<その2:若山家の怒りと、ナイロンザイル切断の波紋>
昭和30年1月17日~1月31日まで
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最愛の末息子を亡くした若山の祖父繁二は、その悲痛な叫びを、NHKの朝6時30分からのラジオ番組「私達の言葉」に投稿し、昭和30年1月17日に放送された。
その内容については、『真実本』『ナイロン・ザイル事件』に全文紹介されているので、ここでは祖父手書きの原文をご覧いただきたい。右のNHKに投稿した表紙をクリックしていただければ、全文がお読みいただける。
祖父が叔父遭難の報せを受けてからの悲しみの深さと、人命を預かる切れないと保証された最新鋭ナイロンザイルが、宣伝とは裏腹に脆くも切れてしまったことへの怒りをあらわにしている。そして、若い登山者に警鐘を鳴らしている。
祖父はこの時72歳になっており、前穂高に散った叔父のところへ飛んで行くこともできず、思い余ってラジオの力を借りたのだった。
祖父が投稿した原文の中で、東京製綱株式会社は「T社」と仮名で、また以下の文章は削除されて放送された。
世の中には人道に反する、悪質誇大にして然も己が利すれば他を省みざる類の宣伝を平然として居る者のある事に御注意願い度い。
祖父の想いをお読みいただければ幸いである。
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1月18日付 田中栄蔵氏宛、父の手紙
五朗叔父が墜落死して新聞に掲載されてから、山岳関係者や知人などからお悔やみの手紙が何通も届いた。その中に田中栄蔵氏(ペンネ-ム諏訪多栄蔵氏)からの物もあり、父は返信を1月18日付で田中氏に出した。その手紙のコピ-が、昭和50年代から交流のあった日本勤労者山岳連盟の伊藤正俊氏から昭和60年6月15日に送られてきた。田中氏と伊藤氏がどういうご関係だったのか、定かではない。
30年以上の歳月を越えて父の手元に届いたこの手紙は、遭難当時の父を物語る資料である。
久しく御無沙汰致しておりまして申し訳ございません。
考えてみますれば、ヒマラヤのことで貴兄宅をお伺いして以来のことです。早くお手紙をしなければと思いつつも、言い訳があまりに多くて、どのようにお詫び申し上げてよいやらと思い悩んでおるうちに、遂に今日になってしまいました。喪心お詫び致します。
先日、お見舞いのお手紙いただきましたように、20年間の私の山歴に遂に遭難を記録してしまいました。それが、私の弟という、誠に思いがけない形で発生してしまいました。( 弟であったことはせめてもの罪滅ぼしと考えています)
かねて覚悟していたこととは言え、人間にとっての最大の悲しみは、ひしひしと私をさいなみます。
今度のリーダー石原にも、また私自身にも、また隊員にも反省すべき点はあまりに多く、一つ一つが涙の種となります。東壁の第二テラスか、Cフェ-ス直下か、あるいはB沢に、今弟が冷たく横たわっていようとは考えられません。元気で出て行ったそのままの姿で、帰って来るように思われてなりません。2日夜の恐ろしい電話。3日朝慌ただしい出発。岩壁に残った二人の救出。弟の遺体の必死の捜査。何ものも得ずして両親に会うつらさ。すべては夢のようです。
しかし、結局ザイルの切断に思いは集中してゆきます。ザイルさえ切れなかったら、否、いったい何故切れたのだ。そんな馬鹿な筈がない…全くどうしてよいか分からない感情にかられます。結局、私としてやるべきことは、この理由を究明することによって、このような悲しみが二度と起きないようにするということだと考えます。(大それた試みで到底出来る筈はありませんが、少しでもそう努力したいと思っています)貴兄にも、無私の御協力がお願い出来ると確信致します。或は主客転倒する可能性が大ですが、どうかお願い申し上げます。
実はザイルの切断について、同封ガリ版刷りの物を作ってしまいました(原稿は1月7日上高地で)が、出来得れば、このような推測によるものを、印刷発表する前に、よく実験し、或は夏まで待って現場調査してからにするのが、本当だと思ったのですが、1月6日の朝刊(毎日)で、竹節さん(毎日新聞運動部長)の記事で、東壁のザイル切断はザイルの欠陥でなくて①ザイルの扱い方悪し。②古ザイル使用。③ザイルテスト不備。④ザイル細すぎ。その他であろう。と書かれてありましたのと、実験するにしても費用その他で簡単にはゆかないかも知れないと考え、ともかくさしあたって、当事者である私達の見解及び事実について発表すべきで、もしも竹節さんの言が正しくなくて、ザイルそのものに欠陥があったとすれば、また次の遭難を起こす可能性があると怖れたからです。それで1月7日、上高地ホテルで大急ぎで作って、同じ物を5部写し、1月8日下山の時松本で、朝日・信毎・中日に渡しました。(ザイルの切れ口などの写真を撮られました)そのうち中日では大部分記事となりましたが(記事とする前に、ザイルを売ってくれた熊澤氏に私の記事を見せ、記事の内容、特に販売状況が間違っていないか、確かめられました)朝日では全然出ません。私はこの理由が分かりませんが、①私の記事の誤り、または穏当でない。②メ-カ-の圧力。③その他と思っています。(欄外に→を使用して朝日新聞に出なかったことについての書き込み有)←実は小生、14,15,16,17と発病、病床にいましたので知りませんでしたが、15日夕刊に出たことを今知りました。藤木九三先生(登山家。ロッククライミングクラブRCCを設立。著『屋上登攀考』『雪・岩・アルプス』等) はご存じでしょうか。ザイルの切れ口については、梶本さん(関西登高会、梶本徳次郎氏。東壁での遭難時に救援)もよく御存じです。尚、梶本さん方には格別御世話様になりました。貴兄からも誠に感謝していたとお伝えくだされば幸いです。誠に話がちぐはぐですいません。
救出された二名については梶本さんよくご存じですが、ともかくも助かったことは、不幸中の幸いと存じます。凍傷の模様は、医者自らもよく分からないらしくて、今尚はっきりしたことは言ってくれませんが最悪の場合、澤田の右足親指切断だそうです。とにかく凍傷には経験のない医者ばかりです。何か良い御教示はありませんでしょうか。
私たちの将来に関する問題が、次に浮かびあがります。神戸の町、三重県の反響は、むしろ岩稜会の結束、向上を、求める声が現在強いとのことで、私にとっては、非常に意外な現象です。しかし、私自身は、今回だけでなく、会そのものに多くの反省すべき点があり、そういうものが、各自反省され、完全に修正されるのでなければ、次の遭難はまた可能性があることになって、それならばむしろ解散すべきだと考えるのですが、しかし、解散すれば各自でたらめに山に入って、むしろ遭難の危険を増すという市民の声に、一体どうしたらいいかと思い悩みます。名案はありませんでしょうか。しかし、反省すべき内容を申し上げていないので、難しいのですが、個性、従来の技術そのものに対する欠陥等微妙で、一度お目にかかりたいと思います。
次に、これからの会の目的とも関連しますが、実はこのことは、既に申し上げていなければならないことなのですが、言いそびれ、申訳もありません。あるいはご存じかも知れませんが、昨年7月長越さん(登山家で山岳小説家ペンネ-ム安川茂雄氏)から新島さん(出版社朋文堂社長)の依頼とのことで、穂高の岩場ガイドブックを書いてくれと頼まれました。これは既に貴兄の『穂高岳』で尽くされている訳であって、何も私のやるところはないと思ったのですが、当時、本職のことで忙しかったので心ならずも返事を書かずにどうしたものかと思い迷っていました。しかし、ガイドブックとはどういうことかともう一度考えてみますと、例えば穂高のどこどこの岩場のル-トへ行ってみたいという希望のある者に、①まずその人がその場を登る資質があるかどうか、即ち安全に登るだけの実力を持つかどうかの査定をすることが大切で、次に②ガイドブックさえあれば、間違いなくそのル-トに取付くことが出来、また登攀中といえども、自らがどのような位置に居て、これからどれくらいの時間がかかるのか、ということを知らせる必要があると思います。丁度、スイスのガイドは、例えば客がマッタ-ホルン
ツムツトグラ-ドへ行きたいと言うと、まず手ごろなゲレンデで客のテストをする。次に連れて行って間違いなく安全に戻って来る、訳ですが、ガイドブックがそれの代わりをすれば良い訳だと考えました。また最近は写真を入れることが多くなっているので、写真とスケッチと平面図をいつも同一スケ-ルで並べていれれば、ル-トを見る目がはっきりすると考えました。①については貴兄がかつて言ってみえたウエルゼンバッハ(1925年、ドイツ・ミュンヘンのアルピニスト、Willo Welzenbach氏が難易度等級表を提案した。現在ヨーロッパで使われている難易度はこのWelzenbach表をもとにしている)の岩場等級表みたいなものを作って、例えば中又白の上部のザラザラの部分は、どのくらい難しいから、ここを登るには、少なくともどこでテストをしておかねばならぬといったことが、自然に分かるようにしなければならぬと思います。しかし、これはまた大変なので、またもし新島氏が本年夏に間に合わせたいと考えておられれば、とうてい私達だけでは出来ないので、8月に北穂へ行ったとき、小山さん(小山義春氏、北穂小屋初代主)に話をして、滝谷・本谷・白出・ジャン(ジャンダルム)を含めて涸沢を頼んで、私達は、屏風・又白・明神・岳川をやると一応話したのですが、事実は小山さんの小屋経営で不可能ではないかと言うことが後で分かったのですが。それで12月に東京に行ったとき、新島氏、長越氏(共に初対面で非常に嬉しかったでした)にお会いして、このことについてよく話し合って、明年の夏に間に合えばよかろうと決めました。(私達としては、昨夏と昨秋とで、屏風・又白・明神を殆ど登り直し、写真はかなりそのつもりで集めていましたので、見ていただいて一応意志のあるところを了解してもらった訳です)実は長越さんの発言で、主な初登攀記録を入れたらどうかと言うことで、私も賛成しましたが、しかし、そうなると、私達だけの努力ではどうにもなりません。全てのル-トを登り直して、比較したり、ル-トをうつしたりすることは出来ても、初登攀記録となると、その記録をかいた人が誰であって、どうしてお借りするように頼むかということが分かりませんので、これは貴兄にお願いしなければならない(もとよりそうでなくても、登るべきル-トの全ては、貴兄の『穂高岳』による以外になく、貴兄のお許しと御力添えがなくては何も出来ませんが)と考え、冬山が終わり次第、全力をそちらに向けようと考えていたのです。
しかし、今や意外の事件で「すべてのル-トを登る」ということだけでも、それどころか、このガイドブックを作るということ自体に、否、岩稜会そのものにも検討さるべき事態となって、一切は白紙となったともみてよいのですが、もう一度総会ではかり直すことになる訳ですが、小生としては、私の弟もこのことには努力していましたので、その記念の意味も兼ね、ここで、目標をガイドブックにおきたいと願っている次第です。
本当に勝手な事ばかり申し上げてすいませんが、そうなったときにはどうかよろしく、文字通り御指導、御鞭撻いただきますよう伏してお願い申し上げます。
別紙ガリ版刷りについて、私自身の根本的な誤り、資料のミス等考えていただき、また実験についての方法等、御教示いただければ幸いと存じます。
誠に乱筆失礼しました。
尚、末筆ながら奥様に宜しくお伝えくださいますよう。
1月18日 石岡繁雄
スワタ栄蔵様
遭難の傷も生々しい父の気持ちをあらわにした手紙である。弟の死の痛手から立ち上がり、『穂高の岩場』の著作に向おうとする父の逞しさもうかがい知れる。
これ以後の手紙のやり取りは、大変興味深い物であるが、読みにくいため、『真実本』に掲載のない物は全て解読清書する。尚、日付不明の物は、内容から推察して順に並べた。
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日付不明(前記田中氏宛の手紙の内容からすると、1月15日付かと思われる) 木下是雄先生宛-父の手紙
父の親友であった元学習院大学学長の故木下是雄先生の研究室から、父が送ったナイロンザイル事件関係の資料が発見されて、2016年3月25日、木下先生の後任の荒川一郎先生が来訪され、その資料を綴じたファイルをいただいた。
この手紙は、その中に入っていたものである。
すでに新聞でご承知と思いますが20年間無事故であった私の山歴についに遭難事故を、しかも私の弟という(このことは、せめてもの罪滅ぼしと考えているのですが)思いがけない形で発生してしまいました。今回の山行は、私たちにとってザイルそのものへの、最も大きな関心を呼び起こしつつあった時であり、又、ザイルの取扱にも従来より慎重であった筈であった時だけに、今回のザイル切断は全く運命のいたずらと嘆かずにはおれません。貴兄と夜遅くまでそのことついて話し合ったことが夢のようです。この上は、この原因を追究し、今後この種の遭難を少しでも減らせることに努力したいと、喪心考えているのです。貴兄にも無比のご協力がお願い出来ると(あるいは主客転倒する可能性大ですが)確信している次第です。
早速のお願いで恐縮ですが、同封のガリ版刷りのものを、1月8日下山の際(尚、遭難は1月2日午前9時頃、前穂東壁Aフェ-ス頂上直下、したがって弟の遺体は、第二テラス、又は、フェ-ス直下、又は、B沢と考えています。B沢、Cフェ-ス直下は一通り捜査しましたが発見できませんでした)松本で鉛筆書きで5部作り、朝日・中日・読売・信濃毎日に渡そうとしましたが、読売とは連絡できず他の3社に渡し、その後中日のみ簡略に発表してくれました。私がこうした理由は、6日朝刊で毎日が竹節さんの記事で10cm×20cm位の大きさで、前穂東壁の遭難は、ザイルには問題が無くて①
ザイルさばきの誤り。② 古ザイル使用。③ ザイル細すぎ。④ 出発前ザイルテスト不備。の理由となっていたからです。私は、上高地ホテルにいて電話一本で連絡可能の場所にいるのですから、こういう後続者の生命に関するようなことを発表される場合には、少なくとも当事者の話を聞いて、まず真実を知り、その上で考えを述べてもらうべきであると思いますのに、単なる推測で(これが全く違っていると思いますが)発表されるのは遺憾であると私たち(その時ホテルに居たのは岩稜会21、その他北稜会等)は考え、とにかく事実を早急に発表しなければ、次の遭難を引き起こす可能性があるとて、深い考慮、研究なしで、とりあえず真実を知ってもらうために、別紙ガリ版のものを上記3社に手交した訳です。
朝日に発表されないのは、① 記事としての価値が無い。② 東洋レ-ヨン又は、東京製綱の圧力がかかっている。③ 他の何らかの理由。④ 私の記事に誤りがある。又は温厚でない。このうち私たちは、②④と想像せざるを得ませんでした。[朝日・信濃毎日は松本でザイル切断箇所の写真を撮り、これは大きなニュ-スだと言っておりました。朝日(小林記者)、信濃毎日(溝口記者)]
さて、下山後1月12日、このザイルを薦めてくれた熊澤友三郎氏(ガリ版刷りのK氏)は私を訪れ、ガリ版刷りの内容全部を認めて、非常に恐縮していました。東洋レ-ヨンの社員の方も、大学、自宅と私を訪問してくれましたが、折悪しく会えず、何のための訪問か判りませんが、ザイルに関することは確かと思います。熊澤氏によれば、東京製綱が東雲会のザイル切断の模様を調査しているとの事です。
私としましては、須賀さんにお願いして、(須賀さんにまだ会っていません。小生疲労のため発熱し、昨日、今日病床です)何とかガリ版刷りの内容の実験をしてみたいと考えているのですが問題はエッジを作ったり、その台を作ったり、又、試料のザイルに金がいることです。要するに東京製綱は又、東洋レ-ヨンに保証付きであったからと言って(別に証書を持ってはいません。熊澤氏言葉だけです。しかし、熊澤氏はこれを認めています)別に保証金を取ろうと言うのではありません。穏便に話をして、実験費位出してもらいたいと考えるのです。実は、このこと自体がザイルの欠陥を証明することになります。すなわち毎日の「ザイルさばきが悪い」という記事が嘘だったと判ります。
しかし、問題は朝日が記事にしないことと関連して、私のガリ版記事に根本的な誤りがありはしないかということです。これが判りませんとメ-カ-との交渉が出来ません。誠に曲がりくどくなりましたが、貴兄にガリ版刷りの根本的な誤り、又は私の錯覚、資料の誤り、の存在の可能性を考えていただきたい。このためには、東雲会[顧問は黒田正夫氏と聞いています。山日記を見ていただければ住所が判ります。堀さん(慶応出)がリ-ダ-のようです]のザイル切断模様、及びその感想をお聞きしておくことが、是非とも必要と考えるのです。ご多忙と存じますが東雲会と連絡を取っていただきたいと存じます。あるいは、長越さんの方が懇意かも知れませんのでメ-カ-云々を抜きにして、長越さんにも東雲会の模様を既定いただくよう手紙したいとは思っております。
どうも妙な事件になっていく可能性がありそうですが、私としましては、出来るだけ事件の究明に努力したいと考えます。もちろん貴兄も適当にご協力願えれば幸いと存じます。
尚、実験方法については、特に簡単な方法、注意すべき点などご教授いただきたいと存じます。
前穂直下Aフェ-スの氷の棚に岩につかまったまま風雪の二夜を明かした石原(弟)(先日朋文堂におった者)と澤田の凍傷の模様は、澤田の右足指がかなりひどく、最悪の場合右親指切断とのことです。石原はビバ-ク中、首も回せないので風方向の耳が、マフラー、ウインドヤッケ、ツェルト(パラシュ-ト生地)と共に氷の板となっておりましたが、現在ほとんど治っております。(2日の朝は2500mの所で、-21度だったそうです)
登攀そのものには反省すべき多くのものをもっています。私たちは前途多難です。
乱筆乱文誠に失礼しました。…実は私の病床中、15日朝日夕刊に載ったことが判りました。ホッとしているところです。
木下様 石岡拝
尚、暮れには、スキ-S(『ペルケオ・スキ-読本』1954年、木下先生箸、朋文堂発行)拝、有難うございました。
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日付不明 岩稜会宛 父の手紙(國利・澤田両氏が入院中の中勢病院に出されたもの)
凍傷の模様はその後いかがですか。とにかく出来るだけのんきな気持ちでゆっくり養生するより致し方なさそうです。澤田君のこと、早速吉村さんに手紙で聞いてみようと思いましたが、紹介していただいた名大の方に一応聞いておかないと、もし吉村さんから何かの指示を実行するにも具合が悪いと思って、岩瀬氏に容態を話しました。岩瀬氏では判らず、今永先生に尋ねてみると言うことでありましたが、ただいまその返事がありました。
今永先生の言によれば「悪い部分が進行するようならば、早速手術する。そうでなければ出来るだけ固まってから、最後に手術する」のだそうで、誠に常識的な話で、進行するかどうかはどうして判るかと聞いてみましたが、容態を見なければ判らないが、しかし中勢病院の先生(小生、名を忘れました)は、よく判っている筈だそうです。尚、時々名大医学部に行かれるそうですから、その時に今永先生からよく話して置くのだそうです。尚、満州では設備等の関係からも、直ぐに手術したのであって、出来れば手術は後ほど良いと言う事です。尚、スワタさんには早速手紙しておきましたので、関西方面の見解もそのうちに言って来ると思います。小生の直感ですが、今となってはどちらにしても大きな差はないような気がするのですが、第三者でみて、どうも悪化するというようでしたら、何はさておいても吉村さんに聞いてみようと思いますからお知らせ下さい。(「岳人」22号はありましたか)
五朗の写真機に入っていた写真を送ります。写真の番号と撮影者、場所、被写体の人名、地形名、撮影月日等お知らせ下さい。写真を送り返してもらう必要はありません。尚、大島氏からフィルム送ってきましたので、延ばしてみました。部屋が寒かったのでガスを点けて置きましたら、カブってしまいました。(四つ切の薄手)厚手の四つ切は壁にでも貼って置いたらいかがですか。
上高地で弟(英太)が撮っていた神戸高校のキャノンのフィルム、赤嶺さんに頼んだそうですが、探し出して送ってください。
ザイルの実験は3日間やってみましたが、小生、精神的にも肉体的にも多忙ですので続いてやることが困難で誠に残念です。須賀さんも一生懸命になってもらっているのですが、要するに助手が1名おればと残念に思う次第です。ナイロンザイルが岩角に弱いことは決定的です。(しかし、これだけの実験ではとても人に見せれるものでないので、ザイルも少なくとも各種用意せねばなりませんが、なかなか大変です。東洋レ-ヨン、東京製綱綱もあれ以来なりを潜めています。実験もやっているでしょうが、どう出て来るかは見物です。
阪大の篠田さんの所でも冷凍テストの結果がもう出ている頃ですが、まだ小生その結果を知りません。
名大山岳部の話によれば、富山高校の西穂での遭難の直前に、慶応高校が北尾根でナイロンザイルを切って負傷しているようです。結局、この冬5本切れたことになります。金坂さんの手紙によれば、アメリカでもナイロンザイルの故障が目立って多くなっているようです。本質的に弱かったか、岩角だったか詳細不明です。
4,5月の捜索は、岩稜会・三重大学(山岳部)・津島高校山岳部、三者主催(?)ということにした方がスッキリしてはいないでしょうか。一度、三重大学山岳部とも相談して研究してみて下さい。
メ-カ-がどう出て来るか不明ですが、責任の深さについては、相当難しい問題がありそうで、目下法学部の小生友人に研究してもらっております。
では、失礼します。今、社長から電話がかかってきました。
Bacchus
岩稜会皆様
左は、上の文章の続きで4枚目として書かれたものです。
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日付不明 田中栄蔵氏宛、父の手紙
先日は失礼なお手紙差し上げまして失礼致しました。
私の方もやや落ち着いて来ましたが、次にご相談申し上げたい問題が起こっております。凍傷にかかった二名は、毎日動注を続けてきましたが、三日程前、それまで全く感覚のなかった足指が、猛烈に痛みはじめ、切断などの心配は全くなくなり、後は回復を待つのみという状態となったようであります。昨日見舞いに行ってきましたが、見舞い客で連日大賑わいで、病院がルームになったような感じです。遭難費、今後の対策等も、誠に朗らかに進み、遭難費も寄付のみで、数万円を上回っているようです。貴兄の申されましたように一層結束が固くなるような気が致します。
会の方はよろしいが、私の実家の方に問題が起きております。この問題につきましてご迷惑なことは重々承知しておりますが、貴兄に御相談、御骨折りをお願いしたいと、喪心懇願申し上げる次第でありますが、そのことを申し上げる前に、既に御承知かも知れませんが、大阪市立大学のザイル切断について私立大学の大島君からいただいた手紙について記したいと存じます。
18日午後配達されました大島氏の手紙によりますと、1月1日、大島・橋本の両君は(橋本君は神戸中学の時、神中山岳部に入っており、今度遭難した澤田と同級だそうです。同君の父親は私よく知っております) 四峰頂上付近にツェルトを前進キャンプとして一泊したそうです。元旦には東壁を登る三名と声をかけあったそうです。また、大島君の写した午後3時頃三名が第二テラスに出てきたところの写真を、五朗の霊に捧げて欲しいと送ってくれました。(勿論この写真が弟の最後の写真となりました) 2日は、岩稜会三名の異常を知り、終日気をもんだそうです。(2日、午前9時頃弟はザイル切断のため墜死しております) 3日午後、前穂高頂上付近に数名のシルエットがあるのを見て、(救出隊の筈です) 今からでは遅いと思ったが、ともかく前穂頂上に赴こうと、三・四のコルから登り始めたそうです。その部分を同君の手紙を写します。
「時間的にもとても無理だが行けるだけ行ってみようと、コルへ下り三峰に取り付きました。コルからやや涸沢側を5m及至10m登って稜線に出、雪の小さい鞍部で橋本が確保し大島がトップで奥又側を覗きながら約6,7m登ったと記憶しています。オ-バ-ハングの下岩に立とうとした時、バランスが崩れ奥又側へ墜落、同時に橋本は一歩涸沢側へ下ってショックに備えたのですが、いつまで経ってもショックが全然こないので、恐る恐るザイルを引き上げながら覗くとザイルが切断していたのです。
ザイルはTokyo Rope No.G.N.10078、東京製綱ナイロン11mmで12月に購入しており冬山に初めて使用したものです。切断は大島から4m50cmの所で起こっており、約13cmはバラバラにほぐれており、あたかもザイルの撚りを戻して引き抜いたような感じです。そこから約10cmは三つに撚りがほぐれて所々部分的に繊維が切れています。更に13cmは岩で擦った跡があります。大島の体重は当時の装備付きで17貫、奥又へコルを約10m下った雪の中に墜ちていて橋本に連れられツェルトまで歩いて帰ったのですが、その間、記憶は全然ありません。」
要するに、東雲会、私達、市大(富士の場合はよく知りませんが)と、登山綱として考えられない様なモロサがナイロンザイルで起こっております。ザイルが予め傷ついていたとか、取り扱いが悪かったとかいうことは考えられないと思います。従って使用したザイルが従来示されたデ-タだけの性能を持っていなかったか、従来知られなかった欠点がナイロンザイルにあって、それがたまたま続いてきたかのどちらかのように思われます。
次に私の申し上げたい問題の点ですが、私にザイルを薦めてくれた熊澤氏は、私の所へみえ、専ら恐縮、申し訳ないと陳謝してみえるのですが、神戸へ入院中の二人を見舞いに行かれた時も、中日ででも「私は石岡さんにザイルを買ってくれと言った覚えはない。」と言ってみえるそうであり、東京製綱でも、そういったことを言ってみえるのではないかと考えられるのですが、私の父(若山繁二、72歳)は、電車や洞爺丸の事故でも何も乗ってくれと頼んでいなくても、事故があれば、たとえ天災で会社側の不備でない場合でも、とにかく哀悼の意を表しているのに、東京製綱から一言の挨拶のないのは不届きだと、このままほっておいては、また、また遭難が起きる。とカンカンになって怒っており、(私に対してもカンカンに怒っております。年取ってからの末子というものは特別に可愛いようです) 先日もこの件について弁護士に相談にいっております。(18日、NHK全国放送、私達の言葉で非常に強い言葉で「息子がザイルのテストで殺された」と言っております) 私も父の怒りは無理からぬと思っておりますし、朝日の15日夕刊の「一体何のための保証だ」ということに、共感する点もあるように考えるのです。
貴兄はこの問題をどう考えられましょうか。弁護士は、(父と同郷で目下名古屋在住、若山といいます) いろいろの例をあげ事件になると言っておるそうです。
いずれにしましても「岳人」81号、新保氏(登山家。著書『冬山装備主な用具について』等)の記事にもありますように、セキルタス、ア-サ-ビルが過去の物になったということと、今回の事件と比べてみて、全く驚くべきことのように思います。寒さの点でも同氏のは-50°でむしろ強くなっています。須賀さん(須賀太郎氏。名古屋大学教授。父名大時代の恩師)とも相談してみました結果、早急にテストしようということになっています。(使っていた40mはズタズタに切ってしまいましたが、残り40mは新品です) 私があのオレンジ着色ザイルを見るだけで、気持ちが悪くなりますので、いまだテストに至っておりません。名大山岳部に任せたいと考えています。
話がふらふらして申し訳ありませんが、先日も父の怒っていることを澤田(三人の中の一人)の父親(前県会議員、右社)に話しましたところ、田舎弁護士より社会党の弁護士を東京で頼むことにしたい。と言っており、とにかくこのままでは済まない状況でありますので、私としましては、出来るだけ物笑いにならないような理性ある解決法をみつけ、父にも納得させたいと考えているのです。
実際には熊澤氏が登山家としての立場に立って東京製綱と話してくれると好都合なのですが、熊澤氏も業者であってみれば、これも困難なのかも知れません。
私は一度、市大の大島君、橋本君、梶本さんや新保さんにお会いし、(出来ることならば貴兄はじめ皆様御一緒に話し合う機会が得られれば絶好です。ザイルの改良のためにも無駄でないように考えます) 私自身の考え方を矯正したいと思っております。
まだ申し上げたいことがあるような気がしますが、思い出しません。貴兄の御考え、お知らせ下さいますれば幸甚に存じます。
末筆ですが奥様に宜しくお伝えくださいますよう。
乱筆失礼しました。
石岡繁雄拝
スワタ様
文中に出て来る、昭和30年1月1日発行『岳人81号』<ナイロン・山に登る>新保正樹氏著を右に掲載する。クリックしていただければ大きくなってお読みいただけるが、ナイロンテント等、ナイロン布地の強度を、大阪大学工学部篠田教授の許で行った旨も書かれている。
この手紙は、内容がほとんど同じ物を木下先生にもお出ししていることが、上記学習院大学の荒川先生によって発見された手紙から判った。発見された2通目の手紙はこの内容であった。
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日付不明 父宛、田中栄蔵氏の手紙
石岡様
お手紙拝見。凍傷の方が痛み出せば、まず大丈夫でしょう。凍傷すぐにならAcetylcolyl-spritzen(Blutkreislanf)―医者でないと打てないでしょう―が凍結した血管を押し広げる力を持っているようですが、peatcがすぐ出てしまうので、その時によほどよくゆかないとダメのようです。むしろ、温めて血行を良くしておいてからの注射のようです。AnnapurnaのHerzogもCⅡで打ってもらっていますが結果としてはダメでした。
お父さんが怒っていられるのも無理はないでしょうが、もっと冷静に考えて例え裁判沙汰にしても(もし、それを徹底的に究明するならば)もっと科学的なdataを裏付けにして闘うのでなければ意味はありません。というよりも感情的ではつまらぬところで弱くなったり、負けたりします。それが弟さんへの(お子さんへの)少しでもの慰めでもあるならば、やはり、科学的なdataを付け加えるべきです。この際、大切なことは事実です。アメリカや他のNylonの値が、いかに立派な値が出ていても、それは切れたSeil(ザイル)との関係はなく、あくまで切れたSeil類の素材、加工と使用状態を考えない訳にはゆきません。良いものが出ることは事実であっても、それは参考にしかなりません。これはあくまで切れたSeilについて論ずることです。
お父さんは謝りに来ないからと言っていられますが、むしろ、直ぐに謝りに来られて後をウニャムニャにされてしまうのも困ったものです。この点については、当事者よりも私の方から海野君に言ってやり(海野氏の方も商売上困るでしょう)その方から動かして行くなり、調べる方法を取るなりしてやりたいと思います。もっとも中にK氏がいるので、K氏の依頼でSeilを作ったのだから、東京製綱の方から謝る筋がないと考えているのかも知れません。
K氏も余りのことにいささか気が転倒して、責任のなすり合いをして、色々と苦しまぎれを言っているのだろうと思いますが、いつまで嘘をつき通せても、他の所へも買って欲しいと言ったことまで覆い隠せないでしょう。だから、細かい感情的なことは気にかかるでしょうが、あまり問題にしないで、あくまでも本筋を追求すべきでしょう。それでもK氏が尚くだらぬことを言うならば、人格上の欠点として、いつかそれが天下に知られる日がくるでしょう。K氏は売った徳義上の責任はあくまでも負ってこそ岳人ですが、それを単なることでCoverしようとするならば、大した人ではありません。むしろ今後大したことは出来ないでしょう。徳義上の責任はTestをすることで、この点、東京製綱及び東洋レイヨンを動かして研究し、試験し、良悪を判然とすべきです。その行動を起こさせることに責任がかかっていますが、貴君の方から言うと、角が立つでしょう。中立なる外から言ってもらうのが良いでしょう。
Seilの取り扱いは悪くないと思いますが、低温脆性のある材料は、どのくらいの低温に何時間さらされたかは、やはり問題となります。これはSeilが悪いとか使用がいけないとかの水掛け論ではなく、使用状態が低温であったという実状がやはりものを言います。それを無視しないで厳正な実状を認めることです。(対策としてはDouble
rope なり、1日の夜にテラスに居るのを引き上げるなりすることは考えてやるべきことですが、これは今後の会やLeaderの考えとして)
おそらくSeilは傷ついていても分からず、踏んだりして切っていても分からず、むしろ低温脆性が起こることに問題がある訳です。従来のDataは一応の目安で、今回の物が、いかなる品質であったかが問題でしょう。(私の処にも人がいますが判るかどうか?ですが、少し切れ端をくださいませんか。500mm位でよろしい。低温にしてみて曲げてみたいし、顕微鏡でもみてみたいと思いますから、封筒に入れて商品見本で)
弁護士がどういう問題にしようとしているのか解りませんが、K氏のみではなく、Seilをよった処か東洋レイヨンも加えて相手になるなら結構でしょうが、むしろそうなることはまだ先のことで、向うが誠意ある究明に出てくれるかどうかが決まってから、それが実行されない上で問題にして闘うことが本筋ではないでしょうか。(私のところのSampleはズタズタのと、残りのと二品あれば少しは解りましょう。)
Orange用の着色は危険、注意色で装いはいいのですが(明るく見える蛍光塗料入りでしょう)少し長く使っていると、チカチカして気がイライラしてくるので、あの色が成功ではありません。ManasluやEverestなどのNylonがいかに強くても、切れた品とは比較されません。それにやはり切れた物の品質如何によるのですから―
社会党の弁護士の方に、東洋レイヨンや東京製綱に言ってもらう位で良いでしょう。それで乗り出して来ないならば、むしろ登山具商の商売が続かなくなるので、その方から働いてもらうのが早道です。これは感情論を離れて、Seilを良くし、二度と問題を起こさない上からも解決しておくべきことです。だから、当事者がカンカンになり過ぎるのは、やはり事を壊します。(カンカンになる事はよく解りますが、もっと事実をよく見つめて)良い解決方法をとるのが良いのではないでしょうか。
2/9日にJAC(日本山岳会)でこの問題の話合いをしますから、その時に来られてはどうでしょうか。多分2/9と思っていますが、梶本君とも相談して、この問題についての考えをまとめて、貴兄にも来てもらい熊澤氏とも話をつけてみたいと私としては考えています。
25-26日と上京の予定なので、27日に帰ってからになりますが、もう少し待ってください。
甚だ常識的なことをクダクダと書きまして余り参考になりませんが、急いでは事を仕損じる気がします。これはやはり登山界の問題として大いに究明しておきたいことです。
A.W. スワタ栄蔵 |
1月中旬~11月 木製架台の実験
オレンジ着色のナイロンザイルを見るだけで気持ちが悪くなっていた父だが、もうそんなことを言っている場合ではなくなり、まだ完成していない名古屋の自宅の庭に、木製架台で実験装置を作った。粗末な物であったが、鋭角、鈍角などを鉄で作って、錘をつけて落として実験した。そのことについては、『ナイロン・ザイル事件』に図入りで説明されているので、転記する。
岩稜会が行った木製架台による実験(右参照)
木製架台(1図)は、事件発生後、即ち、昭和30年1月中旬原因究明のための実験を行う目的で岩稜会及び石岡(遭難者の兄)によって作られたものである。
実験は1月下旬以降石岡を中心とした岩稜会員によって随時行われている。
尚、本架台では大規模な実験はできないので、引張り試験には名古屋大学工学部土木教室の1トンを使用し、衝撃試験には松の巨木を利用した。実験は次の段階で行った。
1) 最初のうち約1ヶ月は、原理的なものの研究に終始した。即ち、落下エネルギ-とザイルまたは付属物の吸収エネルギ-との関係である。これには、各種ナイロンテグス、東京製綱製ナイロン4mmロ-プ、6mm麻ロ-プ、それに問題の東京製綱製8mm強力ナイロンザイル構成する繊維束を使用した。
2) 支点によるザイルの性能劣化の状況
直径1mmないし10mmの鉄輪数種、カラビナ2種、及び直径12mmの鉄の丸棒の一部を120度・90度・60度・45度に削った物を使用した。使用したロ-プは4mmナイロンロ-プ、東京製綱製8mm強力ナイロンザイル、東京製綱製12mm麻ザイルで、いずれも新品を用いた。尚、ナイロンの11mm、外国製のナイロンザイル、出来得ればナイロンの編ザイル(これはエッジに対して撚りザイルとは非常に異なった結果が出るように思われるので)を実験してみたかったが、資力不足で出来なかった。
3) 三角ヤスリ、四角ヤスリを強く引っ張ったザイルに垂直にあてて往復運動をさせるという実験、及びヤスリを上記エッジに代えても行った。
ここでは、次の三種類の実験デ-タを示すにとどめる。
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(1) ナイロン強力糸8mmザイル(新品)
錘をhcmだけ持ち上げて落下させる。
(A)は90度エッジ(鉄製、鋭さは指で押してみて痛い程度)
h=60cmないし56cmで、エッジの部分で切断
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(2) マニラ麻12mmザイル(新品)
要領は(1)と同じ
h=70cmで切れず、しかし約20%切断 |
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(3) ナイロン4mmロ-プ(新品)
(A) 90度エッジ(鋭さは(1)と同じ)
(B) あまり滑らかでない鉄の丸棒
h=30cmで切断
東壁での場合にかなり近い状態であると思う。
すべてがほぼ1/4である。 |
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以下が実験装置の詳細写真である。
木製架台本体
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秤と接合部分
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鉄製エッジにザイルがかかったところ |
四種類の鉄製エッジと、石の錘
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上記の実験結果(1)でお判りのように、8mm強力糸ナイロンザイルは90度の鋭角を支点に、わずか15.5kgの錘を60cmほどの高さから落としただけで簡単に切断することが分かった。
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1月24日付 父宛、木下是雄氏の手紙
木下氏は前章でもご紹介した通り、学習院大学の学長を勤められた方で、父の親友でもある。高名な物理学者であった。
この方に、父はナイロンザイル切断の原因を鋭い岩角によるものとして意見を聞いたところ、この手紙をいただいた。
この手紙の内容の抜粋は『真実本』『ナイロン・ザイル事件』にも掲載されているので、ここでは原文を掲載する。クリックしていただければお読みいただける。
さて、この内容はお読みいただければお判りいただけると思うが、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長であった篠田軍治氏と、お会いになる機会があり、直接聞いて書かれた物であり、篠田氏の意見がたぶんに入っている。
かいつまんで内容を記すと…
○ナイロンザイルは、シャ-プエッジに弱いと言うことは考えにくい。
○東洋レイヨンの原糸の出来が悪かったか、東京製綱の撚り方が悪かったか。要するに粗悪品であった。
○切れたザイルの残片の精密検査が必要。
○低温脆性を一応問題にすべき。
○摩擦係数が小さいために撚りが戻りやすく、バラバラになり易いとすれば切れ易いかも知れない。
○摩擦係数が小さいために、刃物が入り易い、つまり切れ易いという父の考えと一致するが、もしこれが事実だとすれば、それはナイロン繊維の問題で、ナイロンザイルとしては致命的。
この時は、木下氏は父の意見に否定的であったが、後に来名されて木製架台の実験をご覧になり、とても驚かれて、以来ナイロンザイルの岩角欠陥を認識された。
尚、手紙に書かれた×印は父が書いた物で、『ナイロン・ザイル事件』にどの部分を載せるかということで、×部分は掲載されていない。
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日付不明 岩稜会宛、父の葉書
21日、梶本さん来名され約二時間夕食を共にしながらいろいろと語り合いました。市大の大島君のことは勿論よく知っており、また藤木、スワタ、篠田、新保さん達と会合され、ナイロンザイル切断の原因について話し合ってみえます。従って、現状における関西の見解というものは定まっているようです。これによればナイロンの素糸そのものに原因があるようで目下阪大でテスト中とのことで、私も8mm約3mほど送っておきました。写真はその時いただいた物です。
スワタさんから分厚い手紙が来ています。山渓の川崎氏からも来ており、熊澤氏は「取り扱いが悪かった」ということを印象付けるために各方面に努力しているようです。
昨日、見越で親兄弟が集まって、親族会議を開きザイル切断の責任追及について全力をあげることに決定、今後の方針等を定めました。併し、事件は甚だ複雑長期化するだろうとの見通しです。
澤田さんの言われるように山岳界方面へも働きかける必要があると思います。誠に、神経の病むことですが、致し方ありません。いざという時は、懸命の努力をお願いします。
文中、「スワタさんから分厚い手紙」というのは、もちろん上記の物である。
「山渓の川崎氏からも来ており」とは、山と渓谷社の山岳雑誌『山と渓谷』に昨年度中日新聞に二度に分けて掲載された報告書に加筆して、掲載することの依頼葉書であった。 |
1月25日付 岩稜会宛、父の葉書
今日午後、名工大でとりあえずザイルの抗張力のTestをしてみることになりました。今後いろいろな角度を持つ刃のTestを行うつもりです。尚、熊さんは「ザイルを尻に敷いていたから凍結した」と言っているようです。(誤った使用法だそうです)屁理屈には違いないのですが…いずれにしても、アタック開始から終わりまで(或は入山当初から)出来るだけ詳細に、また早急に書き物にしておいて下さい。部隊長が2日上高地に降りた時には、既にザイル切断が判っていたそうですが(梶本氏の言)、私が想像していたとおりで別に驚きでもありませんから、事実のまま、記して結構です。また、批判等も遠慮なく記して欲しいと思います。(高井にも連絡して欲しい。室や松田、その他全ての人に)進歩は真実の批判以外にない筈です。要するに私自身としては、いろいろな批判、反省はともかくとして、部隊長以下の努力、特に國ちゃん、澤田に心からの敬意を表するのみです。
尚、出来るだけ早く次のものを送ってください。
1.ナイロンザイル8mm(残り)
1.ナイロンザイル11mm(使い古しの物)
1.東京製綱麻(赤糸・青糸)ザイル(切れ端があった筈)
1.カラビナ各種2ヶ位
1.ザイル切断部分(セロファン入)
1.NHK放送「私達の言葉」
尚、部隊長に大島君の手紙等各種情報を知らせて下さい。
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1月27日付 父宛、田中栄蔵氏の葉書
前略
上京しまして海野氏に話して、東京製綱の麻綱課長(高柳氏)に話を致しました。
お父様のご立腹も無理からぬ事とて、この件と今後の問題、その2つについてとくと話し合いました。御立腹の件はもとより早くお詫びに参るようにと考え、東洋レイヨンとも話し合いましたが、情況が判らず、今は行かない方が良いとの情報もあった由で、この点については会社は誠意があり、常務まで挨拶に来るといったところで、早速相談して、名古屋の石岡氏にお詫びに参ると申していました。それで参りましたら、お父上へのおとりなし方を、よろしくお願い申し上げます。これはなにも裁判云々を緩和する為ではありません。まだ原因等が判らないからと待っていたところで、私の提言によって、現地の空気が判って行くと言っていましたので、お知らせします。
今後のことは第三者を入れて十分に研究して原因を突き止めたい言っていましたし、私の方から素材加工につき、よく話しをしてやってもらうことにしました。やると申していましたので、五朗さんの霊が慰められるだけのDataを出してもらいたいものです。
高柳氏も常務も心配していましたし、まず名古屋へ参り、石岡氏と会った上でお父上の方へ参ることになると存じますから、その際はご面倒でもよろしく。
Testのことは大阪でも出来るだけ調べてみる予定です。
名古屋にも寄りたいが、時間がなく車中で失礼します。
この葉書に貼られている「別添38」という文字は、昭和31年6月22日に篠田氏の告訴に至った時、裁判所から押収された物で、それらは全てにこの紙が貼られている。今後この紙の貼られた資料が多々出て来ることになる。 |
1月28日付 父宛、木下是雄先生からの葉書
お手紙(ハガキ)今拝見。金坂氏を電話でつかまえるのは難しいから手紙を書き、貴兄のハガキを同封し、直接そちらに返事を出すように頼みます。
正常の重合度のナイロンの軟化点は250度、重合度低ければ、これより軟化点が低くなる。怚温槽(乃至それに似たもの)があればすぐ実験できるから、試みたら如何。 |
1月30日,31日 名古屋大学工学部土木教室においてザイルのテスト
右に掲載した資料がその時の資料である。『真実本』『ナイロン・ザイル事件』に掲載されているが、全文解読清書する。
ザイルのエッジ上における引張り試験
時…昭和30年1月30日、31日
所…名古屋大学工学部土木研究室
実験者…須賀太郎教授指導による石岡繁雄の実験
○ザイルの結び目はブ-リン結びに一定
○1ton用引張り試験機使用
○使用したエッジは、鉄製で図に示す形のものである。稜線はかなり鋭く指で押して痛い程度
○実験に用いた試料は次のものである。
ナイロン8mm(普通糸)…昭和27年12月9日入手した東京製綱株式会社製新品
ナイロン8mm(強力糸)…同上、オレンジ色に染色したもので、東壁で切断したと同一のもの
青麻12mm…麻のロ-プに青糸が縫い込んであるもので、購入後4年を経過しているもの。当時青糸ザイルと呼ばれた二流品
次の頁に記されていることを『ナイロン・ザイル事件』に記されていることも含めて表にする。
鉄製エッジの角度と形状 |
三つ撚り
ナイロン8mm(普通糸) |
三つ撚り
ナイロン8mm(強力糸) |
三つ撚り
青麻12mm |
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78Kg
3本撚りの1本切断 |
95kg
3本撚りの1本切断
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193kg
3本撚りの1本切断から
ずるずると切断
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90kg
3本撚りの2本切断 |
98kg
3本撚りの2本切断 |
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98kg
切断 |
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56Kg
3本撚りの1本切断から
ずるずると切断
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75kg
3本撚りの1本切断から
ずるずると切断 |
196kg
3本撚りの1本切断から
ずるずると切断 |
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69kg 3本撚りの1本切断 |
125kg 3本撚りの1本切断 |
83kgから
3本撚りの2本切断から
ずるずると切断 |
86kgから
3本撚りの2本切断から
ずるずると切断 |
この名大での試験の前にも、父の親友の武藤三郎氏のいた名古屋工業大学で同じような実験を行っている。また、木製架台の実験も行い、その結果、「登山用として売られている直径8mmのナイロンザイルは、國利氏の証言のように、90度の岩角を支点にして60kgの荷重がかかって約50cm落下すると切断するので、登山用には適さない」という結論をえた。
右に掲載するノ-トは、父が実験した結果や仮説、考案した実験設備、また考察途中等のメモを記したノ-トで、父の苦労の跡がうかがえる。
クリックしていただくと、その全文がご覧いただける。
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1月31日付 父宛、金坂一郎氏(登山家、『冬山技術セミナ-』等著者)の手紙
拝啓、大兄のお葉書を木下さんより回付ありました。この度の事故はナイロンの思いもかけない様なもろさにひっかかったというような感で、まことに無念なことでありましょう。聞くところによると亡くなられたのは御舎弟様との事、御心痛の程お察し致します。
さて抗張力テストはサツマ編みのeye splice(You Tubuに作り方の参考動画がありました。ご覧になりたい方はhttps://www.youtube.com/watch?v=pLox_ajDGLoにアクセスしてください)を用いれば簡単に目的が達せられます。御承知かと思いますが、見本を同封しますから上図参照(手紙参照)の上お作り下さい。出来上がりは素人ではなかなか綺麗には行きませんが、結構役に立ちます。登攀用のザイルの端末もこのようにし、シンブルをつけておくと便利です。
ナイロンは伸びが多いですから、テスタ-はなるべくストロ-クの大きい方が便利です。取付は鉄筋をU型に曲げ、これをチャックでくわえます。
昨年ガネッシュで使った8mmを昨秋、松田君が引っ張って見ましたら800k弱でした。ナイロン・ロ-プのデ-タとしては御存知のBelaying
the Leaderがありますが、ナイロンの最も弱点とされる耐摩擦試験が、ナイロンの欠点を現さない様な方法で行われているので、ナイロンが余りにも優れたもののように宣伝されました。最近、米国でもナイロンの事故が非常に多いと聞いておりますが、困ったことです。小生は確保論着想初期にザイルは絹を使うべきではないかと考えておりましたが、安いナイロンの普及にともなってその考えはそのままになっておりました。ともかくナイロンは使う気にならないので、当分はマニラロ-プをシリコン防水して使って見たらと考えております。値段は高くつきますが。
今回の事故究明のテストとしては、剪断力テストと同時に、強圧下の摩擦テストをマニラと比較すれば、答えが出るような気が致します。その方法としては鉄棒切断用の鋸盤の刃の所にザイルを取付け、このザイルを強くこすりつけるようにして、切断までのストロ-ク数を比較したらと考えましたが、富士の事故の事で、まだゴタゴタしており、とても暇が得られません状況です。
以上、余計な事まで書きましたが、何らかの御参考になれば幸いです。
1月31日 金坂一郎
石岡繁雄様 |
同日 メ-カ-側と遺族との会見、第一回目
この会見報告は、『ナイロン・ザイル事件』に掲載されているものである。
場所 愛知県津島市昭和紡機株式会社
期日 昭和30年1月末日
同席者 東京製綱株式会社常務 岡堅 治氏、東洋レ-ヨン名古屋工場事務部長 桂 弘氏、東京製綱株式会社麻綱課長 高柳 栄治氏、遭難者の実父昭和紡機株式会社重役 若山
繁二氏、昭和紡機株式会社社長 山本 三千雄氏、遭難者の実兄 石岡 繁雄
山本氏発言の要旨
「私は遭難者の実父若山繁二氏とは毎日顔を合わせている間柄であり、また東洋レ-ヨンの名古屋工場重役とも旧知であります。一方、仲裁は時の氏神ということもありますので、不適任ではありますがその労をとらしていただくことになりました。」
若山氏発言の要旨
「この年になって(72歳)このような悲しみを味わおうとは思わなかった。五朗は末子で特に晩年に出来たものだから、これまでの悲しみとは比較にならず毎日泣いてばかりいる。
一体どうしてそんなに弱い新製品のザイルを保証付といって出されたか、また、そのために二割高いということですが、これはどういうことですか。それについて、それを販売した熊澤氏は生存の二人の方には見舞いに行かれたが私の方には何のご挨拶もなく、それに生存者に対し『ザイルを買ってくれとは頼まなかった』と言われたそうですが、もっての外と考えます。いずれにしても私には息子がどうしても新製品の試験台になったとしか思われません。勿論、保証付などという言葉にごまかされて、そんな悪いザイルを択んだ長男(石岡のこと)も憎くてたまりません。メ-カ-として、どんなテストをして売り出されたのか、御説明を承りたい。」
岡常務発言の要旨
「早速お伺いする筈でしたが、私は一寸病気などしておりまして遅れてしまいました。
大阪の田中栄蔵さんからこちらの様子を知り、急いで参った次第です。
当社の製造したナイロンザイルの切断によって、今回のお気の毒な事故が起こったことも、ザイル販売時の模様などもよく存じております。
当社の製作上、または研究の手落ちから、何よりもかけがえのない息子さんの命を失うに至らしめたことに対しては、何とお詫びして良いか、またお慰めの言葉も知りません。
ここに至っては余りにも遅きに過ぎたことではありますが、当社としては早速ナイロン製のザイルを検討して再びかかる事態を引き起こさない様にするため、早速係りの者を蒲郡工場に派遣して、あらゆる方面から、ナイロン製ザイルを再検討させる様に決めました。私達と致しましては、今更お父さんの目の前でこんなことを言えたものではないのですが、せめてこれを機会に息子さんの死を尊い犠牲として再び事故を繰り返さない様な立派なザイルを完成することが、せめて息子さんの死を犬死たらしめないことになると考えます。
当社と致しましては、今後誠意をもってナイロンロ-プの改善に努力することを誓い、これを以てせめてものお詫びの意を表したいと思います。
石岡氏…大阪府立大学大島氏からいただいた手紙、写真を出し、東雲山渓会のことも話して、ナイロンザイルに重大な欠陥があると伝えた。
山本氏発言の要旨
「この事件による被害者は、まず第一に若山五朗さん、次にその御両親である。これの円満解決のためにはメ-カ-側は災難だったと考えて両親に対して誠意ある態度に出ていただく以外にないと感ずる。今回はお帰りになって、よくこの事情を話され善処されんことを希望します。」
注…この後でメ-カ-の三氏は、近くにある海部郡佐織町見越の若山繁二氏宅に赴かれ仏前に参っていただき果物籠を供えられた。翌日、岡・高柳・桂の三氏は、鈴鹿市神戸の中勢病院を訪ねられ入院中の石原、澤田(後になって足指3本切断)を見舞われ、東京製綱から各々に5000円ずつ、東洋レ-ヨンからも同じく5000円ずつ、合計2万円を見舞いをしておかれた。 |
同日付 1月2日~7日までの電話・電報料金明細書の送付
この間の電話代と電報代は、木村小屋に前渡ししてあったようだ。下記の明細書と共に過剰金が送られてきた。
差出人は、奥原幸江氏となっており、丁寧なお悔やみの言葉と共に送られてきた。
明細書をご覧いただくと、電話の回数などが見ていただける。尚、電報の宛先イシハラツトムとは、石原ご兄弟のお父上である。 |
以下の写真をクリックしてください
<その3:ナイロンザイル切断原因の究明>へご案内いたします…
2015年5月8日記
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