1.11月6日(水):S42年頃豊田高専で先生に教えていただいた生徒です。物理の先生のはずが、想い出は山の話ばかりです。その中でメーカーと戦った先生の話は迫力がありました。今こうして展示をみていると“あー、先生は我々に多くを語ったのに我々が受け取ったのはほんの一部だったんだな”とつくづく思い知らされました。先生安らかにお眠りください。<A.> |
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2.(日付なし):余人よりは身近に先輩と仰ぐ立場に居乍ら、いかに知らなかったか知ろうとしなかったか今日思い知りました。
バッカス先輩のご冥福をお祈り申し上げます。
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3. 11月9日:純粋に科学的知見で誤った判断を訂正させ、不幸が今後なくなるように願った行動が“社会的権威”にブツかった時、それを乗り越えることがいかに困難で、苦しいことか、つくづく考えさせられました。それにもかかわらず、肉親の情と社会的公正さ、登山者の生命の安全に立ち向かい続けた石岡さんに感動を覚えます。つい最近も薬の試験結果の“ネツゾウ”問題があちこちの大学で発覚しました。今も昔も、カネを握っている企業と企業にオンブしている大学のなれ合い体質が残っている事に、無性に腹が立ちます。“学者の良心”はどこにいったのだろうか。
<T.> |
4.11月9日:名大の院生をしています。見学に来るまで事件の存在を知りませんでした。工学倫理の教科書にも取り上げられるべき事件だと思います。訴訟はさぞ大変で困難を極めたであろうこと、拝察申し上げますとともに、今回の展示を多くの人に見ていただきたいと思いました。
<T.K.> |
5.11月9日:石岡さんは、よく頑張ってたたかったと思う。メーカー、山社会との今でいう
“癒着”を感じる。また製造物責任法というものが当時あったなら、それに関係してくるように感じた。石岡さんの働きがあったからこそ、現在の安全なザイルが存在していると思います。
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6.11月9日:1955年の事件発生から約20年という間の不屈と執念の心に敬意を表します。被害者家族という極めて感情的になり易い立場でありつつ、科学的・客観的事実・実験を積み立てて、立証していくという姿勢にも共感を覚えました。
<T.I.> |
7.11月9日:多くの資料が残されていることに驚きました。資料の整理、展示準備大変な作業だったと思います。どんな場面においても信念をもって、科学的な視点で仕事ができるように、改めて考える機会となりました。
<S.K.> |
8.11月12日:定時制高校山岳部時代(1945年)岩登りを細々と始めたものです。当時山岳会に大きな話題になり、私たちも石岡氏の記事を朝日新聞紙上で熱心に読み真実を知ろうとしたことが、今健在できている理由の一つです。
つまり、ドッペルザイル、ランニングビレイなど、取り入れ必死に練習したものです。企業の不利にならないように鑑定を意図する学者は、残念ながら後を絶ちません。
部門は違って、イタイイタイ病しかり水俣病しかりです。人類の幸せを願って、事実に基づいた鑑定をしていれば、正しい結論はもっと早く、もっとすっきりしたはずです。
近くは大日岳での積雪期登山学校(主管:当時文部省)で山中で休息中、生徒2名(大学生)が生還できなかった件で、当時の登山研修所、文部省は謝罪すら認めませんでしたが、遺族、労山、民主的弁護士、市民の粘り強い「事実を明らかにする運動」=裁判で、ついに全面的に勝利!文部科学省幹部が2名の墓前に「ごめんなさい」と謝罪しました。運動に協力した一人として、あきらめないで頑張ってよかったと思います。かつて石岡氏が粘り強く真実を社会に訴え続けてこられたことが勉強になりました。
ナイロンザイル事件を社会的に明らかにしてくださり、ありがとうございました。白馬村から来てみて、感動いたしました。
<S.T.> |
9.11月14日:幾年か前、山好きの知人から一冊のサイン本を購入する。複数冊持っているのでと、手放されたものであった。その際『氷壁』の初版本も入手する。セットで我が家にやってきた二冊は、ザイル事件自体はかすかに知っていたが、麗山の山懐のふもとで、このような事件とザイルの研究と事実をつきつめてみえた事を、初めて知る機会となりました。また、開くこともしていない屏風岩登攀記をゆっくり開いてみようと思います。氷壁の方は恋愛ドラマ仕立てですが、ザイル云々という個所を読むにつけ「その一行」の中に、井上氏の石岡氏への熱、思いを感じ取ることができます。今展示を見せていただき、誠にありがとうございます。
<M.H.> |
10.11月15日:信念の人を貴重な資料をとおして知ることができました。多くの人に見てもらいたい企画です。(愛の人でもありましたね)
<T.O> |
11.(日付なし):すごい信念を持った方ですね。現在ではめずらしい。大切な資料を見させていただきました。
<T.S.> |
12. 11月16日:ザックを背負わせていただきました。私の方には、今後、まだまだ背負うべきものがある! そう思う貴重な体験に感謝致します。
<K.> |
13. 11月21日:豊田高専に見える時、自動三輪を学生の教材として製作させて頂きました。鈴鹿高専に移られて昭和46年にザイル試験装置を製作させて頂き、その後退職されて高所安全研究所を設立され、ホテル用・安全具を試作させて頂きました。長い間、色々有難う御座いました。
<H.N.> |
14. (日付なし):ザイル事件について詳しく知れてよかったです。来月、井上靖文学館に行く予定があったのでタイムリーでした。<?> |
15. (日付なし):学者が資本主義体制の論理に屈服して事実をねじ曲げる典型的な事件、数多く事例がある。
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16. (日付なし):篠田軍治は許せない!今の役人、政治家にも多いが、ナイロンザイル事件のことが良く判りました。貴重な資料と石岡さんの熱意に胸が熱くなりました。
<G.> |
17. (日付なし):ジャパニーズヒステリック、ジャーナリズムの典型。切断用具を使えば何でも切れる。一般的な知識じゃないですか。
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18. 11月26日:ナイロンザイル事件の概要は「氷壁」を読んでから(学生時代)関心を持っていたこともあり、知ってはいましたが、これだけ沢山の資料をじっくり読んだり見たりしてよくわかりました。今日はDVDが観られなかったので、また来たいと思います。
<K.K.> |
19. 11月30日:展示が正確でていねいにあらわされていました。すばらしいと思いました。ナイロンザイルの安全性の確保のために取りくまれたことがよく表現されていると感じました。
<S.K.> |
20. 11月30日:子供のころから谷川岳に良く登りました。この事件については学生のころに知りショックを受けた。ここでロープに出会える事になるとは思いませんでした。
<K.N.> |
21. 11月30日:「氷壁」とはナイロンザイルが今から60年近く前(S30年)に切れたことである。物事の処理の仕方が今と余り変わっていないように思います。それは良いことではありません。出来る限り安全で信頼が必要です。まず新しいものは状況に合ったように検証、製作しなければならない。
それは実際の力に対して安全率を何倍にするとか、条件を決めて製作し信頼性を向上しなければならない。そのことが人の幸せである。それらは人がすることで人は遺伝と心によって1人1人異なった人間性ができる。
社会でも仕事でも多くの人が関係するのでその異なった人々の考え方を一つの方向にしなければならない。それが人間の力である。そのベクトルを合わせないと結果はバラバラであり、人間の幸せはない。人間の知恵、科学の知恵を学ばなければと思う。信頼性工学、人間工学が大事となると思う今日この頃である。
<A.> |
22. (日付なし):貴重なお話をありがとうございました。
<Y.H.> |
23. (日付なし):鈴鹿高専での公開実験当時在校生で、石岡先生の物理の授業を受けておりました。在学時には大した関心もなく(ザイル事件発生時に生まれましたので、当時の在校生には記憶がありませんでした)、ただ変わり者の先生がいるとの感想に終わったのは残念です。
その後先生の功績を知るにつけ、御存命中に親しくお話しできたらと心残りでなりません。今回の展示資料は末永く保存して下さるようお願いします。
<Y.K> |
24. 12月3日:若い頃の登山の思い出がよみがえってきました。一つ一つ拝見して、とても勉強になりました。ありがとうございます。
<F.> |
25. (日付なし):先人達のひとつひとつの苦労が歴史に刻んでいて感動しました。これからも永く功績を残してください。自分も山が好きなので、これからも山に登っていきます。彼の心・意志は素晴らしい!!おかげでいろいろ勉強になりました。
<T.M.> |
26. (日付なし):真実の追及に20年もかかるとは驚きです。氷壁ナイロンザイル事件の真実を読んで、此処の催しを楽しみに飛んで来ました。良い勉強になりました。
<M.> |
27. (日付なし):父は昭和44年生まれで、技術系大学出身のアルピニスト。幼い時から父と登山やスキ-を楽しみ、形見のピッケル(門田製)と木のスキ-板、カンジキなどを大切にしています。石岡さんと重なる所が大いにあり、感慨無量です。山の写真が多量に残されましたが、死後17年になるというのに、触れるのが辛いのでそのままです。
<K.M.> |
28. 12月7日:どんな災害も、半分は人災だと何かで読みました。権威主義と戦うのは風車に挑むドンキホーテのようで少し悲しい。しかしそうした人がいなければ、人災はいつまでも続いていくでしょう。私たちはどう考え、どうしていくか、永遠の命題だと思います。
<M.> |
29. (日付なし):学会で名大に来ました。見ごたえがあり、短時間では見学しきれないのが残念です。
<S.K.> |
30. 12月25日:20代の時期に「氷壁」を読み、深い感銘を受けました。博物館の友の会の会員であり、今回の展示のご案内をいただき、川崎市から来ました。とても興味深い内容で来て良かったと思います。
<K.U.> |
31. 12月27日:なつかしい気持ちでいっぱいです。今から40年程も前なのに記憶は鮮明です。海星高校の物理の授業でお世話になりました。物理より山の話が楽しみで毎週先生が学校にきて下さるのを楽しみにしていました。氷壁の話、屏風岩を登られた話、鈴鹿の山を登られた話など、次々と興味深い話をして下さいました。そんな40年も前の記憶がよみがえります。ほんのわずかな数か月の出会いでしたが、石岡先生にお会いでき光栄です。時々新聞で先生のご活躍の様子を知り、なつかしくお会いしたいなと思いつつ記事を切り抜いたりしておりました。今日ここを訪れ、先生の業績の迫力に感動しました。ありがとうございました。
<M.Y.>
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32. 2014年1月7日:合繊は強い、天然繊維は弱いという常識にとらわれず、真摯に事故原因の究明に取り組まれた石岡様に尊敬の念を強く持ちました。また、素敵なご夫婦の姿にも感銘を受けました。深くご冥福をお祈りします。<H.S.>
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33. 1月8日:「氷壁」の事件の真実の解明に信じられないほどの年月がむかかっているとは聞いていました。今回の展示で石岡さんの実験の繰り返しによる原因究明の執念とそれ程までしなくては安全性に疑問を持たない-というか安全神話を正当化しようとする企業との命に対する思いの大きな隔たりを知りました。石岡さんのおかげで今のアルピニストの安全があることに深く感謝せずにはいられません。事件の全容を知ることのできる貴重な展示でした。
<M.H.>
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34. 1月17日:ナイロンザイル事件は物心ついた頃(昭和30年代)から私の記憶にあり、新聞・テレビ等で見聞きして気にしていました。井上靖さんの氷壁も、前穂高の岩稜も横尾に向う時、しみじみと見上げていました。現在8mm×20mの細引きを持っていますが、常識として鋭くとがった岩では使用しないとのことは、石岡さんのおかげで見に付いた事だったんだと改めて認識いたしました。ありがとうございました。
<C.T.>
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35. 1月18日:豊田高専に入学当時1学期すべて山の話で面食らったことを思い出しました。しかし、よくこれだけの記録が整理・保存されていたことに感心しました。ナイロンザイル事件の事実に基づく解明は、技術者の心として今も心に残っています。
<S.M.>
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36. 1月21日:以前唐沢からパノラマをこえて上高地へ下る時、若山さんのケルンを通り、更に下り上高地の店でナイロンザイル事件の真実を買ってゆっくり読みました。井上靖さんの「氷壁」のうらにはこんな事実があったのかと驚きました。石岡さんの努力といったら、すごいものだと強く感じました。真実が明らかになって本当に良かったと思います。私もこれから安全に山を楽しみたいと思います。
<恵那市 S.H.>
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37. 1月21日:ただただ何とも言えない感情になりました。しかし、こんな近くにすごい展示物を置いてもらったことに感謝です。<H.T.>
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38. 1月25日:小説『氷壁』から当展示に興味を持ちました。自動車製造にかかわる者として、作業者ならびに使用者の安全に資する設備の開発を進めてまいりたいと思います。
<平成22年度卒 S.>
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39. 1月25日:遅くなりましたが、やっと寄らせて頂きました。全て、なつかしく拝見させて頂きました。展示された関係者に敬意を表します。
<J.M.>
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40. 1月28日:子供の頃、父から石岡教授のお話はよく聞いておりました。鈴鹿高専の先生の研究室に出入りしていた父は、先生からの依頼で色々な実験用の材料や器具を作っており、本日の展示の中にも、私が子供の頃に“おもちゃ”として遊んでいたもので同じものがありました。父は昨年他界し、本日は父の思い出と共に楽しませていただきました。ありがとうございました。
<I.W.>
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41. 1月29日:常設展は小学生の社会科見学にしてもらいたいと思います。スケ-ルが大きくて、アンモナイトの大きさにはびっくりしました。何と言っても触れることが出来るのは小学生は喜ぶと思います。説明させる方が扱い方に注意すれば子供たちも良い経験が出来ると思います。石岡氏の心の強さは、物事への対処ただ感心するのみ。20年も一つの事にかかわられたのは、ある意味幸せだったと思います。いろんな人の支えもあると思います。とにかく、感動物でした。来て良かったです。<F.>
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42. 1月30日:井上靖文学を敬愛しています。『氷壁』に関連する展示で来ようと思いながら最終日になんとか拝見できて感慨無量です。小説と映像作品は山と恋愛という部分が目立ち、そこが魅力なのですが、弟さんを亡くされた石岡さんの執念がザイルの安全基準を改めることにつながったことを改めて確認しました。石原さんの講演も聞きたかったのですが、こうした企画をされた関係者の方々に感謝いたします。
<Y.U.>
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43. 1月30日:三重大学時代、山岳部の友人がワンダ-フォ-ゲル部から「部員数が少ないから一緒にならないか」と言われて『氷壁』のモデルにもなった伝統ある山岳部に何を言うか!と怒っていたことを思い出します。
<K.(67歳)>
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以上、43名の方々から
ご感想をいただきました。 |
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