6月8日(曇りのち晴)
|
徳澤園の美人若女将の
徳澤園とその周辺の説明
「氷壁のモデル縁の方々がいらっしゃっているので
間違えないかとヒヤヒヤでした」
ですって !
|
前穂高を仰ぎつつ
『氷壁』とナイロンザイル事件の話を聞く方々
曇っているけど何とか前穂は見える |
若女将の説明によれば
緑色のニリンソウを見つけると
「幸せになれる」とか
中央の花が緑色のニリンソウです
|
コナシの花の蕾
ピンクの蕾からあの白い花が
なぜ咲くのかしら ?
|
愛染かつら
葉がハ−ト型をしています
|
美男の徳澤園の若主人に
ご満悦のせっちゃん
|
7:00 朝食
楽しそうですねぇ
|
8:00 徳澤園の前で集合
|
日本山岳会東海支部の箕浦さんが集合写真を撮ってくださいました
上段右より、森川さん・姉・稲垣陌子さん・稲垣克次さん・前田さん・菅沼さん・水野さん・
相田さん・中世古さん・尾上さん・山田さん・戸田さん
下段(座っていらっしゃる方)右より
川角信夫さん・大井さん・和田さん・山本さん・私・立岡さん・井田さん・川角久子さん・
井口さん・せっちゃん・鳥山さん・藤田さん
写真をクリックしてください。拡大してご覧になれます
|
出発前のひとこま
|
8:00 帰路につかれる方々
右より、稲垣克次さん・尾上さん・箕浦さん・中世古さん・
和田さん(尾上さん以下は日本山岳会東海支部)・
稲垣陌子さん(克次さんの奥さん)・大井さん
ご苦労様でした
また、お会いしましょう
|
イワカガミ
少し遅いかな ?
盛は過ぎていました
|
ラショウモンカズラ
などの高山植物を愛でながら
横尾を目指す
|
屏風岩が見えた !
|
横尾に建てられた案内板 |
10:00 横尾大橋のたもとで
しばし休憩
|
10:30 三本胡桃の樹から屏風岩を望む
|
岩稜会の社長こと伊藤さん(副会長)と
父のお骨を分骨した三本胡桃
お酒と山田さん作の円空彫りの観音様をお供えして…
|
ここで、涸沢行き組と、帰宅組に別れる
|
「気を付けてね」
「行ってきま〜す !」
|
帰宅組はニリンソウの咲き乱れる中を徳澤園に戻る
|
徳澤の緑に別れを告げて…
|
明神岳を仰ぎつつ… |
13:00 明神にある、「山のひだや」で
お昼ごはん
|
お目当ては岩魚の塩焼きとお刺身
美味しそ〜う ! |
幸せそうな井口さん(右)、と菅沼さん |
梓川の右岸沿いの道を通って
上高地に向かう
立派な樹ですねぇ
|
シウリザクラ
|
15:00 上高地に着
穂高の峰々は雲の中
「涸沢組は降られているかしら?」
|
松本駅にて
東京へ帰る井田さん(親戚)と別れて
名古屋組も帰路に着く
「お疲れ様でした」
|
帰宅組の藤田さん・水野さん・菅沼さん、
準備御苦労さまでした
川角御夫婦・森川さん・井口さん(共に豊田高専OB)・
井田さん・せっちゃん・お姉ちゃん
ありがとうございました
またお会いできる日を楽しみに…
その日までお元気で…
|
さて、涸沢組は…
どんどん晴れ渡る空に感謝しつつ
屏風をまいて本谷へ
|
今年は本谷手前から残雪
雪解け水が冷たそう |
本谷橋を渡る相田さん
|
本谷にてお弁当
一行は8名
相田さん・山田さん
(元高校の教師をしていらっしゃいました)・
山田さんの教え子の戸田さん・鳥山さん・
豊田高専OBの前田さん・山本さん・
鈴鹿高専OBの立岡さん・私です |
残雪の中を
涸沢の登りにかかる
|
今年は本当に雪が多くて
秋に比べてとても楽に登れました
私と立岡さん
|
涸沢カ−ルもべったり雪景色
|
最後の登りを前に小休止
手前、山田さんと戸田さん
|
涸沢ヒュッテに後一歩
|
15:30 ヒュッテの前で記念撮影
右から、山本さん・前田さん・立岡さん・戸田さん・
鳥山さん・相田さん・山田さん
皆さん元気に到着です
|
さて、まずはビ−ルで乾杯 !
そして、ゆるりと歓談です
|
18:00 夕食
涸沢ヒュッテの親分こと小林さんに
お会いできるのを楽しみに
登ってきたけど、不在で残念 !
それでも、沢山呑んで、話して…
|
6月9日(晴れのち曇、一時雨)
|
7:00 朝食後
穂高の峰々に囲まれて
展望を楽しみます
やっぱり来て好かった !
山田さんとその御一行はもう一晩
涸沢ヒュッテで過ごされます
良いなぁ〜。。。
|
奥穂をバックに記念撮影
|
北穂
|
涸沢岳と涸沢槍
|
前穂
|
8:00 涸沢カ−ルを尻セ−ドで下る
楽しいの何のって !
|
尻セ−ドではしゃいでいたら…落石 !
左の大きな石が音もなく落ちて来ました
怖かったよぉ
|
10:00 本谷橋に着く
|
本谷にて
休憩中の面々
|
岩小舎にて |
屏風岩に別れを告げて…
|
ニリンソウとコゴミの群生する中を
徳澤園へ
|
12:00 徳澤園にてお弁当
ここで相田さんとお別れです
相田さんはこの足で埼玉に戻られるので
先に下りられました
いつもありがとう !
お元気で…
|
明神へ向かう途中
突然の雷 !
あんなに綺麗に見えていた穂高の峰々も雲の中
明神で休憩中に雨が落ちてきました
明神館で雨具の用意をして
いざ外に出てみると
もう、雨は小止みになっていました
|
傘を差したのは、ほんの数分でした
|
15:00 上高地に到着
ガスが漂ってとても綺麗
|
15:30 中の湯温泉着
ゆっくり温泉を満喫した後は
やっぱり一杯 !
う〜ん ! ウマイ !!
|
18:30 夕食
涸沢ヒュッテの小林さん
(私は銀お父さんと呼ばせていただいてます)が
来てくださった !!!
なんて、し・あ・わ・せ
お父さんありがとう !
右から、銀お父さん・私・中の湯温泉社長
最後の夜は楽しく更けていきました。。。
|
6月10日(快晴)
|
5:00 中の湯の夜明け
穂高連峰を望む
|
朝食後、銀お父さんから差し入れの
マスクメロンをいただく
その美味しかったこと !
|
10:00 中の湯の駐車場にて
立岡さんの車に便乗して松本へ
松本にて昼食後、名古屋に向かう
16:00 鈴鹿着
帰ってみると鈴鹿の庭には
大輪の額紫陽花が揺れていました
|
ケルン墓参の旅も無事終わりました。
今回の旅を通して感じたことは、
「本当に父母に守られているんだなぁ」
と言う思いでした。
出発前の天気予報は8日からは曇りで、下り坂模様。
山のことでもあり、私は初めての本格的な
雨を予想していました。
そして「穂高の峰々とは会えるだろうか。屏風岩とは…」
と、弱気になっていました。
ところが予想に反して、
今回もまた素晴らしい山々と出会え、感激しました。
ケルンでの吉川さんとの出会いにも、びっくりでした。
そして、もう一つ。徳澤園から涸沢に向かうのに
晴れるとは思っていなかった私は、
サングラスを置いてきてしまいました。
屏風が見え始めるころから晴天となり
「涸沢の登りでサングラスがないと、
雪目になっちゃうなぁ。困ったなぁ」
と周りの方達と話していたら
「あれ、こんな所にサングラスが落ちてる。
使ったらどうでしょうか」
と、水野さんが拾って綺麗に拭いてくださいました。
かけてみたら、何と ! ぴったり !!
まるで、用意されていたかのように…
「きっと先生があづみちゃんが困らないように、
置いてくださったんだね」
と、周りの方々がおっしゃり、本当にそうだと思いました。
父母に守られ、父母縁の方々に支えられ
私はとても幸せ者だと思います。
参加してくださった皆様
本当にありがとうございました。
これからも、拙い娘ですが、
どうぞよろしくお願い致します。
6月18日記
|
毎度のおまけで〜す
今、整理中のスクラップブックの中で、こんな写真を見つけました
ご覧ください
|
ケルン墓参と父
|
|
昭和31年7月
ケルンが建立されて、初めてのケルン墓参
右から6人目のス−ツ姿が父の父、若山 繁二
その左隣が父
前の着物姿が父の母、若山 照尾
ケルンでお参りしていらっしゃるのは
父の恩師 須賀 太郎先生
|
|
昭和50年10月1日
同年6月5日にザイルの安全基準が公布された。
父は松田さん(屏風岩初登攀のザイルパ−トナ−)と母と三人で
ひっそりとケルンを訪れた
下の文は父が残した墓参時の思いです
自筆のまま掲載します
|
|
昭和50年11月10日
10月の墓参から帰ってすぐ、NHKから「もう一度墓参に」
と、頼まれ、岩稜会の方々や親族など
約30名で墓参に出かける
左写真下段右より
石原さん(ナイロンザイル事件の時、五朗叔父さんのザイルパ−トナ−)
姉・母・ケルンをはさんで祖母
下より二段目右より
藤田さん・相田さん・一人飛んで山田さん・父
最上段左より
二人目大井さん
今回来てくださった方々のお顔が写る
|
|
平成15年6月26日
亡くなる前年に『ザイルに導かれて』出版祝賀会が
上高地西糸屋山荘で行われ
その翌日、皆様のご協力で
久々にケルンに詣でる事ができました
真ん中タオルを首に掛けているのが父
|
|
同上の時の写真です
袈裟姿の倉橋さんの左隣が水野さん・
左に私・父・山田さん・前田さん・森川さん
他に、今回参加のほとんどの皆様が
ご参加くださった会でした |
屏風岩と父
|
|
昭和52年6月4日〜6日
屏風岩初登攀30周年記念にて
在りし日の岩小舎前で
右より松田さん・父・本田さん
共に屏風岩の正面岩壁を落としたつわものです |
|
同上の時
第一のガリ−から屏風岩を見上げる
岩稜会の方々と父 |
|
平成5年10月13日〜15日
屏風岩初登攀50周年記念にて
岩小舎前で(この時には崩落していた)
下段中央で白いタオルを頭に巻いていらっしゃるのが中世古さん
岩稜会の藤田さん・山田さん・大井さんの顔も見えます
皆様、延々と父を支えてくださいました |
父の資料の整理は、藤田さん・水野さん・菅沼さんの全面的なご協力で、デ−タ化され『年表』の形で進んでいます。
豊田高専OBの方々は「定年退職したら、お手伝いに行こう !」を合言葉に頑張ってくださっています。いつまで掛かるか ??? ですが
ケルン墓参や屏風岩の写真など、また、新しいものが見つかったら掲載したいと思っています。
今後ともご支援よろしくお願いします
|