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名古屋大学大学文書資料室に寄託してあります資料は、特定歴史公文書等として内閣府の管理下に置かれています。以下に掲載します写真や資料等は全てその中の物です。
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年月日 |
年齢 |
出来事 |
資料 |
参照頁 |
1918.1.25 |
0 |
アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント市にて
移民中の若山繁二・照尾の長男として生まれる
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第一話
透明の章
第二話
芽生えの章 |
1920.7 |
2 |
若山繁二の郷里愛知県海部郡佐織町
(現在の愛西市)に帰国
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第三話
若葉の章 |
1930.3 |
12 |
北河田小学校卒業
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1933 |
15 |
白馬岳初登山
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1935.3 |
17 |
津島中学校卒業
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1936.4 |
18 |
第八高等学校文科甲類入学
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第四話
セピアの章
第五話
幼さくらの章 |
1937.4 |
19 |
第八高等学校理科再入学
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第六話
青葉の章 |
1938 |
20 |
反射望遠鏡製作に着手
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第七話
綺羅星の章
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1940.4 |
22 |
名古屋帝大理工学部電気学科入学
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第八話
青嶺の章
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1942.9 |
24 |
名古屋帝国大学卒業
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1943.1.15 |
24 |
海軍技術中尉任官第二海軍燃料廠勤務
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第九話
暗雲の章 |
1943.4 |
25 |
海軍技術大尉任官
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1944.9.23 |
26 |
石岡敏子と結婚 石岡姓となる
三重県鈴鹿市在住
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1945.4.10 |
27 |
長女、梓誕生
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1945.8.15 |
27 |
終戦と共に退役
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1945.9.30 |
27 |
旧制神戸中学校物理教師 山岳部設立
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第十話
暁の章
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1946.4 |
28 |
岩稜会設立
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1947.3.31 |
29 |
旧制神戸中学校退職
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1947.4 |
29 |
ホダカ商会(電気製品販売店)設立
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1947.7.25 |
29 |
屏風岩正面岩壁初登攀
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第十一話
紅蓮の章 |
1949.9.25 |
31 |
著書『屏風岩登攀記』(碩学書房)初版
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第十二話
青龍の章
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1952.2.17 |
34 |
二女、あづみ誕生
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1952.12 |
34 |
ホダカ商会廃業 名古屋大学・学生部に就職
名古屋市昭和区に転居
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1953
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35 |
金城学院大学山岳部のコ−チを引き受ける |
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1954.3.5 |
36 |
名古屋大学ヒマラヤ遠征会発足に尽力
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1954.9 |
36 |
冊子「奨学生の推薦基準について」発表
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1955.1.2 |
36 |
前穂高東壁にて8mmナイロンザイルの切断で
若山五朗(繁雄弟)墜死
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第十三話
暗黒の章 |
1955.1 |
37 |
名古屋自宅の庭に実験用木製架台を設置し、独自のナイロンザイル欠陥究明実験を始める
1月30,31日には名古屋大学工学部で裏付け実験を実施
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1955.4.29 |
37 |
ナイロンザイル衝撃試験の公開実験が東京製綱蒲郡工場にて篠田軍治教授指導のもと行われる
故意にナイロンザイルが切れない犯罪的実験をし、ここに“ナイロンザイル事件”が勃発する
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1955.7.31 |
37 |
若山五朗の遺体がB沢にて発見
切れたナイロンザイルはしっかりと体に巻かれていた
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1955.8.4 |
37 |
若山五朗の遺体荼毘にふされる
跡地にケルンを積む
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1955.9.1 |
37 |
神戸城城跡の松の木にてナイロンザイル実験を行う
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1955.9
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37 |
名古屋大学学生専門の下宿屋を始める(名古屋市昭和区山手通の自宅にて)
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1956.6.22 |
38 |
篠田軍治を名誉棄損で告訴
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1956.7.1 |
38 |
冊子『ナイロン・ザイル事件』160部、岩稜会が発行
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1956.9 |
38 |
冊子『ナイロン・ザイル事件』が安川茂雄氏から井上靖氏に渡る
『氷壁』著作のため石原國利氏・石岡繁雄ら、井上氏宅訪問し素材として使用を快諾
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1956.11.24 |
38 |
朝日新聞に『氷壁』の連載開始
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1956.12.11 |
38 |
若山繁二(繁雄父)失意のうちに
「ナイロンザイル事件をうやむやにするな」と遺言を残し死去
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1957.7.23 |
39 |
篠田軍治名誉毀損告訴が不起訴処分となる
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1957.9.1 |
39 |
「ヒマラヤ(ジャヌー)遠征計画」
名古屋大学山岳部・岩稜会
ヒマラヤ遠征にはその後も力を尽くすがいずれも成功せず
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1958.2.22 |
40 |
篠田軍治宛「第一回公開質問状」送付、その後「第三回」まで送付
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1958.10.22 |
40 |
中部日本放送で「第二回公開質問状」の篠田軍治の返事がラジオ放送
「蒲郡における公開実験は飛行機や船舶に使うロ−プの実験であり、岩稜会の事故の実験とは無関係」と発言
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1958.11.17 |
40 |
「衝撃時における登山綱切断防止装置」特許取得
生涯で209件の特許出願
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1959.7.15 |
41 |
岩稜会『穂高の岩場T』を朋文堂より出版
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1959.8.31 |
41 |
冊子『ナイロンザイル事件に終止符を打つにさいしての声明』を岩稜会が発行
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1960.6.10 |
42 |
岩稜会『穂高の岩場U』を朋文堂より出版
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1961.4.23 |
43 |
日本山岳会東海支部を発会
東海地区から独自で海外遠征を目指す
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1962.10.24 |
44 |
発明外国特許出願補助金を「ばね式自動変速装置」で国より受ける
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1963.11.2 |
45 |
奨学生の推薦基準作成に対して
日本育英会より感謝状授与
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1964.2.1 |
46 |
豊田工業高等専門学校 助教授に就任
物理教官となる
物理や力学のテキストを独自で作成し講義を行う
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1964.5
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46 |
豊田工業高等専門学校山岳部創部 部長に就任
毎年2学年全員を連れて、木曽御嶽山登山をはじめ教育の一環として根付かせる
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1969 |
51 |
文部省登山研修所委員を1990年まで勤める
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1969.4.1 |
51 |
豊田工業高等専門学校
教授に就任
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1969.8.31
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51 |
豊田工業高等専門学校学園紛争解決のため提言
紛争解決の提案と努力を続けるが受け入れられず
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1971.4.1 |
53 |
鈴鹿工業高等専門学校に転任
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1973.3.11 |
55 |
「ナイロンザイルの性能に関する公開実験」が石岡の指揮の元、三重県山岳連盟主催で鈴鹿工業高等専門学校において行われる
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1973.6.6 |
55 |
登山用ロ−プを含む「消費生活用製品安全法」制定
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1973.7.30 |
55 |
フランス国立スキー・登山学校にて講演
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1973.11.8 |
55 |
通産産業省製品安全協会の登山用ザイル安全基準調査研究委員となる
(1991年まで)
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1974.10.15 |
56 |
著書『屏風岩登攀記』碩学書房より再版
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1974.12.15
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56 |
「遭難防止論」(278頁)執筆 |
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1975.6.5 |
57 |
登山用ロ−プ安全認定基準、官報で交付
ナイロンザイルの弱点が国で認められる
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1975.11.10 |
57 |
奥又白谷ケルンへ官報交付の報告登山
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1976.1.16 |
57 |
愛知県東海市消防出初式のレインジャーロ−プ切断事故の原因調査依頼を受ける
その原因を究明
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1976.5 |
58 |
三重県山岳連盟会長就任(1981年まで)
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1976.12.9 |
58 |
日本山岳会発行『山日記』に篠田軍治のナイロンザイルに関する
間違った見解を載せたことへのお詫び文掲載される
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1977.7 |
59 |
冊子『ナイロンザイル事件報告書』作成
(岩稜会)
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1977.12.15 |
59 |
著書『屏風岩登攀記』直筆サイン入り限定版出版
(碩学書房)
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1978.7 |
60 |
「三重岳連アルプス登山旅行」
マッタ−ホ−ン登頂実施
33名参加中 登頂者数名、石岡夫妻は登頂出来ず
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1978.10.10 |
60 |
岩稜会が「社会体育優良団体」として文部大臣より表彰される
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1980.8 |
62 |
『屏風岩登攀記』中央公論社より文庫版出版
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1981.6.14 |
63 |
「レイホー株式会社」設立
代表取締役:伴辰三氏
取締役:石岡敏子・伊藤経男氏・若山富夫氏
(繁雄は国家公務員のため役員にはなれず)
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1983.2.26 |
65 |
鈴鹿工業高等専門学校退官
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1983.6 |
65 |
1982.11.29に英国タンカー「ワ−ルドアザリア号」
牽引ロ−プ切断、ロ−プ鑑定依頼を受ける
切断原因を解明し翌年の2月に鑑定結果を提出
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1984.2.7 |
66 |
「石岡高所安全研究所」設立
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1987.5.30 |
69 |
『岩稜』 岩稜会40周年記念制作、非売品
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1988.8 |
70 |
石岡式高所安全降下具「ハイセーバー」
TBR株式会社より発売
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1989.11.6 |
71 |
日本山岳会篠田軍治を名誉会員に推薦を決定
石原國利氏と共に名誉会員反対運動をするが、篠田の名誉会員が決定す
以後、日本山岳会に対して名誉会員取消のために要望書や公開質問状を何度も提出するが、いまだ解決をみない
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1990.4.16 |
72 |
「株式会社ハイセーバー研究所」設立 熊田一夫氏社長
石岡は取締役となる
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1991.11.9 |
73 |
「釣り合い型介助リフト バスカー」受賞
三重県発明くふう展にて
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1993.12.7 |
75 |
有限会社「石岡高所安全研究所」設立
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1998.7.12 |
80 |
「スポ−ツ工学国際学会」に出席
登山用自動制動確保システムについての講演
イギリスシェフィ−ド大学にて
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2000.3.21 |
82 |
「家庭における要介護者の支援装置 ハイナ−ス」
3号機まで完成
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2004.6.2 |
86 |
石岡敏子死去
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2004.10.14 |
86 |
「有限会社石岡高所安全研究所」解散閉鎖
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2005.5.1 |
87 |
著書『ザイルに導かれて』あるむ出版より発行
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『ザイルに導かれて』出版祝賀会 |
2006.1.28 |
88 |
静岡県長泉町「井上靖文学館」訪問
ナイロンザイル事件展示見学
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井上靖文学館訪問関係 |
2006.4.1 |
88 |
岩稜会最後の会合
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2006.8.15 |
88 |
午前9時7分 名古屋第一日赤病院にて
大動脈瘤破裂のショックにより死去
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悲しみのセレモニ− |
2007.1.25 |
- |
相田武男氏との共著
『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』
あるむ出版より発行
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バッカスを偲ぶ会
追悼集 |
2007.6.2 |
- |
著書『屏風岩登攀記』復刻版
あるむ社より発行
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2008.3.3 |
− |
「石岡高所安全研究所」の実験用鉄塔撤去 |
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鉄塔撤去 |
2009.6 |
− |
「石岡繁雄の志を伝える会」発足
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2012.12.27 |
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名古屋大学大学文書資料室へ石岡繁雄資料寄託
名古屋大学博物館へ遺品・物品の寄贈
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名古屋大学へ寄贈・寄託 |
2013.11.5〜2014.1.30
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− |
第28回企画展
「氷壁を越えて ナイロンザイル事件と石岡繁雄の生涯」
名古屋大学博物館にて
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名古屋大学での展示 |
2014.2.21
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− |
NITE( 独立行政法人 製品評価技術基盤機構)による「8mmナイロンザイル剪断試験」
群馬県桐生市NITE燃焼技術センタ−にて
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NITE検証試験 |
2014.6.19〜
8.31
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− |
中部山岳国立公園指定80周年記念企画展
「氷壁を越えて ナイロンザイル事件の真実と石岡繁雄の生涯」
上高地インフォメ−ションセンタ−にて
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上高地での展示 |
2014.10.3
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− |
「あいちサンエンスフェスティバル2014」さかえサイエンスト−ク
〈製品事故の原因を探るサイエンス−『氷壁』ザイル切断事故から最前線情報まで〉
講師:NITE製品安全センタ−参事官 長田敏氏
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サイエンスフェスティバル |
2015.10.10,11
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− |
鈴鹿高専祭展示
「氷壁を越えて ナイロンザイル事件と元鈴鹿高専教授石岡繁雄の世界」
鈴鹿高専にて
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鈴鹿高専祭での展示 |
2015.11.28,29
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− |
岳都松本 山岳フォーラム2015
「氷壁を越えて ナイロンザイル事件と石岡繁雄の世界」
まつもと市民芸術館にて
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山岳フォーラムでの展示 |
2017.6.30〜9.3 |
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登山家石岡繁雄生誕100年
記念企画
「氷壁を越えて 石岡の安全学から山岳遭難防止へ」
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上高地での展示 |
2019.8 |
- |
『公益社団法人 日本山岳会に対し 篠田軍治氏の名誉会員取消しを求める』冊子発行
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冊子 |
2018.9.9
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ナイロンザイル事件資料
展示記念
「懇談会&懇親会」
九州登山情報センタ−主催
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九州展示記念 |
2018.9.11
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− |
「ナイロンザイル事件の真相を聴く会」
東九州支部有志主催 |
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真相を聴く会 |
2018.11.10
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「鈴鹿文学祭」
斉藤緑雨文化賞受賞 |
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文学祭 |
2019.1.17〜20
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極寒の北海道への旅 |
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北海道 |
2019.5.10〜11.18
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湯浅美仁著
『前穂高岳東壁遭難63年目の検証 ナイロンザイル事件の光と影』
に対する「反証・反論」 |
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「反証・反論」 |
2020.2 |
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ケ−ブルネットテレビ鈴鹿(CNS)放送<令和鈴カルカレッジ 鈴鹿市文化振興事業団放送セミナー「山に志を刻む人」〜ナイロンザイル事件と石岡繁雄〜>2020年2月放映!の顛末
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「山に志を刻む人」 |
2021.3.5 |
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東海国立大学機構(名古屋大学)大学文書資料室のフェッブサイト内のオンライン資料検索のペ−ジに「石岡繁雄文書資料」の第一回公開分、目録詳細情報が公開 |
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第一次
公開 |
2022.3.12,13 |
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「石岡高所安全研究所」のお別れ会 |
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お別れ会 |
2022.4.19〜9.11 |
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石岡高所安全研究所跡地の「記念碑と石岡繁雄事績碑」建立までの軌跡 |
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石碑建立 |
2023.1.29 |
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石岡繁雄の志を伝える会顧問
石原國利氏逝く |
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石原國利氏 |