表紙・扉写真 2005年6月、横尾からの前穂高岳 澤田栄介氏撮影 |
|||
この本は、昭和30年1月前穂高岳東壁で当時1トン以上の力で引っ張っても切れないとメ−カ−が保障した画期的な新製品、ナイロンザイルがあっけなく切れて山岳会岩稜会会員が墜死したことに端を発して起こったナイロンザイル事件の真実を多くの方々にわかりやすく知っていただくために書かれたものです。 本の語り部である父は刊行を待たず昨年8月に逝きました。健在なら89歳の誕生日を迎えるはずだった日を発行日としました。 本の筆者である相田さんは元朝日新聞社の記者で、35年の年月をかけて父とナイロンザイル事件を追い続けてくださいました。この難解なナイロンザイル事件と晩年の父の言葉を文字にしてくださり、当時の事件関係者の皆様にもお話を伺いに歩いてくださいました。 そして、やっと出版されたこの本は、父の遺言の書であり、命の尊さ・真実を追究することの大切さを語った本でもあります。 序文・はじめに・本の読み方・目次の部分を下記に掲載しました。お読みください。 上の写真はこの本の表紙・裏表紙の見開きです。 |
|||
序序文 財団法人日本極地研究振興会理事長 鳥居鉄也 石岡君、いや、あえて、ここでもバッカスと呼ばせてもらった方が、旧制の八高に入学して山岳部入部を誘われて以来の彼とのつき合い、彼の人柄がより読者には理解していただけると思う。 大学はバッカスが名古屋、私は東京と別々になった。以来、二人は山行を共にすることなどはなかったが、その人柄から彼は私にとって身近な存在だった。 「バッカス」は言うまでもなく、ギリシア神話の酒神バッカスにちなんだものだが、彼は単なる酒好きではない。彼は、老若を問わず人の話をよく聞いた。バッカスの周りに多くの人が集まり、議論の場になったゆえんだ。 ナイロンザイル事件で、バッカスは驚異的な粘り強さを見せてくれた。実験に基づく科学的で客観的なデータ、事実の積み重ね、関係する人たちから寄せられた証言の数々は、緻密さ、誠実さ、人の言うことに耳を傾けるという彼の人柄がナイロンザイル事件の解明に反映し、結実したものだ。 昭和22年、登攀不可能といわれた穂高・屏風岩中央カンテを旧制中学生らと共に命をかけて初登攀した登山家としての強靭な体力、危険な状況に陥っても冷静さを失わない精神力、知力、体験が、ナイロンザイル事件をたたかったバッカスの人生とダブって見える。50年余前、従来にない強度を持つとされた最新鋭の保証付きナイロンザイルが簡単に切断し、実弟である岩稜会員が命を失ったことは、ザイルが登山者の命を守る製品である以上、登山家バッカスにとってゆるがせに出来ない問題であった。なによりも安全を第一に考えなければならないと判断したのは、登山家としての人格の根幹そのものであった。同時に、それは社会に共通する問題であった、ということだ。ナイロンザイル事件は、人間性そのものを考えさせる問題でもあった、と思う。 酷寒の北アルプス、一般社会から隔絶した絶壁で起きた思いもかけないザイルの切断。その原因を実験で究明し、社会に訴えたバッカスにとって当時の登山界の常識、社会が向ける目は、登攀することを拒否するようにそそり立つ屏風岩そのものであったに違いない。しかし、バッカスは、高く、巨大な見えない絶壁をじりじりとだったが、着実に克服した。彼の真骨頂である。 平成18年8月15日、バッカスは先立った敏子夫人を追って旅立った。本書はバッカス最後の著作、「遺書」である。 21世紀を担う人たちに、人の命や安全を無視する社会を繰り返させることがあってはならない、とナイロンザイル事件を通して語りかけるバッカスの肉声が聞こえる。 平成18年11月 |
|||
はじめに―若い人たちに伝えたいナイロンザイル事件 岩稜会会長 石岡繁雄 私は、三重県鈴鹿市に昭和21年(1946)につくられた「岩稜会(がんりょうかい) 」という山の会の会長をしています。 岩稜会では、会のスタート時から岩壁の登攀をやっていました。 日本の登山界では、昔から岩壁を登る時、命綱にするロープのことをドイツ語のザイルという言葉をそのまま使っていたんですが、昭和30年(1955)正月、岩稜会員が、1トン以上の力で引っ張っても切れないとメーカーが保証したナイロン製のザイルで前穂高岳東壁を登攀中、従来の麻ザイルでは考えられない条件で切断しました。これによって、会員一人が北アルプスで転落死亡したことに端を発した事件が「ナイロンザイル事件」です。 この問題を素材にして、作家の井上靖氏は『氷壁』を執筆、朝日新聞に翌31年(1956)11月から9か月余連載しました。小説の完結後、作品は同じ題で映画化もされています。2006年初めには、NHKテレビでリメーク版の『氷壁』が放送されましたが、ナイロンザイル事件の当事者であり、長い間この問題を訴えて来た私としては、ナイロンザイルの切断ではなくカラビナの破壊に設定が変えられたことで、現実の事件の核心から逸れてしまう結果となり、残念ながら少なからず不満が残る内容でした。 ナイロンザイルは、ある種の条件で致命的な弱点があることを、私たちは実験により突き止めました。登山者が墜落死亡したために、ザイルメーカーは日本山岳会の関西支部長である専門家の指導で公開実験をしたのですが、その弱点をある種の細工をすることによって隠したことから、私たちの長い闘いは始まったのです。 非常に危険な弱点をもつナイロンザイルの切断事故が、この公開実験以来、あたかもザイル切断原因は使い方にあったかのように誤解されることになりました。日本山岳会は、自らが編集する『山日記』に、この公開実験に基づく記述を掲載し、登山者の生命を危険にさらすことになったのです。これは、登山者の安全より企業の利益を優先するという企業犯罪に結果として加担させられた、と言えます。 私たちは、登山者の生命に関わるザイルは、その弱点をメーカーがはっきり認めザイル使用者に明らかにしないと、岩稜会員と同じようなことが繰り返されると考え、メーカーと日本山岳会に弱点の明示を求めたのです。後になって、それは製造物責任賠償法(PL法)の精神であるとわかったのですが、私たちはメーカーなどに対して、補償や賠償を一切求めることはしませんでした。ひたすら、命に関わるザイルの弱点を明らかにするべきだ、と訴え続けたのです。 事件以来50年、ナイロンザイルにかかわってきた私は、大正7年(1918)生まれですから88歳になりましたが、ずっと、この問題は人の生命を考えるという点で、山岳界の問題だけにとどまらない社会全体のテーマであると理解してきました。 ナイロンザイル事件について語ったり、山岳関係の本や雑誌、新聞に書いてきたことは百回にもなるでしょう。しかし、限られた時間、紙数だけに、皆さんに十分理解していただけたとは思っていません。 私たちが体験したことと同じような事件は、今日もなお同じような形で起きています。そういうことが起こるたびに、私は21世紀を担う若い人たちに、ナイロンザイル事件の解決がなぜこんなに長引いたのか、企業や学問、科学技術にたずさわる人たちが社会的な責任というものをどう考えて行動したのか、また事件の渦中で示された人間の真実といったことを、理解してもらいたいと思ってきました。本書では、複雑な展開をしたナイロンザイル事件を、できるだけ理解してもらいやすいように語ります。それを、30数年来ナイロンザイル事件を取材してきた相田武男さんにまとめてもらいました。なお、肩書や役職などは、当時のものをそのまま使わせてもらいました。 平成18年8月4日 |
|||
《本書の構成について記しておきます。この本は大きく二部構成になっています。前半が石岡繁雄さんの話を相田が記録したもので、そのなかで取り上げては通読しにくくなる関連事実やエピソード、また参考資料などについては、石岡さんの語りをまとめたあとで補足的に説明し、それらの部分は、この文章と同じようにすこし小さなポイントの文字で《 》に入れたり、資料として見出しを付けて示しました。石岡さんは、小さい文字の部分は読み飛ばしてもナイロンザイル事件が理解できるように語っています。しかしながら、それらを読んでもらったほうが、より深く事件を理解できると思います。 本書の後半には、資料編として当時の石岡さんの著作や関連する文章を掲載しました。資料編は、いっそう専門的にナイロンザイル問題を考えてみようとする読者や登山家のために紙幅の許す範囲で掲載したもので、それぞれの冒頭に資料の簡単な解題を付してあります。さらに詳しい資料に関しては、奥付に記載したホームページから問い合せていただくこともできます。そして、巻末にはナイロンザイル事件関係年表を付しておきました。 なお、本文中に見られる「今年」「現在」といった表記は、平成18年を基準にしたもの、また文中の〔 〕内表記は理解を補うために注として入れたものです。本書の本文と資料類は半世紀近くの隔たりとさまざまな発表形態のために、漢字表記、数字や単位記号などが多岐に及んでいます。本文に関してはなるべく統一しましたが、資料類は発表時の雰囲気も考え、必ずしも統一してありません。 ―相田武男記 |
|||
■石岡繁雄が語る氷壁・ナイロンザイル事件の真実/目次 序 鳥居鉄也 はじめに―若い人たちに伝えたいナイロンザイル事件 石岡繁雄 本書の構成について T 挑 戦 下界で初正月 岩稜会誕生のいきさつ 冬期初登攀計画 遭難! 「ザイルが切れた!」 「明神五峰でも」 原因究明 報告書だ! 科学的調査の必要 U 疑 惑 失礼な手紙 手製の実験装置 「登山者の生命守るために―」 「切れる」と明言 公開実験への伏線? 「手品だ!」 いわれ無き批判 研究者にもインチキ実験 空虚な「論」続出 遺体発見! 判っていた「弱さ」 登山家の良心 詳細に現場調査 裏付け実験 そろった「反証」材料 再び偽る 困難な道を選ぶ 名誉毀損で告訴 岩稜会への激励 東京製綱の実態 V 波 紋 なぜ面取りを? 『山日記』に問題 出されない反論 これが検事の調書? 公開質問状 無視された登山者の命 続く「ザイル切断」 W 決 着 1日に2件の切断事故 15年前と変わらぬ弱さ ザイルの限界をなぜ示さない 追及再開 三重県岳連、再度の取組み ナイロンザイルの普及 本当の公開実験 命を守る技術 東京製綱の反応 世界初ザイルに基準 「見守ってくれ」 岩稜会員に支えられた闘い 最後の険しい峰 訂正に向かって急加速 最後の『事件報告書』 本文挿入資料一覧 澤田栄介「前穂高岳東壁遭難報告書」 大阪市立大学・大島健司氏からの手紙 若山繁二「私達の言葉」草稿 石岡繁雄「切れたナイロン・ザイル―“世にも不思議な出来事” 」 木下是雄氏からの手紙 名古屋大学工学部での実験 春期捜索行 昭和30年4月23日〜5月6日 夏期捜索行 捜索遺体発見から収容まで 加藤富雄「岩登りに於けるザイルの破断とその対策について 」 篠田軍治・梶原信男・川辺秀昭「ナイロン・ロープの動的特性」 (昭和30年秋季応用物理学連合講演会講演予稿集T) 篠田軍治氏から石岡に届いた手紙 『ナイロン・ザイル事件』の冒頭に掲げられた宣告の全文 『1956年版山日記』「登攀用具」中ザイルに関する記述 岩稜会「第一回公開質問状 」 三重県山岳連盟「ナイロン・ザイル事件論争を終止するに当って 」 ザイルの切断事故(1980年までの調査) 篠田軍治氏から若山富夫への返信 篠田軍治氏から日本山岳会『山日記』担当理事への手紙 岩稜会が日本山岳会に通知したお詫び案の全文 『1977年版山日記』に掲載されたお詫びの全文 [資 料 編] 篠田軍治・梶原信男・川辺秀昭「登山用ナイロンロープの力学的性能」 岩稜会「前穂高東壁事件について」(『ナイロン・ザイル事件』より) 石岡繁雄「ナイロンザイルの強度(下) 」 斎藤検事からの不起訴理由の告知 岩稜会「第二回公開質問状 」 岩稜会「第三回公開質問状 」 石岡繁雄「『氷壁』をめぐって 」 石岡繁雄「ザイルの選び方と使い方―安全基準に関連して 」 石岡繁雄「ザイルの安全基準はどうなる―安全基準の歴史と今後の方向 」 石岡繁雄・笠井幸郎「登山綱の動的特性と安全装置の研究 」 石岡繁雄・笠井幸郎・山木薫「登山用緩衝装置の研究 」 石岡繁雄「ナイロンザイルの岩角での実験」(『登山研修』第5号より) ナイロンザイル事件関係年表 私にとってのナイロンザイル事件 相田武男 |