしも岡常務が生きていれば<石岡は岡常務が亡くなられたことをその時はじめて知った>この点はスム-ズに行くように思うが、現社長は矢でも鉄砲でも持って来いと言うタイプの人だから、上記の点の承諾は困難と思う。要するにメ-カ-が若山氏に対して誠意のある態度に出ると言うことは、当たり前の事なんだから、その線で努力すると言う約束は出来る。
[篠田氏中座せる際に]
澤田-単にメ-カ-から若山氏へお見舞いと言うような形では意味がないから、その点、念を押したい。
新保-篠田氏に仲介の労をお願いしている訳だから、あまり極端なことを言うのは全てを水泡に帰する恐れがある。とにかく法廷闘争と言うものは、両者を傷付けるのだから。しかし何れにせよ東京製綱があれだけの金をかけて原因究明の為の努力をしたと言う事は、認めてやらねばならないだろう。
石岡-しかしその努力の結果が、全く誤った結果を流布させることになったのでは、およそ意味がないと思う。<この間に、篠田氏は東京製綱に電話されたと思う。>
[篠田氏もどられる]
篠田-研究に供したいから、つまり事故ザイルは今までどれが本当の物か判らなかったから、切断ザイルの一部をいただきたい。<切断せる部分の反対、すなわち溶解して止めてある方で、身体に結んであった方を約20cm切って渡す。切れ口は改めて溶解する>
篠田-12月の初めに東京に行く事になっているから、その時、東京製綱の社長に会って上記を伝える。その結果を必ず報告する。

 この時、篠田教授と東京製綱に渡した「お願い」を掲載する。
日付は11月17日になっている。この「お願い」には岩稜会からの物と、父からの物との2種類がある。ここには父の「お願い」を転記する。
右の「お願い」の資料をクリックしていただけば、両方ご覧いただけるようにした。


 お願い
 私はナイロンザイル切断のため死亡した若山五朗の実兄であります。
 はなはだ突然で失礼とは存じますが、以下の点につきまして何分のご配慮をいただきますよう、喪心お願い申し上げる次第であります。
 私の父は弟遭難の件につきまして、「生命を托するに足る保証付新製品として販売された物が、全く用をなさず、私の息子はあっけなく生命を失ってしまった。ある人は『それは使用法の誤りだ』と言われる。もしそうであれば、息子の不注意の為世間の皆様をお騒がせしたことになり、こんな申し訳ないことはなく、お詫びの致しようもない。しかし、そうでなくてザイルの欠陥のために生命を失ったと見なされる場合は、メ-カ-は陳謝の態度に出ていただきたい。このことは今後の遭難防止のためにも極めて大事なことだと思う。」と考えております。
 一般に事故の原因がメ-カ-側に属すると考えられます時は、メ-カ-はその被害者に対し、法で定められた償いをすることが民主主義のル-ルであると共に、最も妥当な解決法であると愚考するのであります。
 今や事故の原因が概ね判明するに至ったのでありますから、貴社におかせられましては温情ある態度に出られることを切に懇願するのであります。
 弟を失ったことに重大な関係をもつ私にとっての最大の願いは、老父の苦しみを少しでも除くことだけであります。
 誠に自分勝手な失礼至極のお願いでありますが、今回篠田先生にお頼みして徴意の程をお伝え申し上げる次第であります。何卒ご推察の程お願い致します。
 昭和30年11月17日
                   石岡繁雄
東京製綱株式会社殿

 この資料の貼付けてあったスクラップブックの頁には、父が以下の事を書いていた。

 4月29日の実験があっても、篠田氏を犯罪者と確信することは容易ではない。また仮にそう思っても、それを実行に移すには相当期間の気持ちの整理が必要となる。(「お願い」貼付けの上の部分に走り書きにて)

 昭和30年11月、篠田教授との会見の際に、30年4月24日の会見の時の話合いに関連して手交したもの。このときはじめて蒲郡での実験の責任が篠田氏にあることの確信を得た。(「お願い」貼付けの下の部分に)

 篠田教授に見ていただきお貸しした「ザイルに関する見解」は<その6>に掲載した現場検証や松の木の実験結果等が全てまとめられた綴りである。12月20日に篠田教授から返送されてきた。
 この「ザイルに関する見解」には、草稿が存在しているので、そちらを掲載する。右がそれである。これには、今回の3つの遭難の事も詳しく記されている。クリックしていただければ、全てご覧いただける。

 11月22日 吉野(吉野熊野国立公園、大台ケ原を含む)の宿で父と伊藤氏は日本山岳協会の尾関氏と会い、冊子『ナイロン・ザイル事件』を手渡す。この時はじめて日本山岳協会と連絡が取れた。

 右の写真は、翌23日に大台ヶ原日出ヶ岳頂上で、日山協の方々と共に写されたものである。
 この後、日山協はナイロンザイル事件の闘いに、協力してくださることになる。

 11月25日 日本山岳会会報182号 小集会の模様を掲載

 第168回 9月8日(木)

 体協会議室「登山用ナイロンザイルについて」 篠田軍治氏
 ナイロンザイルの長短特質について、詳細な研究結果の発表があったが、まだ種々問題が多いだけに活発なる質疑応答が展開された。
 尚、せっかく持参いただいたフィルムも司会者の手落ちにより映写出来なかったことをお詫びする。(以上3頁より)

 春の西穂より槍へ 立大山岳部
 昭和30年3月17日
 晴のちガス雨、A隊北穂までザイル工作。涸沢槍の下り30m一本を固定し、ド-ムは信州側に巻き北穂小屋へ、埋まっていたが小屋の見当はついた。帰途ガス、穂高小屋に着くと同時に雨。B隊は穂高小屋よりガスと雨をついて前穂往復。穂高小屋(7:30)-前穂高(11:20-11:40)-穂高小屋(13:30)帰途アンザイレン中のアミラン(1941年に日本で東洋レーヨンの星野孝平らにより合成されたナイロン6、合成当時の名をアミラン)のザイルが切断しているのを発見する。(以上6頁より)

 11月26日 毎日新聞
 「ナイロン・ザイルに警告 鋭い岩角には弱い 犠牲者の実兄が研究結論」と題しての記事が載った。
 父が行った木製架台の写真入りの記事は、父の実験結果を示して「8mm強力ナイロン・ザイルは、鋭い岩角では弱い」と掲載した。


 右の記事をクリックしてください。
 全文お読みいただけます。

 同日 篠田軍治氏宛 父よりの手紙
 この手紙は残されていないが『ナイロン・ザイル事件』に記されていた。


 先日はご多忙のところを長時間にわたって、いろいろご教示いただき、厚く御礼申し上げます。先生の誠に御親切なお言葉に両親たちも喪心感謝いたしております。又、先生のお話の模様を須賀先生にもお話しいたしましたところ、この件について非常に心痛してみえましたので、特に喜んでいただきました。尚、今晩から上京いたしますので木下さんにもお知らせするつもりであります。
 実は同封の新聞記事(上記毎日新聞)のことで、誠に申し訳ない結果になりましたので、取り急ぎお詫び申し上げる次第であります。
 先日、岩稜会からのお願いとして、ナイロンザイルにつきまして共同発表の線をお願いし、先生からもご賛成のお言葉をいただいたのでありますが、私の方のデ-タだけにしろ、一方的に発表しますことは先生へのお願いを無視することになりますので、誠にお詫びの申し上げようもないのであります。しかし、どうか次の事情をご了承いただきまして、何卒これまでどおりお世話いただきますようお願い申し上げます。
 実は10月20日頃、毎日記者山田利夫氏(中部支局、校閲)が私を訪れ(山田氏は弟の遺体処理を共にした私の従兄の教え子、山が好きで11月12,13日には一緒に御在所に行きました)、ナイロンザイルについて、いろいろと聞いてゆかれました。掲載の写真は10月23日に撮った物で、この頃に山田氏の原稿(掲載のもの)が出来たものであります。山田氏は本紙に掲載されるよう、非常に努力されたそうですが実現せず、そのままになっておりました。
 先生をお伺いした11月18日から4日経た22日に、私の許へ電話で「どうにか掲載されそうだ」と言って来ましたので、私は「実は18日に篠田先生にお会いして、ナイロンザイルについて共同発表の線で進むことになったから、今になってからの発表は困る。もし、それでもと言うことなれば篠田先生にお尋ねして欲しい」と先生の電話番号を知らせたのですが、山田氏は午後5時頃連絡して来て「先生に電話したが連絡が取れなかった。明日の朝刊への締切が間近だから、あの原稿は古いのだしあなたからその後の話を聞かなかったものとして発表すれば良いではないか」と言うので、それを止めることはできず、又、山田氏が上司ともこのことでゴタゴタしていたことを知っていましたので、そう言うことなれば致し方なかろうと言っておきました。
 翌23日には載らず、又そのままになったかと喜んでいましたが、本日掲載されてしまいました。山田氏に「先生に連絡を取ったか」と聞こうと思って電話しましたが、山田氏が今夜から夜勤で留守との事で、その点は判っておりません。いづれにしても先生には申し訳なく、深くお詫び申し上げます。尚、先生とお会いしての帰りに思ったのですが、「先生はご多忙であり、かつ円満解決に関して、先生に全てをお願い申し上げているのだから、何故もっとはっきりお答えしなかったか」と残念に思いました。その点につきましては、以下述べさせていただきたいと存じます。尚、私自身の誤りも相当あると存じますので、そういった点はどうかご教示、ご叱正くださいまして、一日も早く円満解決になりたいと存ずるものであります。
 1. 私からのお願いのうち「生命を托するに足る保証付新製品」と言う点に疑問があると先生はおっしゃいましたが、これは熊沢氏からの言葉で東京製綱直接の言葉ではありませんので、この部分は「新製品の登山綱」と置き換えたいと存じます。この点にも了承を得ました。
 2. 同じく13行目「法で定められた…」につきまして、法律門外漢の私としましては次の様に考えております。ザイル技術書に掲げられた範囲でのザイルの使用に於いて、そのために損害が発生したとみなされる場合は、メ-カ-には一応の責任があると存じます。しかし、その欠陥が不可抗力と見なされるか、それともメ-カ-の過失と見なされるかと言う点は、償いにあたって、重要な要素になると考えます。私は過失によるものとの見解をとります。もちろん、それは重大なる過失ではなく、軽微な過失と考えます。過失か不可抗力かの差は、法律書によれば、一般に錯誤(ナイロンザイルは外国でも使われているから強いだろうと言う錯誤)期待可能性の有無にあるようであります。ナイロンの岩角、又は鋸状の岩に於ける弱点の発見される可能性は、東洋レ-ヨンのパンフレット(これは逆の結果で、本年4月東洋レ-ヨンの鋸のテストと相反し、これを強調すれば詐欺的要素になると思います)、南大路氏のザイルの研究等に見られると考えます。すなわち、ザイルという品物を製作するにあたって「緊張」せる態度でのぞみ、必要な実験を行っていたならば、欠陥の発見される可能性はあったのではないかと考えます。この点については芦別事件、面河事件を見ましても生命に直結することに対して、慎重であることを強調する意味があると考えられます。尚、新保氏が言われたように「訴訟は両者を傷付ける」と言う一般的なお考えには必ずしも賛意を表せません。正しい訴訟は国民の大きな権利であり、いつも運命的に泣き寝入りが正しいと考えさせる道徳観念こそ民主化への災いをするものと考えます。もちろん、上述しましたことが全て私自身の錯覚かも知れませんので、そういう場合は、是非とも先生によって指摘していただきたく、ご教示をお願いしたいのであります。
 いずれにしましても私の願いは、12行目「一般に」から14行目「愚考するのであります」は、そうした意味で書いたのでありますので、この意を先生に了解していただければ削って結構と存じます。ただ、私の心配しますのは、メ-カ-と父とのこれまでの面会に見られたように、ナイロンザイルは結び目がとけやすいとか言われ、面接後には、怒りが増すだけの結果でありましたが、今回もまたしてもそういうことに終わるのではないかと言う愚念であります。
 どうか、ご推察いただきご高配のほど、お願い申し上げる次第であります。

 12月7日 父から篠田氏への電話の要旨

石岡:お手紙差し上げましたが、どうかよろしくお願いします。
篠田:手紙をもらいました。ご趣旨よく了解しました。また、毎日新聞の記事は別に共同発表の線に抵触しないと思います。
石岡:東京に行かれましたでしょうか。
篠田:まだ行っていない。来週には行くつもりだから、社長ともお話出来るであろうから、帰り次第結果は報告します。尚、先日共同発表の約束はしなかった。私が考えるには、こう言う見方もある、こう言った見方もあると言う形で発表したらどうかと思います。そう思いませんか。
石岡:もちろん、それでも結構と考えます。

 12月19日 同上

石岡:東京へは行かれましたでしょうか。
篠田:東京へ行った結果は、電話では間違って受け取られる恐れがあるので、書面で至急お送りします。

 同日 父宛 篠田軍治教授の手紙

 拝啓
 先週上京の節、東京製綱に参り、ご依頼の件種々懇談致しました。貴殿のご意見の、今後ザイルを売る際に、使用者が使用法を誤らない様十分な対策を立てることは、メ-カ-としても認めておりますが、貴殿のご尊父のご意見中にありました陳謝の件は、小生の予想していた以上の問題で、ご期待にそうことができませんでした。陳謝と言う事は、個人間の問題でありますと、例え被害者に非があった場合でも、関係者は-例えばピッケルを貸して、借りた人がシャフトを折って事故を起こしたような場合には、何らかの形で陳謝とまでは行かなくても、一応済まなかったという意味の意思表示なり行動なりをするのが普通でしょうが、法人の場合には、簡単ではありません。陳謝をするためには必ず法的な理由がなければならない訳でしょう。これは陳謝に伴って、必ず犠牲者(複数)を出すことになりますから、団体の秩序を保つ上に、止むを得ないことであると思います。小生としては、当初からこれはナイロンザイルである以上、如何なるもの、どこの製品を持って来ても、ある場合、事故は避けられなかった。従って、製品として、欠陥はなかったと考えられる以上、この問題を、製品の質の問題を足がかりとして、解決することはできない。とすれば「理由はどうあろうと、現実に犠牲者を出したのだから」という、人情論で解決する以外に方法はないと考えていたのですが、法人とかメ-カ-とか言うものにも、またそれぞれの立場があるものと言う事を認めざるを得ないことを知りました。
 要するに、貴殿のお立場、犠牲者の肉親という立場と、メ-カ-としての立場には、あまり大きな開きがあり過ぎて、両者の歩み寄りは、残念ながら非常に困難だと申し上げるより外仕方ありません。お役に立てなくて申し訳ありません。
 先は右お返事まで。  早々
 19日     篠田軍治
 石岡様
 ご報告書遅くなって申し訳ありません。別便でお送りしました。

 さて、皆様、この手紙をお読みになって、どう思われたであろうか。
 メ-カ-は、自社を守るために陳謝することはできない。それは、会社と言う大きな組織の複数の方々の犠牲を伴うからである。要するに、ナイロンザイルが切れて亡くなった方の遺族は泣き寝入りせよ、と言う事である。その上で、ナイロンザイルである以上、どこのメ-カ-の物を使用しても、ある場合事故が起きるのが製品としての特長である、とされている。
 何度も言うようだが、篠田氏は、ナイロンザイルが鋭い岩角に弱いと言う事を十分にご存じの上で、東京製綱蒲郡工場でザイルを強く見せる実験をして、登山者の命を危険にさらしたのである。これはれっきとした犯罪であるのに、全く部外者的な物言いには憤慨を通り越してあきれてしまう。岩稜会と父の怒りはどれほどであっただろうか。

 12月24日 臨時岩稜会総会
 篠田氏の上記の手紙を受けて、岩稜会は臨時総会を開いた。
 ナイロンザイルの岩角欠陥を明らかにするためと、國利氏と岩稜会の名誉を回復するために、篠田氏と訴訟含みで交渉しなければならない状態に陥った。
 この告訴含みの交渉をすることについて、会員の中には先鋭的登山や海外遠征を目標にしていた者も少なからずいたので、山に挑む機会が少なくなるのではないかという危惧を持つ者もあったが、父は登山者の命綱が切断したことの危険性こそが第一義的に追及されるべきだと主張し、会員一同全員一致でこの問題を追及することになった。
 訴訟になる場合、父が会長を務めていては、身内の事故で保証金を目当てにしているという誤解を受ける可能性があるので、岩稜会を退会することを決意した。そして、会の代表には伊藤経男氏になっていただくことに決まった。ただし、実験や実験デ-タ、資料の収集などの仕事は、父がやることとなった。退会届は翌年3月に受理された。
 これで、岩稜会が権威と言う壁に立ち向う体制が整ったのである。

 父は、昭和18年から平成6年までの55年間で120冊の手帳を残した。その手帳には、父のその時々の想いや考察、発想、手紙の下書き、予定等、ぎっしりと書き込まれたもので、父は生涯その手帳を大事に保存していた。
 その中のナイロンザイル事件関係の手帳は、昭和29年から昭和34年までで8冊あったので重要と思いデ-タ化した。その手帳に書かれていたこの時の父の想いを以下に転記する。
 

 目的はあくまでも①遭難防止②父をやすめる。
方法としては、あくまでも穏健に、しかし目的に反する事があってはならぬ。このためには下手な妥協はかえって目的を達せず、悔いを千歳に残す。
このことが究極に於いて社会のためになるかという点。

 (篠田氏は)強い実験、弱い実験と言ってみえるが、弱い実験を隠して強い実験をやればどうなるか。我々の場合でも、もしも遺体が見つからなかったら、又搬出隊に事故があったら。切れ口があれほどハッキリしていなかったら。又岩角にザイルの糸屑が残っていなかったら。4/29(蒲郡実験)を追求することは出来なかったであろう。天は正義に味方した。

 もし今回の事件がウヤムヤにされたら、今後どれほどの人々が権力に泣かされるか知れない。泣かされることが常識になってしまう。これが良いかどうかの試金石である。このまま放置すれば資本主義への不信が大きくつのろう。


 学者は正義を守る最後の砦である。商人のそれとは異なる。
 過失致死でやれば、金欲しさでやっているという私情のための争いと見られやすい。しかし今やその恐れはなくなったと考える。
 前記印刷物(次の章に記載の2月11日付「告訴について我々の見解、並びに社会の皆様へのお願い」岩稜会)は第一段階。これでもしSが正しく出られれば、全て追求しない。今回のは追及の手段。世論の喚起訴訟へのデモンストレーション。
 当局がその職務を充分に果たしてもらいたいことである。
 もちろん、日本一流と見られる商人のそうした態度は是非改めてもらわねばならない。

 生命擁護のために、この疑惑はどうしても明らかにせねばならない


 本質はメ-カ-である。何故にメ-カ-をたたかないのか。これはあくまで追求されねばならぬ。もちろん放任するのではなく、S(篠田氏)、メ-カ-の出方を見て、次の段階として取り組む。

 岩稜会の現状(山に挑む機会が少なくなり、初登攀記録などに挑戦できなくなる)は私の神経をこよなくすり減らす。私は私の母の姿を思うだけでもすっかり疲れてしまうのである。そして、責任の大きさを感じるのである。
 (岩稜会を)やめる決心をした今となって、ただ心を打つのは諸君のこれまでの限りない親愛の情である。思い出は尽きなく過去の(岩稜会の現状はあまりにも多く私を苦しめる)一コマ一コマが、無限の親しみをもって胸を打つ。ただ諸君のご多幸を祈るのみである。

 書きなぐるように速記された父の字に、当時の苦悩が浮き彫りとなる。
 判りやすいように解説を、緑字でつけた。


 12月日付不詳 父のメモ「欺瞞とは、名誉とは」
 このメモを解読清書する。


 欺瞞とは、他人に錯誤を生じせしめる行為を言う。通常は「欺瞞の事実を虚構し、真実の事実を歪曲する」等、積極的な言動によってなされるが、沈黙すなわち真実の隠匿も又、欺瞞になると解されている。後者の場合は通常「不作為による欺瞞」と論ぜられているが、実は両者は区別しなければならない。例えば無銭飲食の場合は通常「不作為による欺瞞」であるけれども、この場合、あたかも金銭のある人の如き態度で店内に入り、飲食物を注文する態度によって錯誤を生じしめたものであるから、作為による欺瞞である。相手方の錯誤に対する義務違反の不告知は欺瞞になる。<平場安治(1917年生、2002年沒。京都大学名誉教授の法学者。弁護士)

 名誉棄損の場合に於ける事実の証明について、さらに一つの疑問を生ずる。「真実の証明ありたる時」というのは、訴訟手続きに於いて証明が出来た時という意味であることは明らかだが、訴訟手続き上の証明を、刑法上の違法阻却理由と考えることは出来ない。真実の証明は行為の当時においては、容易に予見することの出来ない将来の歴実であるばかりでなく、予見し難い訴訟の運命によって、行為の合法違法を決す。と言う事は、およそ背理的であるからである。真実性そのもの、または行為の当時における証明の可能性一般が、違法性を阻却する原由であると考えねばならない。<山野清一郎>

名誉
 名誉とは人の価値に対する社会的評価である。社会的評価の対象となる人の価値は、人の行為、人格に対する倫理的価値や、地位・身分・職業等に関する社会的価値、又は音楽・美術・芸術等に関する社会的評価はもちろんのこと、単に一個の人間としても、人としての価値を有し、他が傷付けられる利益がある。故に幼者、精神病者としても、又死者に対してもその名誉は尊重せられなければならない。名誉の主体となるものは、特定せられた自然人なると法人なるとを分かたない。法人以外の団体であっても、特定せられる場合には、法人に準じて考えられるべきであろう。
 秋の報告(JAC総会)遭難の原因究明を任され、新聞記者のいる前で実験すれば、しかも「強い実験だ」と言うのでなく、又ヤスリ実験も発表されてないことを知っているのだから、その結果新聞誌がどのように取り扱ったかを、注目する必要はある。義務である。すなわち、単なる学術的研究ではないのである。(石岡・社長との会見も)
 ミルク例(森永ヒ素ミルク中毒事件)で考える→S(篠田軍治)は「わしは、象牙の塔にこもって、研究を続け、最後に学界で発表しただけで、中日等のことは知らない」T(東京製綱)は「Sに任せてあるだけである」
 弱い実験がどこにも発表していないことを、Sは知っていた。(加藤氏の言。石岡への言)
 ゆえに蒲郡実験は、初めての公開実験。
 又、石岡談により、生有者にある疑いがかけられたことを知っていた。そこで、強い実験をやれば…
 公開実験に強い方の実験をするとは何事だ。

(上欄外に記載)
 実在しないような岩で、しかもそれをそのように使えば生命を失うことを知っている。→条件の悪い形で実験するのが常識。
 利益のためには殺人につながる偽装をも敢えてしようとする業者を、それが判っていて、自己の社会的信用を利用して、協力する学者に義憤を感じ、そのような善心の○○(2字不明)と社会正義の確立のため。
  年月日不明 「ナイロンザイルについてのノ-ト」原稿

 この原稿はいつ書かれたものか不明であるが、日本山岳会会報182号発行の後であることは確かなので、ここに掲載する。
 原稿用紙7頁あるが未発表なので、以下に解読清書する。


 「ナイロンザイルについてのノ-ト」
              石岡繁雄
 昨冬ナイロン・ザイルの切断事故が相次いで起こり(前穂東壁〔岩稜会〕、明神東壁〔東雲山岳会〕、前穂北尾根〔大阪市大〕)、どの場合にも確保者がほとんどショックを感じないようなアッケない切れ方であったので、世の注目を集めた。しかし、その後月日が経つとともに人々の関心も薄れてきたようだが、問題はまだすっかり解決された訳ではなく、今後また同じようなケ-スが起きる危険もあると思うので、私の意見と簡単な実験の結果を述べておきたい。
 この問題についてはすでに阪大の篠田教授を中心として東京製綱で大規模な実験が行われ、9月8日(1955年)の日本山岳会第168回小集会の席上で篠田博士の報告があった。主として行われたのは90度及び45度の刃角をもった花崗岩の角(両面は平滑に仕上げてある)にザイルをかけ、ザイルの一端は固定し、岩角から垂れ下がっている方の端に錘を付けておいて、錘を引っ張り上げて落としてザイルが切れるかどうかを見るという実験である。試験の結果は従来言われているようにナイロン・ザイルは麻のザイルに比べて圧倒的に優れており、ナイロン11mmは麻の24mmに匹敵することが証明された。これと一緒に、ナイロン・ザイルが良く伸びる(これが衝撃に強い理由の一つである)ことに関連して錘を落とした時のザイル端のジャンプの模様を調べたり、ナイロンが摂氏210度内外の温度で熔融することに関連して衝撃試験の時にザイルの温度がどれくらい上がるかを測ったりする実験も行われ、今後の研究のための貴重なデ-タが得られた。
 しかし、昨冬の事故のようなものがなぜ起こりやすいかは、以上の実験によってますます分からなくなったかのような感じがある。(欄外に→で 日本山岳会の小集会では、原因不明という結論のようです)
 私はこの疑問を解決するカギは篠田博士らの実験とは少し条件の違う実験をやってみることにあるように思う。それは岩角をもっと鋭くしてみることである。もちろんカミソリの刃のような岩にザイルをかける登山者はいないが、あまり踏まれていない岩場の岩はずいぶん鋭い稜を持っている。見た目には丸い岩角でも局部的には鋭い稜(シワ)が多いのは、ホ-ルドに手をかけたときの手触りを思い出して頂けば分かると思う。そして、岩角の直接確保は避けるとしても、墜落の時どこかの岩角にザイルがひっかかって、この鋭い稜でこすられるということは、かなりしばしば起こるはずである。篠田博士らの実験では、90度、45度というような刃角で鋭さを決めておられるが、私がここでいう鋭さはもっと局部的なもの、稜を押してみて指先が痛いかどうかという感じで分かるものである。たとえ大きなスケ-ルでの鈍角でも鋭い(痛い)稜である訳である。
 前記の実験で使った岩角の鋭さはよく解らないが、写真で判断するとおそらく指先で押すと痛さを感じるほどのものではなかったと思われる。そして、おそらくその稜に沿ってザイルを滑らせる時にはあまり抵抗がなくスルスル滑る。たとえば机の角のような形のものだったかと思われる。そういう簡単な条件での実験は基礎実験としてもちろん大切なものだが、山登りの立場からは「痛い」稜での実験も大切であろう。
 それで私は押せば「痛い」程度の稜―ただ岩場では普通にぶつかるぐらいの鋭さ―を持った岩塊および鉄のアングル材を使って篠田博士らの実験と似た実験を試みた。角は大体90度で、ただ、おそらく、前記の実験で使った物より鋭いものである。その結果を次表に示す。(余白部分に 1.普通はザイルがエッジ上をずれる。2.支持台の衝撃作用がある。3.空白。4.相殺)
ザイル  稜の材料 稜から錘までの
ザイル長
錘を引き上げて
高さ
結果
マニラ12mm 13貫
(48.75kg) 
鉄アングル材  150cm  50cm 3回続けても切れず
マニラ12mm 100cm 1ストランドの半分擦傷
ナイロン8mm(強化糸) 50cm プッツリ切断
マニラ12mm 18貫
(67.5kg)
岩  200cm  100cm 1ストランドの1本(?)切断
マニラ12mm 200cm 完全に切断
ナイロン8mm(強化糸) 50cm アッケなく切断
 また、三角ヤスリの稜を一定の力でザイルに押し付けてこすり、何回こすれば切れるかという実験をしてみた。
自分で実験すること
 これらの実験の結果からみると、鋭い稜に引っかかった状態での衝撃試験に対してはナイロン・ザイルは従来使われた麻のザイルに比べてずっと弱く、三角ヤスリでこする試験に対しては、この傾向が一層はなはだしい。実際、ヤスリのような物で切り込むことに対しては余りに、頼りないという感じを禁じ得ない。
 こういう条件での試験はおそらく今までの材料試験の規格には入っていないので、ナイロンのこの弱点が見逃されたのは、いくらかやむを得ないこととも言えるが、先に述べたように私には山登り用の綱としてはこういうテストに強いことが一つの大切な条件であるように思われるのである。
 ナイロンは、この種のテスト以外に対しては、登山綱材料のそなうべきあらゆる条件に関して麻より優れている。しかしこの種のテストに弱いことは、ある場合には致命的な事故の原因となり得る。私は、少なくとも麻のザイルの性質についての常識の上に築かれた岩登り技術をそのまま踏襲する限り、いつかはまた昨冬と同様の事故が起こることを憂えるものである。
 私の実験の詳細は別の場所に発表するが、私としてはここに指摘したような条件に留意して専門家がさらに完全な実験を繰り返され、我々の「生命綱」の吟味をすすめられることを強く希望している。

 この年の最後に、ナイロンザイル事件以外で、父の記事を載せていただいた雑誌『山と渓谷』の連載記事を掲載する。
資料をクリックしてくだされば、全ての頁がご覧いただける。

5月1日発行『山と渓谷』
191号
岩登りの危険
 
6月1日発行『山と渓谷』192号
懸垂下降
 
7月1日発行『山と渓谷』193号
懸垂下降

8月1日発行『山と渓谷』194号
懸垂下降

以下の写真をクリックしてください
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2016年4月21日追記