<その18:ナイロンザイル事件終止符宣言>
昭和34年1月~12月
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この年は、ナイロンザイル事件の第一次収束の年です。
長く続いた「暗黒の章」を締めくくるにあたって、この年の他の資料を入れると煩雑になり、ナイロンザイル事件そのものが判りにくくなると思いますので、ヒマラヤ関係の資料などは、後の章に送って、ナイロンザイル事件関係の資料のみをピックアップして掲載させていただきます。そのことにより、昭和34年が次の章と被ってしまいますが、ご容赦いただきたく存じます。
では!3年以上に渡り取組んで来ました「暗黒の章」最終頁‼ 是非、ご覧ください(*ノωノ)
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昭和34年4月23日 名古屋大学新聞記事
「ザイルはもう切れない」
父が発明した「衝撃時における登山綱切断防止装置」(通称「オネストジョン」と言った)が完成したという報道である。しかし、残念ながらこの装置は完成していなかった。
右の記事をクリックしてください 大きくなってお読みいただけます
この記事の下には、下記に掲載する3枚の写真とコメントが付けられていた。
御在所岳兎の耳での実験
この人体模型は
久しくテント場にあった |
定光寺での実験
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九州玄界灘に面した絶壁での実験
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5月23日 毎日新聞記事「ザイル」
この記事も名大新聞と同様、「登山綱切断防止装置」が完成したというニュ-スで、1個の価格まで書かれいて、驚いた。
文中に「昭和31年1月北アルプスの前穂高で、弟の三重大1年の若山五朗を失った」とあるが、昭和30年の誤記である。 |
6月20日 篠田軍治氏宛 「陳謝請求催告書」 伊藤経男氏・石原國利氏・父・富夫叔父よりの書留証明内容郵便物として、千種郵便局から出された勧告書
昨年12月22日に続く、2回目の勧告書である。以下に解読清書。
陳謝請求勧告書
御承知のナイロンザイル事件について昭和33年12月22日第614号内容証明郵便物で差し出した書面の内容に従って陳謝広告をなされるよう重ねて勧告します。 |
8月31日 岩稜会発行 「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」
三度の公開状と二度の催告書を出したにもかかわらず、篠田教授は返事もよこさず知らぬ顔を通した。
この声明には、3種類ある。岩稜会発行の右の物と、若山富夫叔父が、親族や友人向けに作成した父の書いた文章を簡略化した物(以下に掲載した物がそれである)。そして、三重県山岳連盟が発行した『ナイロン・ザイル事件 論争を終止するに当たって』(9月12日付なので、その日付の部分に掲載する)であるが、三重岳連の物は岩稜会が発行した物と内容的には同じだが、篠田教授を鮮烈に批判している。
この声明は、長文であるが重要なので、以下に解読清書する。
昭和34(1959)年8月
ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明
岩稜会
遭難防止は,山へ登るもののひとしく望む所であります。また私達の社会を少しでも幸福にしたいということも,私達の願いであります。しかしながら社会の出来事の中には,そのまま放置しておいたのではそれが前例となってそれらに重大な悪影響をもたらすものがあります。こういうものに対しては,その事件を追求し,悪影響を及ぼさないような解決(以下これを正しい解決と呼びます)にまで持って行くことが必要であると思います。 「ナイロンザイル事件」はまさにそういう性格の事件であると考え,私達は,この事件の直接関係者として,このような解決を求めて過去4年半努力してきたのであります。 その間,新聞,ラジオ,雑誌,学者グループの要望書,山岳団体の声明等でしばしば取り上げられ,それに井上靖氏の小説『氷壁』のモデルとなり,多くの人々に知られ,多方面から正しい解決のためあくまで努力を続けるようにとご激励をいただきました。
しかし今回,多数の学識経験者のご意見をいただき,その結果,左記(下記)の解決をもって正しい解決に到達しえたと考え,これをもってこの事件の追求に終止符を打つことにした次第であります。
社会の秩序と幸福を願う人々にとっては,こういう解決の方法ではご不満の点もおありかと存じますが,事情ご賢察いただきまして,なにとぞご寛容いただきますよう伏してお願い申し上げます。なお,これまでいろいろとご指導,ご鞭撻いただいた方々のご厚情に対し衷心から厚くお礼申し上げる次第であります。
記
(イ) まず,私達は誰のどの行為を問題にしているかという点を記します。それは昭和31年6月発行しました「ナイロンザイル事件」なる印刷物の冒頭宣言にかかげましたように,大阪大学教授であり,当時日本山岳会関西支部長であり,登山用具の権威者である篠田軍治氏が昭和30年4月29日愛知県蒲郡市東京製綱株式会社内において,新聞記者,登山家多数の面前でザイルの性能に関する公開実験をなされましたが,そのときの篠田教授のご行為を私達は問題にしているのであります。
それは昭和30年1月2日北アルプス前穂高岳で登山者が遭難死し,その死因について同行者の報告の真偽をめぐり同行者に重大な醜行容疑がかけられましたが,その死因鑑定の立場にある篠田教授は,公開実験前の予備実験によって,同行者の報告は正しくその容疑は無実であることを確認せられましたが,公開実験ではその容疑が事実であるとする特殊の実験を行われました。
また日本山岳会関西支部長という立場上,登山者の危険防止を十分考えられなくてはならないのに,公開実験前の実験によってナイロンザイルに従来知られていない重大な欠点を熟知せられながら,その欠点が全くないことを示す実験のみを行われました。(注1)
(ロ) 次に篠田氏のかかるご行為が前例となって,今後社会の秩序をみだす危険性があるという点について述べます。
私達は篠田氏のご行為は,例えば「乳幼児の死因は,ミルクに致死量の砒素が入っていたためだということを実験で確認した最高権威の教授が,ミルクには砒素が入っていなかったと発表した」ということとまったく同じであると考えます。
篠田氏のご行為は遭難現場にいた同行者に死因についての無実の容疑をかけるという不当な人権侵害をなし,かつ一般登山者の生命を危険にさらした反面,ザイルメーカーは死因について当局並びに遺族の追及をのがれ,かつ,もともと良心的なメーカーであったという信用を確保する点で莫大な利益を得たのであります。
従って,もし,著名な学者である篠田氏のこのご行為がそのまま容認されるようならば,今後メーカーの過失にもとづく人命喪失が発生しました場合,メーカーは今回の事件をよい前例として学者に依頼し,事実をまげて自己の方を不当に有利にし,一方,無実のものに罪をなすりつけたり,大衆の生命を危険にさらすという人権の不当侵害があいつぐことが容易に想像され社会秩序がみだれると考えられるのであります。
更に大切なことはこの文明の発達した複雑な社会で,お互いの生命が維持されていくのは,おたがいの生命を尊重し合い,とくに生命にかかわる品物を取り扱う人々は,危険防止のための万全の注意をすることが絶対に必要なのでありますが国民の指導者である著名大学教授のこのような行為は「危険防止のための万全の注意」の強調を空虚なものとすることはもとより誇大宣伝が他人の生命を無視してまで行われること(実質的に殺人と何らかわりありません)に足場を与えるなど,まことに影響は大きいと考えます。
(ハ) さて篠田教授のご行為による将来への悪影響をのぞくにはどういう状態にすればよろしいか,またそれに向かって私達はどのように努力したかという点について記します。
この事件でさらに悪いことには,篠田氏はこういうことは別に悪いことではないと説明しておられ(注2)一部学者の間にもそういう見解を取る人々があるということであります。(注3)もちろん他方ではそれではいけないとする人々があり,(注4・注5・注6)現にその相反する2つの見解が対立しているわけでありますが,私達は社会の将来にとってこれはまことに重大だと思いました。
この問題は,大衆の生命に直接かかわることであり,同時に社会に大きな影響力をもつ学者のあり方に関することであって,この問題を見解の相違とか,水掛け論のままでおいておくことは絶対に出来ないと考えました。
今後の影響をのぞくには何としても篠田氏に「自分の行為は悪かった」と遺憾の意を表していただくか,少なくとも「そういう行為は拙い」ということを客観的に確立しなければならないと考えました。
そこで私達はその点,直接篠田氏にお願いすることはもとより,篠田氏のご行為を今後の影響上拙いと考えられた朝日新聞専務信夫韓一郎氏(昭和32年6月)や大阪大学学生部長森河敏夫氏(昭和33年8月)からも篠田氏にその点をお願いしていただきましたが,篠田氏は主張をまげられずお願いしましたが篠田氏は主張をまげられず、また第三者の方の調停も不調に終わり,もはやこれを遂行するには篠田氏のご行為によって少なくとも相当期間死にまさる不当な迷惑をうけた私達から「遺憾の意を表していただく」という点で民事訴訟によって争う以外に手段はないように思われ,事実その決心をしたこともありましたが(時効は催告によって現在なお続いています)現社会事情のもとでは,訴訟という方法は経済的にも困難の多い方法であって,これによって果たして初期の目的が得られるかどうか確信は持ちにくいと,次第に考えるようになりました。
何か他に良い方法はないかと苦心しておりましたが今回,つぎの方法によれば「そういう行為は拙い」ということを客観的に確立するとともに「篠田氏はそういう行為をなされた」という点も確立し得たと考えましたので,この方法を採ることにいたしました。同時にこれによってこの事件に終止符を打とうと考えたわけであります。
(ニ) それはどういう方法かと申しますと,これまでの経過の中ですでに見いだされるものであります。つまり昨年10月と11月に篠田教授に公開質問をさしあげ,これが新聞,ラジオに大きくとりあげられましたが,この反論が篠田氏からなされこれまた新聞,ラジオを通じて報ぜられましたがそれは,「ナイロンザイルに欠点があることは明らかである。4月29日の公開実験は,船舶,飛行機に関する実験であって,ザイルとは無関係である」というものでありました。
つまり,篠田氏は,従来の主張を急に変えられたわけであります。従来篠田氏は,既述しましたように,私達の申し上げている事実を全部認め,しかもそれは別に悪いことではないという主張でありましたが,今回はじめて「そういう事実はない」といわれたのであります。
何故,従来の主張を変えられたのでしょうか。もし,そういうことが悪くないと真実考えていられるのならば,従来通り,「悪いとは思わない」といわれてもよいはずでありましたのに,その主張を急に変えられたのは,「従来の主張では押しきれなくなった。」つまり,「そういう行為は悪いことだ。」と気付かれ,そのために今回,「そういう事実はない。」というように主張を変更されたと考える以外にありません。
しかも,「あれは飛行機,船舶のロープの実験でザイルの実験ではない」というご発表はあとからも述べますように,万人のみとめがたいところで,そういう明らかなうそをいってまでも従来の見解を変えられたということは,篠田氏ご自身,「そういうことは非常に悪いことだ。」とはっきり認められたものと考えてよいと思います。
つまりここにおいて私達は篠田氏並びに同氏をめぐる一部の学者の従来からの主張は(とくに注3に記したU教授のご見解を含め)誤りであったということを客観的に確立し得たと考えるものであります。
真実をまげ,他人の生命,名誉を不当におかしてまで,メーカーを有利にするという学者の行為は正しいものではないということが,実にこれだけの年月をへて,はじめて確立しえたということは感慨無量であるとともに,これはひとえに私達を応援して下さった実に多くの人々のお力添えのたまものと喜びにたえないのであります。
私達は今後かりに誰かが篠田氏の行為が正しかったということで,まきかえしてしまおうとしましても,(これは十分想像されることですが)以上の点でくいとめることは確かに出来ると信じ,これをもって正しい解決をなしえたと考えるのであります。
実際,水掛け論のままでは,「まきかえし」はくいとめられず,よいことか悪いことか分からなくされてしまい,今後ともメーカーと学者によってこうしたことが,行われるに違いありません。それが,「こういうわかりきったウソをいわねばならなくなってしまった。」という結果で終わったということであれば,よもや,「篠田氏の行為は良心的だった。」という点にまでまきかえされるはずはないと考えるのであります。(中部日本新聞社内では,篠田氏のこの反論発表以来,誰一人として篠田氏を支持する人はいなくなったということであります。(K記者の談))
(ホ) さて,ここにおいて篠田氏にそういう行為があったとすれば,それは悪いことだ,篠田氏としては反省すべきことだということがはっきりしたわけでありますが(これは判例からも当然すぎることです。注7)次の問題点は,篠田氏にそういう行為があったかなかったかという点であります。
著名学者がそういう行為をなされるということは,実際には重大だとは思いますが,実は私達はこの点は今としては追求しようとしまいとどちらでもよいという気がします。この問題は篠田氏個人,あるいはそれを追求した私達との問題にすぎないのであって,「そういうことが,善いことか悪いことか。」という前記の大衆の生命に直接かかわる善悪の判断の問題に比すれば,まるで僅少な問題であるからであります。
しかし,ここまできた事件でありますから,この点についても少々述べさせていただきたいと存じます。
4月29日の公開実験は篠田氏によれば,「ザイルと無関係な船舶,飛行機の実験」であり私達によれば「ザイルに関係のある実験」なのであります。もとより,あの実験がザイルに関係あるものであったということになれば,ザイルという生命にかかわる品物の公開実験で,何故欠点を知りながら,しかも観衆はその欠点を知らないことを承知しつつ,逆にその点をも長所とみせる実験を行ったかという質問に,篠田氏は答えられるはずはなく,篠田氏のご行為はまことに非良心的な行為だったということになります。
一方あの実験がザイルに関係がないとすれば,私達はもとより朝日,毎日,中日,はじめ各新聞,登山家がそのように勘違いしていたことになります。それならば,あの実験は篠田氏のいわれるように,「ザイル」とは無関係の実験だったのでしょうか。あの実験では,「これは前穂高岳の遭難のときにつかったザイルと同種のナイロンザイルです。」といわれております。また,「この通りナイロンザイルを45度の岩角にかけておおむね人間の体重に等しい錘をおとした場合でも麻ザイルより強い。」ともいわれております。それにもっとはっきりしているのは篠田教授ご自身になる論文中に,東京製綱での実験は,ナイロンザイル切断原因究明のための実験の一部であると記されていることであり,また検察庁の調書でもその点は明らかに認められております。
要するに篠田氏のこの反論がウソであることは,篠田氏ご自身が一番よく知っていられることであり,篠田氏にそういう拙い行為があったことは,今となっては,周知の事実であります。
(ヘ) 要するに,「その道に権威の大学教授が,ナイロンザイルが岩角で重大な欠点を持つことを,すでに承知しておりながら,かつ『岩角でも欠点がありませんね』と語りあっている登山家,報道関係者を目前に見ながら,その岩角で欠点をあらわさないという特殊の実験を黙って続ける」という行為は,良心のカシャクのためとうてい出来ない行為なのであります。
もしくは,その行為は,もしその行為をすれば,今回のようにこのわかりきったウソを,大学教授であり教育者である自身が発表せざるを得なくなるという,そういう恐ろしい行為なのであります。私達はこの点をはっきりと確立しえたと考えます。同時に,篠田氏も深く,反省していられるに違いないと確信するのであります。
(ト) さらにもう一つの点は,篠田氏にもし以上のことで反論されたいお気持ちがおありならば,私達と公開の場で会っていただきたいということであります。私達は上記を証明する資料を持って参上します。
なお,公開の場について,私達はとくに,大阪大学工学部教授会の席を切望します。この問題は,単に篠田氏または一部工学部教授個々人の問題でなく,国立大学教授のあり方に関する問題であり,生命に直接かかわる問題であり,もとより国民にとって最大の関心事であり,このお願いは決して筋違いではないと確信します。
この点につきまして工学部教授会のお力添えをいただきますれば幸甚と存じます。
しかしながら,それについて篠田氏は,従来でも,そうであられたように,おそらく,「そういうものには,会えない。こういう声明は,詭弁だ。」とでもいわれるでしょうが,従来かくも多く,新聞,ラジオ,雑誌に掲載され(こういう篠田氏の名誉をキ損するようなことは,新聞,ラジオといえども高度の社会性と真実性とがなくては,いえないものであります。)また著名学者の要望書など多数出されていることから,一体,どちらが詭弁なのかは,どなたにも判っていただけると思います。もし,篠田氏が,公開の場に現れない限り,あるいはそういう措置に出られないかぎり(例えば,私達を名誉キ損で訴えるとか。もちろん私達は,真実性と社会性でもって闘います。)私達は,「篠田氏の行為は拙かった。」とここに声明するのであります。
(チ) 私達はいうまでもなくいまとなっては,篠田氏個人に何等恨みも持つものではありません。(注8)ただ,以上の点を明らかにすることは,とくに現在の社会事情としましては,今後の社会にどうしても必要なことであると考えているだけであります。
今回はこのような生ぬるい解決でもって終結しますが,実際,もしもこういう事件が今後とも起きるようなことがありましたならば,そのときこそは必ずや,大衆の怒りとなって爆発すると確信します。
国家公務員たるしかも最高の教育者たる学者が,特定の個人に対してばかりでなく,大衆の生命を危険にするなどということは,まさに人類の敵であるからであります。
もしもこのことが,先進国である西欧諸国で起きたとしましたならば,それは大変だろうと思います。
こういうことが正しいと考えられていられる学者に猛反省をお願いするとともに,今後二度とこのような不祥事が起きぬようメーカーも学者も十分自戒せられることを衷心からお願い申し上げます。
また,検察庁におかれましては,このような大衆の生命に大きな影響を及ぼす事件につきましては,多忙のため,調査が出来なかったといわれたり,政治的な配慮をなされずに(すべての者に平等であらねばならない法が,無力な一般民衆に対しては,苛錯(仮借)なく適用されますが,権力者(資本家を含む)に対しては政治的配慮なる「隠れみの」のもとに,全く適用されないのではないかということを私達はこの事件を通じて残念ながら確信させられたのであります。)適切な判定をなされるよう伏してお願い申し上げる次第であります。
考えてみますのに,100年以前までは,「斬り捨て御免」がいわゆる「おきて」として通用していた時代でありました。このような非民主的な制度も,これによって利益をうける人々がある以上,すてておいてもそのまま自然に改善されてゆくということは決してありません。私達の社会を幸福にするには,やはり正義と真実を求めてお互いにたえず努力することが絶対に必要だと考えるのであります。現在の社会は昔にくらべればおおくの人々の苦しい努力によってたしかに改善されています。しかし,まだまだこのような恐ろしいことが起きる世の中であります。
私達の苦しい出費と青春をかけたエネルギーが,社会の向上に少しでも役立つものならば,それは私達にとってただただ無上の喜びとするところであります。
注1
(イ)中部日本新聞社ではこの公開実験を参観するため笠井亘記者ほか2名が出席され,その実験の模様が昭和30年5月1日「強度は麻の数倍」という見出しで6段ぬきで報道されましたが、その大要は「北アルプス前穂高岳でザイルが切れ,三重大学生が墜死したがこの事故に対処し,メーカーの東京製綱では工費100万円を投じてザイルの衝撃落下試験装置をつくったが,遺体捜索隊が穂高に向かったという4月29日篠田教授により多数の登山家,新聞記者の列席のもとに大々的な実験が公開された。その装置は,身体の重さの錘をウインチでまきあげ,45度,90度の岩角の上の任意の位置から落とすものである。この実験の結果前穂高岳で切断したザイルと同種のザイルを,45度の岩角にかけ,切断時と同一条件で落下させたがザイルは切れず,また落下距離を数倍高くしてみても切れず,ザイルを岩角で横にこすりつける実験でも切れなかった。だから前穂高での事故がエッジ上の衝撃という想像は影がうすくなった。またナイロンザイルは鋭い岩角にかかったときには弱いのではないかといわれていたが,そういうときでも麻ザイルの数倍強いことが分かった」というものでありました。しかしながらそれからほぼ3年経過した昭和33年4月3日,同じ笠井亘氏の筆で「ナイロンザイルは岩角では20分の1」という見出しでやはり6段ぬきで「篠田教授は30年4月29日の公開実験以前にナイロンザイルの重大な欠点を示す実験を行っておられながら,今もってその実験を公表されず,しかも公開実験では,前穂高岳の事故条件と同じという実験で切れない実験とか,45度の岩角を使っての実験で,ナイロンの8㎜は麻の12㎜より強いという実験のみを行われた。もし篠田教授がナイロンザイルのおどろくべき欠点を示す実験結果を発表していられたならば,危険防止について妥当な方法が考えられ,今回ナイロンザイルが切断墜死した神戸大学の2名も助かっていたかも知れない」と報道されました。
なお,同記者からわれわれに対し「ナイロンザイルに関しては篠田教授は“強い面”のみ公開実験し,重大な欠点である(特に山に於ける)弱い面の公開実験を行わないのはおかしい事です。その意味におきましても大いに追求して頂く事が小生個人としても,また岳連のためにも必要と思います」というお手紙(原文のまま)をいただいております。
なお,公開実験で,45度の岩角にかけたナイロンザイル8㎜が麻ザイル12㎜より強いという結果を示しましたのは,岩角が0.5㎜ないし2㎜という丸みがつけられてあったためであります(検察当局の調査)。
ナイロンザイルが衝撃に強いという点については登山界ではもともと周知であり,それが今回の遭難事故によって問題となったのは,岩角が穂高の岩のように鋭いときに(丸くないときに)ナイロンザイルが果たして欠点をもつものかどうかという点であります。つまり問題なのは遭難同行者のいうように,約90度の岩角にかけたナイロンザイルが約50㎝ずれ落ちただけで切れるものかどうかという点であります。篠田教授はこの問題点をよくご承知であります。昭和30年2月9日大阪朝日新聞4階で日本山岳会関西支部によるナイロンザイル切断原因検討会が行われましたが,このときこの点が話題となり,篠田氏はこの会に支部長として出席しておられました。また篠田氏は,岩角が穂高で普通にみられるように手で押してみて痛い程度に鋭かったり,ギザギザがあったりすれば,ナイロンザイルは麻ザイルに比して全く弱いということを公開実験前の実験で承知せられました。しかるに公開実験では登山者の安全にとって何の役にも立たない角の丸い岩を使って正反対の結果の出る実験を,しかも東京製綱の工場長が「ナイロンザイルはこのとおり岩角でも欠点がありません」と参観者に説明されているのを聞かれつつ,実験を反覆行われていたのであります。
また,なぜこういう岩角を使用されたという点について,昭和33年1月29日の大阪検察庁から送付されました告知には,篠田氏は「鋭い岩角でナイロンザイルが欠点をもつことは明白だから,丸い岩角で実験した」といわれ,東京製綱関係者では「岩角を丸くしないと,摩擦熱のため実験をくりかえすことが出来なくなる」また「運搬中に欠けるといけないから」と記されてあります。
(ロ) これについて昭和33年10月21日の朝日新聞の記事の一部(原文のまま)を記します。これは,われわれが篠田氏に対し公開質問を出しましたが、それに関して報じられたものであります。
「篠田教授は蒲郡での公開実験以前に,ナイロンザイルが岩角で重大な欠点を持つことを知りながら,そのことに触れず逆に欠点を全く示さない実験を行った。
(1)同教授は昭和30年1月,岩稜会が須賀太郎名大工学部教授の指導で行った実験で,穂高の岩場で普通に見られるような稜角66.5度及び47度の角にザイルをかけた場合,事故の起きた同種のザイルに約70㎏の重りを加えると切れるという結果を正しいと認めながら,公開実験では,稜角45度でしかも2㎜の丸みのある岩角を使い,約500㎏の重りを加えて,ことさらに強いという実験をみせた。
(2)同教授自身も公開実験以前に東洋レーヨンで事故を起こした同種のナイロンザイルを使い,稜角60度の三角ヤスリでこすり,麻ザイルの20分の1の強度しか示さないという驚くべき欠点のわかる実験を行っていた。しかし公開実験では,ギザギザのない45度の岩角にナイロンザイルをこすりつける実験を行い,非常に強いという結果を示した。
このような実験は,長所,欠点ともよくわかるよう慎重に行うべきで,登山界の指導者として遭難を防ぐべき立場にある学者として疑わしい。
このような問題がウヤムヤにされるならば,今後悪徳メーカーが利益をうるために同様な実験を計画し,学者もこの前例を幸として受け入れることになり,生命が軽視されて人権侵害が跡を絶たない。」
なお,篠田教授の行われた問題のヤスリ実験(ナイロンが20分の1の強さという)のことは,1956年7月発行,日本山岳会会報(金坂一郎氏執筆)に記してあります。
注2
大阪大学学生部長森河敏夫氏にはこの件で格別のお力添えをいただいておりますが,森河氏は「篠田教授はそういうことを悪いとは思っていられない」と非常に驚いて語られていました。また森河氏からいただいたお手紙の中でも「篠田氏とは考え方の基準が全く異なっていて話にならない」とかかれてありました。
注3
昭和33年4月,関西の著名大学の教授U氏に,この件とは別の用件でお目にかかりましたが,そのときたまたまこの事件のことが話題にあがりました。それについてU教授がいわれるには,
「私は篠田教授のご行為をべつに悪いとは思わない。実は私にも4,5年前にそれとよく似たことがありました。それは火災が起き,その原因について電気機器が不良であったか,それとも家族が不注意であったかということで問題になり,私が電気専門ですから,当局から私にその鑑定を依頼されました。私は早速調べましたところ,火災の原因は,その電気器具が当然銅を使わなければいけないところを,鉄を使ってあったため普通の取り扱いをしてもその部分が過熱して火災が起きたことがわかりました。ところがそれをそのまま発表しますとメーカーの信用が落ち,メーカーは非常に大きな損害をこうむることになるわけですが,そのメーカーは大メーカーですから,これは社会にとっても大きな損害ということになります。ところが「別に電気器具は悪くなかった」といえば,それは家人の失火となってその人には気の毒ですがその人一人だけの被害ですみます。国家的にみてどちらをとるべきかといえばもちろんメーカーを助けるべきです。私はこのように社会全体から判断して電気器具に異常はなかったと発表しました。私のとった方法は現在でも正しいと思っています。篠田教授のご行為はこれとよく似たケースで篠田教授がそうなされたのは正しいことだと思います」と語られました。
U教授は本当にそう思っていられるようでありました。
注4
この事件に関し多くの人々からお手紙をいただいておりますが次に2,3をあげます。
①某学者(原文のまま)
「わたくしは登山と無関係なのでお送りいただいた資料を見て見当ちがいのようにおもいましたが読んでゆくうちに,だんだん重大な問題であることを感じました。井上靖の小説よりも事実そのものの方が力強く複雑で日本社会の内部を照らしだしています。日本の学者が会社に飼われているさまは如実に出ています。貴殿が屈せずがんばることを期待します。もし必要あれば微力ですが援助を惜しまないつもりです。」
②某著名登山家(多数著書あり)
「この問題は山岳会の腫物と相成り居りこれが明朗な解決は一にかかって尊台にあるものとの威を深くしました。今後共,御努力下さいまして明朗な社会の建設を期されるよう,茲に貴会に対し満腔の敬意を表します。」
③同じく
「ナイロンザイル事件がいまだ未解決あるいは,当局の裁定が歪曲されたまま葬られるおそれのあることは,岳会のため黙過出来ないものがありますので飽くまで登山の正しい発展のため貴会を支援する立場をとります。」
④著名評論家
「御送付下さいました諸文書を読み心ひかれました。この問題について無知であったことを自ら責めました。この問題は徹底的に究明されねばなりません。それは単にこの事件の関係者の黒白のためだけでなく,今後も起こりうるさまざまの同種類の問題のために必要です。(中略)もしその上に今日の日本では,あらゆる場合に発生することが想像出来るようなスキャンダルが背景に存在したとすれば大変なことです。真実はドルよりも弱いかのような今日の日本で,真実をつらぬくことは大変な努力と困難を伴いますがもし御主張のような不明朗な形で事態がウヤムヤにされているのなら,あくまでもその究明のために奮闘して下さるよう希望致します。それは単に関係者個々人や貴会の名誉のためだけでなく,現社会の病根の一つにメスを入れることですから。」
⑤日本山岳会某理事
篠田教授のご行為はまったく驚くほかありません。いやそれどころか現在ナイロンザイルのこの明らかな欠点すら,ふたたびぼかされてしまおうとしております。このためにも努力を続けられるよう期待します。
注5
学者グループの要望書を記します。
拝啓 陽春の候貴殿には益々御健勝にわたらせられ大賀至極と存じます。
さて私達は,昭和31年6月22日名古屋地検に提出され,目下貴職の御審査になる告訴人石原国利氏,被告訴人篠田軍治氏にかかる名誉毀損罪の訴に大きな関心をもつものであります。
そもそも,事故が防止され大衆の生命が守られるためには,衆知の「生命に関する品物を取り扱う人々には,危険防止のための万全の注意義務が課せられている」という点がますます強調される以外にはありませんが,他方,それを取り扱う人々特に業者にとっては,面倒な製品検査とか欠点がある場合には,それを明らかにするなどの必要がおこり利潤に影響しますので,一部業者の中にはこの義務の軽視という憂うべき傾向があることも否定出来ません。
私達が関心をもつ上記の告訴には,「当然この義務を強調且つ実践すべき国民の指導的立場にある学者が,それを無視して社会に危険な状態をつくった」という点に対する追求が本質的に含まれるものと考えます。
本事件が社会的な問題として高まりつつあるとき,もしもこの正しい解決が社会に明らかにされず,ウヤムヤに葬られたならば,この義務軽視という一部の傾向に足場を与え,この義務強調への努力が響きのうすいものとなり,ひいては,大衆の生命が守られるべき根本の道徳がくずれていくことが予想され,寒心にたえないところと考えます。
貴殿におかせられては,本件を充分に調査していただき,妥当な結果に導かれることを衷心からお願い申し上げる次第であります。 敬具
昭和32年4月25日
名古屋大学法学部長 信夫清三郎(印)
名古屋大学教授
名古屋大学山岳会会長 須賀太郎(印)
名古屋大学教授 小川太郎(印)
三重大学教授 藤村次郎(印)
他 17氏署名捺印
大阪地方検察庁 担当検事殿
なお,この告訴は昭和32年7月不起訴処分となり7月31日の朝日新聞には,検察当局の見解として「篠田氏の実験は良心的」と報道されました。しかもその理由はまったくなっとくの出来ないものであります。これは今後の社会の影響上まことに重大なことと思いますが,これについての私達の見解につきましては,山と渓谷社『岩と雪』(Ⅰ)(Ⅱ)の「ナイロンザイル事件」をみていただきたいと思います。
注6
昭和31年11月11日発表された三重県山岳連盟の声明を記します。これはその一部が11月23日の朝日新聞に報道され,また奈良県吉野市で行われた全岳連評議員会に緊急動議として提出され,全岳連としてこの問題をとりあげることを可決しました。
「昭和30年1月2日前穂高岳東壁でおきたザイル切断墜死事件並びに昭和31年6月22日,当時,日本山岳会関西支部長であられた篠田軍治氏に対する岩稜会石原国利氏の告訴事件は登山界にとっても,社会にとっても誠に遺憾な事件であった。今後再びこのようなことが起きないよう原因が追求され,反省さるべきところには反省がなされなくてはならない。我々はそういった意味でこれらをつぶさに調査してきたのであるがここにはからずも後に示す9項目の疑問にぶつかったのである。これらの疑問が関係者によってどのように解答されるかは知らないが,おそらく以下示す2つの誠に重大な疑惑につながってゆくものと確信する。」
①生命に関する品物に関し……(メーカーに向けられたものであり,ここでは省略します)
②これらの疑問が示すものは誠に残念なことであるが,学者が学者としての立場を忘れ,真実をおかし,人命尊重の精神を犠牲にしてまでも,メーカーを不当に有利にしようとしているという結論に,みちびかれていかざるをえないところのものである。もとよりかかる行為は社会の最大の不幸となるものである。何となれば社会における唯一の絶対性・客観性をもつものとみなされている学者が,もしも不正に利用されるときは,もはやこの不正を追求する方法はなく,不正は横行し,社会は戦慄すべき状態となるにちがいないからである。
要するに上記2つの疑惑は大衆を生命の不安においおとし,社会の秩序を根底からくつがえすものであって絶対に黙過出来ないものである。しかしてこのような恐るべき事態から社会が救われるためには,これらすべてが明らかにされることによって厳に批判され,関係者において今後再びかかることがないよう充分な反省がなされる以外に道はないと考える。我々は次にこの疑惑の根拠となった9項目の質問を提出する。
篠田軍治氏に対して6項目の質問 東洋レーヨン株式会社に対して1項目の質問
東京製綱株式会社に対して1項目の質問
新保正樹氏に対して1項目の質問
質問の内容については省略します。
なお,これについて東京製綱社長三木氏は全岳連並びに三重県山岳連盟の代表に対して非を全面的にみとめ深甚なる陳謝の意を表せられました。(全岳連報告第5号)
注7
学者であり教育者である篠田教授の不可解なご行為の結果として私達は不当にもたえられぬ日々を送ることになったのでありますが,当然その責任は追求可能でなくてはなりません。それには名誉毀損罪(刑法230条)があり,それについての判例は次のようなものがあります。(一般登山者の生命を危険にさらすことになった罪はもとよりでありますがここでは省略します。)
(1)演説の全趣旨及び当時の風説その他の事情によって一般聴衆をして何人がいかなる醜行をなしたかを推知せしめるに足る演説をしたときは名誉毀損罪が成立する(本件の場合演説を実験に,聴衆を観衆におきかえればよい)
(2)名誉毀損の訴訟において,もし合理的な人がその発表を原告について名誉毀損的であると認めるならば,被告が原告を名誉毀損する意志がなかったことを示すことは抗弁にならない(本件の場合は,新聞記者は篠田氏の行為を名誉毀損的であると認めている)。
(3)そのような事実摘示をすることがはたして公益上必要であったかどうかということが問題の核心である(本件の場合,登山綱の実験であるとすれば,岩場で普通にみられる岩角よりも丸い岩角での実験というものは公益上何の役にもたたない)。
(4)通常人として当然払うべき注意を怠るならば不法行為が成立する。
(5)故意の責任は,……社会がその行為者に対しその行為に出でざりしことを期待し得べき場合であったに拘らずその行為を敢えてしたことを責むるをもってその精神となす。
注8
篠田教授の公開実験後,私達は,周囲の白眼視の中に(私達の家族を含め)たえられぬ日々を送り,あまりにもひどいメーカーと篠田氏の仕打ちにただただ憤怒したのでありますが,その後多くの人々のご支援と私達の努力により現在では私達に向けられた不当な疑惑はまったく解消したと考えられるのであります。つまり,各新聞,週刊朝日,文芸春秋をはじめ,すべての山岳雑誌が報道していますように,私達は遭難現場の岩角を確認し(奇跡的な事実がありました『岩と雪』(Ⅰ))その岩角を石膏にとって実験し,かつ遺体に結ばれていたザイルの切れ口の特殊の形状(階段状)は岩角による切断であることを理論的にも実験的にも証明しその結果,同行者の報告が正しかったことを立証したのであります(切れたザイル,石膏,実験の模様をはじめこの事件に関する資料は,昨年末以来,長野県大町市立山岳博物館に陳列されてあります)。
父は、この声明の「注3」に掲載されている大阪の著名大学教授が語られた事柄に失望して戦意を喪失してしまったのである。この教授の言葉は、以下に掲載する11月1日発行の『岳人』スクラップ掲載記事、「電気製品とナイロンザイル」にも記され、父のコメントもあるのでご覧いただきたい。
この声明の貼られていたスクラップブックの余白に記された文を以下に清書する。
民事訴訟の道、抗告の道、検察審査会の道、我々は正に十字路に立ったが、結局、公開質問の方法により、篠田氏にはっきりとウソを言わせ事件に終止符を打った。
この声明の最後には、鉛筆字で以下の様に記されていた。
平成3年の現時点での感想
本文に記したようにその後、ナイロンザイルの安全神話により私たちは再び無実の汚名に苦しむことになった。それは、52年の覚書によって解消したが、今回の覚書の破棄によって三度白紙にもどった。
この感想に書かれた「覚書」などについては、後の章で詳しく掲載する。
右の印刷物は、後に出された「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」の訂正箇所を記した文である。擦り切れて読みにくいため、以下に清書する。
尚、訂正・抹消部分は、上記の解読清書中で取消線を入れて、訂正した。
去る8月31日に発送申し上げました「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」中、まことにお手数ですが表記の点を抹消(または抹消の上訂正)したく存じますので、どうかよろしくお願い申します。
なお、私たちは、信夫緯一朗氏(朝日新聞専務)、森河敏夫氏(大阪大学学生部長)に調停をお願いしながら、両氏の、この事件に関する第三者としての客観性を低める記事をかかげ両氏にご迷惑をおかけしましたことを両氏に対し喪心から深くお詫び申し上げる次第であります。
記
(一)4頁上段7行目から12行目までの「お願いすることはもとより…篠田氏は主張をまげられず」を抹消していただき「お願いしましたが篠田氏は主張をまげられず、また第三者の方の調停も不調に終わり」と訂正。
(二)13頁下段25行目から14頁上段4行目までの「注2」を全部抹消。
上記したように、メ-カ-が利益を得るため(国家が繁栄するため)には、人命の犠牲を払っても仕方がないと考える人が多数いる。戦争しかり、公害問題しかり、公文書改ざんしかりである。そういうことを父は知って、戦意喪失してしまった訳であるが、逆に人命を尊重する人々の支えを得ることが出来、マスメディアの支持も受けられたことで、この後、純粋でバカ正直な父の性格や生き方を左右することはなかった。そして、ナイロンザイル事件はまだまだ続くのである。
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同日 若山富夫叔父発行「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」
上記で記したように、この印刷物は富夫叔父が、父の書いた声明を簡略化したものである。
右をクリックしてくだされば全文お読みいただける。 |
新聞各紙
「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」の発表を受けて、新聞各紙はこぞって掲載した。
各記事をクリックしてくだされば、大きくなってご覧いただける。
8月31日 朝日新聞記事
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9月1日 中日新聞記事
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9月1日 伊勢新聞記事
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9月1日 毎日新聞記事
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9月3日 伊藤経男氏宛 今西錦司氏からの礼状葉書
以下に解読清書。
前略 「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」お送りいただきありがとうございました。長期にわたる抵抗、ほんとうによく闘われました。ご苦労様でした。敬意を表します。今後はほがらかに岩稜会の発展のためのよき登山を重ねられんことをお祈りします。 |
同日 伊藤経男氏宛 風見武秀氏からの礼状葉書
以下に解読清書。
拝復 残暑御見舞い申し上げます。
早速ながら本日「ナイロンザイル」に関する報告書,拝読致しました。永い間いろいろと大変だった事と存じます。尚,朝日新聞社百々記者からも種々お聞き致し,誌上にても読み,まずまずの様に思われます。又,昨日は石岡氏からヒマラヤ行の手続き等に関し連絡あり,小生何かとお役にたてばと思って居ります。右一筆。 匆々(早々) |
9月5日 月2回発行『アルピニスト』新聞記事 「ナイロン・ザイル事件」
この記事は、岩稜会が発行した「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」を受けて記されたもので、事件のスト-リ-を追っている。
文中、石原國利氏が石原国愛と、誤記がある。
右の記事をクリックしてください
大きくなってお読みいただけます
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9月10日 名大新聞記事「人命軽視許されず」
この記事も「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」を受けてのものである。
記事の最後には、父の談話も掲載されているので転記する。
終止符を打った後でとやかく言いたくないが、新聞の記事の内容などで、焦点のぼけたものがあるので、何か言えと言われれば、やはり言わずにはおれない。
この事件の本質は、大衆の生命というものは、どういう場合でも守られるべきものであるのか、それとも一部の人々の金もうけのためには犠牲にされることもやむを得ないのかという問題である。
つまり「切り捨てご免」を現実に認めるかどうかということで、しかもこのことは学者の間でも意見が分かれているので、この事件は民主主義が守られるかどうかの天王山と言える。
特に学生諸君は、この事件の本質をしっかりと見つめていただき、さらに、民主主義を守るために何らかの具体的方法を考えていただければ幸いと思う。
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9月12日 父宛 富夫叔父からの手紙
以下に解読清書する。
拝啓 御手紙並に新聞記事を御送付下され有難うございました。ナイロンザイル事件の重点は、まだまだ一般には不明で、昨日、『アルピニスト岩壁に登る』という映画を見ましたが、それのパンフレット(30円)にも、ナイロンザイルの強度に疑問を持たれ、大いに世論を沸かしたとしています。もっとも最初はそうであったが、蒲郡実験からは変わっているはずだと思います。又上映された北野劇場の中にも、登山道具が飾ってありましたが、映画に出てくるものとして、麻とナイロンザイルが出ていました。ナイロンの方は、編んだものでした。映画の中では白ザイルと赤ザイルとして出てきて、「白ザイルを引け」とかと言った文句が、字で出ました。しゃべっている事は、日本語でないので不明ですが、同じく映画の中で40mの壁より下りるのに、ザイルが切断して12mよりない為、それを撚りを戻して4本とし、それを継いで下りる所があります。これもナイロンは編んである為、麻であったと思います。飾ってあった様に、本当に映画でもナイロンを使用していたかどうかは不明ですが、麻とミックスした編ナイロンでないかとも思われます。
何しろナイロンザイル事件の焦点は、インチキ実験による人命の軽視である為、ナイロンザイルがどうのこうのは第2の問題である為、この点を一般大衆にも良く解ってもらうと良いと思っています。
映画は第1に綺麗な事、第2に本場のアルプスのすごさと岩登りのスリルだと思います。一度見るべき映画だと思います。パンフレット同封します。(ザイルの項は最後の頁)
終結声明の印刷は、同封の寸法にてポケット版にしたらと思っています。早速印刷に出す予定でいますが、金額は目茶々々高い事も言わぬと思いますので、先ず100部出したらと思っています。できたら少し残して御送付致します。
今度の仕事は大阪の本店勤務のため、半分は出張にて、明日からも姫路工場へ、20日まで出張します。大阪へ来られた時には、電話をしてもらえばいろんな話もできると思いますが、出張で居ないと、都合悪い事もありますが、電話は大阪36-1331番(羊毛工務部 整備課内線489及び490)です。
尚プリントの最初に、次の様な文句を印刷したらと思います。
「本事件の焦点はナイロンザイルの悪質なるインチキ実験による人命の軽視であり、一部の人々の金儲けの為に、大衆の生命が軽視されたことに対する追求が、私達の努力してきた要点であります。」
『穂高の岩場』は大阪の書店で1・2軒見ました。駅前の阪神百貨店には特装版と普及版と1冊ずつありました。
朝日グラフは出たら早速買います。
では乱筆にて誠に失礼ながら右(上)御礼方々御一報まで。
9月12日夜 敬具
二伸 第二種郵便にて失礼します。終結声明を少し写真入りで製本して残す事も考えていますが、取り敢えず少しましなのを増版する程度に今回はしたらと思います。 富夫より
兄上様
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9月12日 『ナイロン・ザイル事件 論争を終止するに当たって』三重県山岳連盟 三重大学水町助教授著
三重県山岳連盟が発行した右の印刷物は、岩稜会の「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」を掲載した上記で記したが、3種類の内の一つである。この印刷物の貼ってあったスクラップブックの余白には、以下の事が記されていた。
岩稜会のものと同一内容であるが、書きぶりは実に対象的である。三重大学水町助教授のご苦心によるものである。
この印刷物は読みにくかったため、富夫叔父が、昭和35年1月2日に五朗叔父の遭難満5年に当たって本文を無修正で複製した。
重要資料であるためと、岩稜会の物と比較していただくために、以下に解読清書する。
ナイロン・ザイル事件論争を終止するに当たって
昭和30(1955)年1月2日の朝早く,前穂高東壁の頂上近くから,氷の壁に一条の傷痕を残して一人の若者が底知れぬ絶壁を墜落して行った。優秀,最新鋭の武器と信じたナイロン・ザイルは未知の欠陥を暴露し,確保する僚友にショックさえ伝えることなしに切断し去ったのである。かくして当時,三重大学1年生であった前途有為の好青年は穂高の雪に埋もれて再び帰らなかった。
小説『氷壁』のモデルとなったナイロン・ザイル事件の発生である。
この尊い犠牲を無駄にしないために,このパーティーの所属した岩稜会は事故の原因の追究に懸命の努力を尽くした。その努力のあらわれとして,同年4月29日,ザイル・メーカーである東京製綱K・K蒲郡工場において,ナイロン・ザイルの強度試験を行う運びに漕ぎつけることが出来た。しかしながら,この蒲郡実験こそは前もって切断しないように工夫され,準備された実験であったので,一部の卑しい人々によって,おろかにも,事件をわざわざ迷路に追い込み,紛糾への道を開いたものであった。
その後,全日本山岳連盟の問題として取り上げられ,事件の真相は次第に正義を愛する人々に認識され,社会問題化し,遂に小説『氷壁』となって広く一般化するようになった。
この間,全日本山岳連盟その他有志の熱心なあっせんが続けられ,昭和33(1958)年3月7日,遺族と東京製綱K・Kの間には円満了解が行われ,当事者間の問題としてはここに全く解決したのである。そしてこのことを同月下旬,北海道旭岳において行われた第2回全国登山大会の席上に報告することが出来たことは我々の大きな喜びであった。
一方,岩角に対して切断しやすいという,今は常識化したナイロン・ザイルの欠陥を,率直に認めたメーカーの誠意ある態度に反して,作為的実験によって,事件を不必要にもつれさせ,紛糾の原因をつくり,一時はクライマー側の不注意であるかの如き誤解さえ生じたことの直接の責任者,大阪大学工学部教授,篠田軍治氏は未だにその非を認めようとはせず,省みて他を言い,言を左右して強弁をつづけられていることは我々の最も遺憾に堪えない所である。
蒲郡実験の目的を今更,航空用,船舶用ロープの試験であったなどと主張されるに至っては,当時立ち会った我国主要新聞社はじめ,報道,山岳関係者を愚弄するも甚だしいものである。如何に苦しい立場に追い込まれたとはいえ,いたずらを見つけられたわん白小僧の言い逃れにも似て,その心情はむしろ哀れとさえ言わなければならない。しかし,とに角,氏が名誉ある大阪大学工学部教授の位置にあり,其の上,当時日本山岳会関西支部長でさえもあって,登山者の指導的立場にあった人だけに,子供扱いで済まし得ることではないのである。
職業に貴賤の別はないけれども,氏がくつみがきであったならば,この問題にかんしては社会的反応は格別のこともなかったであろう。不幸にも氏は大学教授であった。真摯なるくつみがきと不信の烙印を負うべき大学教授と神はいずれに微笑み給うであろうか。
ナイロン・ザイル蒲郡実験の模様を知る人ならば,その目的が登山用ザイルの強度試験であって,グライダーや船舶用ロープのための実験ではなかったことは最初の原子爆弾が広島に投下されたことと同じにハッキリした事実である。グライダー曳航用ロープの試験に登山界や事件関係者を呼ぶ必要があるだろうか。また事故のザイルと同種のものであることを実験の際なぜわざわざ説明されたのであろうか。
蒲郡実験以来,篠田軍治氏の言説は二転三転して止まる所を知らない。これが大学教授かと耳をおおいたくなるものがある。
蒲郡実験にかんする篠田氏の主張は,設定された条件に対する力学的結論として見る限りそれは正しい。ある実験を行って,その結果を忠実に機械的に記録しただけのレポートに対し,これを打ち破ることは出来ない。しかし問題は実験が如何なる条件の下に行われたかにある。しばしば指摘されて来たように,この実験は岩角の問題として行われ,岩角の鋭さ,隅角先端部の丸みのえいきょうをかげに押しやっていることに蒲郡実験の鍵がかくされていたのである。この実験は素人だましの芝居であったという外はない。
わかりやすいために身近の例について考えて見よう。同じ太さのナイロンと麻の糸を手に持って引っ張る時,ナイロンは麻にくらべてはるかに強い。しかしはさみかナイフで切って御覧なさい。ナイロンがどんなにかんたんに切断し,手応えがないか,実に明快にわかって頂ける筈である。
また同じナイフを使用する場合,とぎたての時と刃先をことさらに丸く潰した時ではどのような差があるか。考えるだけ馬鹿馬鹿しい話である。しかしそれでもナイフの持つ角度として見れば同一なのである。正宗の名刀でも刃を丸めてしまっては人を斬るどころか,みみずばれがせいぜいということである。
これを人目につかぬように,ことごとしく実験室の空気の中につつみ込んでごまかしたのである。さらに遺憾なことは,篠田軍治氏は公開実験に先立って予備実験を行っているのであって,その際,余りにもかんたんに切断するナイロン・ザイルに驚いて,隅角を丸め,鋭さを削って,単なる角度の問題にスリ替えてしまった事実である。
以上が蒲郡実験の真相である。このように仕組まれた実験において,ナイロン・ザイルが麻より強いことは当然であって,「この通り岩角に対しても強い」というような説明を行ったことは,日本山岳会関西支部長として何という奇怪なことであっただろうか。また多忙な人々を集めてこのようなカラクリ実験を行ったこと自体が奇怪である。しかし,岩稜会の熱心な追究は,多くの困難を克服して,手品の種を白日の下にさらけ出してしまった。
篠田軍治氏がこの事実に対して目を伏せる限り,氏はどのような酷評をも甘受しなければならない。また氏に確信があるならばなぜ岩稜会の要求する公開討論に応じて,正々堂々と岩稜会の主張を反駁しないのであるか。
氏が社会的正義感を有し,人間的良心に目覚めておられたならば,今日の紛争ははじめから起こらず,また後年の神戸大学山岳部の第2のナイロン・ザイル事件も未然に防止し得たものであった。
ズッと後日になって,篠田氏はナイロン・ザイルに欠陥があるのは自明だとか,岩角にかければ切れるのは当たり前だというようなことをいい出されている。それならばなぜ,予備実験でそのことを知りながら,実験の死命を制する重要条件がある岩角の丸みを当初にハッキリ説明しなかったのであるか。角度という言葉でごま化し,さらには岩角でも,ナイロン・ザイルの方が強いのだということを報道,山岳関係者に説明したのであるか。今このような篠田氏の言葉を聞くとき,甚だ非礼ながら居直り強盗あるいは三百代言といった言葉を想起せずにはいられない。
篠田軍治氏よ,氏によって行われた不正実験によって,純真なるアルピニストの一人の霊に汚辱のぬれ衣をかぶせられようとした。第2の事件においては2名の死を追加した。篠田氏よ,やがて来るべき名月に一人対して,手を胸において沈思されたい。
ファウストは魂を売った。しかし彼の真実は愛と救済を得た。篠田軍治氏よ,あなたは良心を売って何を得たのであるか。出発点を誤った篠田軍治氏。あなたが出発点に帰ってその誤りを是正されるならば,万人は歓呼してあなたの真実と偉大さを讃えるであろう。君子は過ちを改めるに憚らないのである。
事件を正道に返し,万人の納得の行く解決を得るための最後の機会を今,我々は篠田氏に対して与えたい。我々は勧告する。
「篠田氏よ,行きがかりや面目にこだわらず,出発点に帰り給え」と。
しかし従来の経緯から見て篠田氏の返答を期待することは困難と思われる。岩稜会の異常な努力も一方的声明合戦に終止し,公開討論を持つことが出来なかったからである。
今回の岩稜会の論争終結声明に対し,我々は未だ非常に不満である。それは水掛け論に終始し,討論による解決についていささかの前進も持ち得ずに打ち切ったからである。
篠田氏の社会的立場を傷つけたくないとする岩稜会の態度には好意を持つものであるが,その声明に微温の感を拭うことは出来ない。当事者としては反って遠慮もあることかと推察するのみである。
ともあれ,メーカー自身が既にその製品の欠点を認め,改良に努めている今日,篠田軍治氏の立場と主張は日進月歩する社会の常識から,ひとり置き去りを食ったのである。
氏が保身に汲々として実験室の壁の中から出ようとしない以上,我々も亦(また)如何とも満足すべき解決の道を発見することに苦渋しなければならない。
我々は次の事項を再確認する。
① 蒲郡実験において「これは前穂高遭難の時に使用したザイルと同種のナイロン・ザイルである」と述べ,「この通りナイロン・ザイルを45度の岩角にかけて,おおむね人間の体重に等しい錘を落とした場合でも麻ザイルより強い」と篠田氏は説明されている。
② 現在の氏の主張においては,「ナイロン・ザイルに欠点があることは明らかである。蒲郡実験は船舶・飛行機にかんするもので,ザイルとは無関係である」と。
③ 最後に篠田氏は公開討論を行えという要求を徹底的に避けている。大阪大学工学部の教授会の席上という,自己のホームグラウンドの絶好の条件を提示されてさえ,応じようとはしない。
以上によって,今やさすがの篠田軍治氏もナイロン・ザイルの欠点を認めざるを得なくなっていること。蒲郡実験が登山用ザイルに無関係であると逃げなければならなくなったこと、従って同氏が公開討論に応じられないのも無理はないことを社会一般の方々によく認識して頂きたいことを願って,我々の結論とし,議論の終点としよう。
鋭い岩角をもつ岩場ではナイロン・ザイルを使用してはならないことは今や常識である。ザイルの使用注意書にも明示されている。ヨーロッパにおいても,この種事件が相次ぎ,エヴァンズ博士によってその使用について警告が発せられている。ナイロン・ザイルの欠陥は世界的に決定されたのであって,残るのはひとり篠田氏個人の良心と責任の問題だけである。
最後の一点に尚汚点を残すことをまことに遺憾とする。しかし是非いずれにあるかは,全く明らかであることを改めて指摘しておきたい。
今後,岩稜会が優れた技術とエネルギーのすべてを名立たる山岳に振り向けて,再び山岳会のトップに立つべく,その方針を決定されたことに我々は賛意を表し,微力ながら岩稜会を援助して来た我々の論争も,これをもって終結とする。
惨事以来すでに五星霜,雲白く流れる中に,今日もまた穂高にはザイルが結ばれ,ハーケンはこだまを呼んでいることであろう。若人のあくなき前進はつづく。それは数々の犠牲の上に立つものである。
若山五朗よ。君は若くして死んだ。しかし君は山岳の歴史の中に永久に生きるであろう。君の死は無駄ではなかったのだ。
最後に,我々は改めて,困難であったこの事件の解決と問題点の明確化のために,莫大な努力をつくされた岩稜会に敬意を表明し,また,事件解決に多大の御尽力を頂いた全日本山岳連盟に深甚の感謝を捧げるものである。
昭和34(1959)年9月12日
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9月15日 父宛 中岩武氏からの手紙
「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」をお送りして、その礼と読後感想を記された手紙である。
傍線部分は赤鉛筆で記されていた。以下に解読清書。
ナイロンザイル事件についての声明書御送付ありがとうございました。これが新聞紙上に発表されたのを読み、感慨一しおなものがありましたが、声明書を読ませていただき、このように終止符が打たれたのをみると、実に万感迫るものがあります。
真実というものはたった一つしかないということがわかり切っていながら、これが認められないか、あるいは妥協的な解決を余儀なくされるというようなケースは、今の社会には実に多い事のように思えます。この事件も又、真実が完全に勝利したことが自明でありながら、篠田教授の不明瞭さは、遂にすっきりしないまま残ることになったようです。先日の松川事件上告審判決の田中長官による少数意見を読んだあとの不明朗さを、篠田氏にも抱いたままで通さねばならぬことは、大変残念なことだと思います。
けれどもこの事件は実に多くの貴重なものを社会の人達に与えてくれました。とりわけ何よりも大きいことは、真実は結局最後には万人の心を捉えずにはおかない、ということを証明したことでした。たとえ終止符はうたれようと、あらゆる犠牲にもかかわらず、このことだけは不滅の金字塔として残ることを信じて疑いません。
今後とも御健闘を望んでやみません。
貴会の御発展を祈りつつ。 草々
9月15日
手紙が貼られていたスクラップブックの余白には、以下の事が書かれていた。
中岩氏(阪大卒)のこの言葉は永久に我々の胸に残るであろう。
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同日 岩稜会宛 尾関廣氏からの礼状葉書
以下に、解読清書する。
拝啓 ナイロンザイル事件終止符をうつにさいしての声明書拝受致しました。事のここに至るまでの幾星霜に亘り、ご苦労ご苦辛については推察にあまりあり深甚なる敬意を表するものであります。何卒今後とも正しき登山のご指導により、大衆の安全登山を期せられ度切に希望し、かつ期待するものであります。片稿(葉書)にて失礼ながら御礼のご挨拶まで申上げます。皆々様によろしく申伝を願います。 敬具
9月15日 |
10月4日 『アサヒグラフ』「ナイロンザイル論争果てて」
岩稜会から、ナイロンザイル事件の終止符宣言が出されたので、ナイロンザイル事件の関係者双方から、それぞれのコメントを掲載した。
双方とは、右の井上靖先生をはじめ、東京製綱取締役:是木義明氏、篠田軍治教授、応用技術調査会理事:梶原信男氏、須賀太郎教授、石原國利氏、父の7名である。
この記事は、とても興味深いものである。是非、右の頁をクリックして、全文お読みいただきたい。
この記事の中の篠田軍治氏のコメント部分(以下に掲載した写真入りのものである)をお読みいただきたい。あまりにひどい言い草に腹立たしい。父はそのコメントに対する意見を書いているので、篠田教授の記事の下に解読清書する。
(1) ”穂高事件(昭和29年12月28日~1月3日にかけて発生した3件のナイロンザイル切断事件)には関心がない”となっていますがF(「ナイロンザイルの力学的挙動」篠田軍治・梶原信男・川辺秀昭著)の欧文論文では”これら事故のすべては非常にわずかのスリップで起きている。この様にして我が国において、これらの事故の原因調査は重大な問題となった”と記してあります。
(2) ”あの事件は前からやっており、何も穂高事件のために特に実験したのではない”となっていますが、この3件のナイロンザイル切断に関して、ナイロンザイルが岩角で弱いのではないかという疑問が発生し、そこで初めて篠田氏の一連の実験となったのであります。
(3) その後の記事は関係ないものです。
篠田氏が、ナイロンザイルは岩角できわめて弱いことを研究室での実験で承知しながら、また穂高の事故原因はそれであることを承知しながら、なぜナイロンザイルは岩角でも強く事故原因はそのためではないという実験を行ったか、また山日記にそのデ-タを発表したが、その疑問には全く答えていません。さっぱり理解できないというのは、理解していても理解できたとは言えない訳です。
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11月1日 『岳人』スクラップ掲載 「電気製品とナイロンザイル」
「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」注3に記されている文がこの記事である。
この記事の余白には、以下の様に記されていた。
ナイロン・ザイル事件に終止符を打った一つの原因。日本の民主主義は、知識層においてすらまだこの程度の人がいる。
篠田氏はじめ篠田氏を取り巻く一部の人々というのは、おそらくこういう人であろう。石岡は実のところ闘志を失ったのである。 |
月日不明 伊藤経男氏宛 名古屋大学文学部竹内良知氏よりの礼状手紙
以下に解読清書する。
拝復 「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」をお送りいただいて有難うございました。ザイル鑑定にあたっての篠田教授の態度には、私たちも痛憤にたえません。学者たちの間に、大資本の利益のために、科学的真実を、それもきわめて確実な自然科学的事実をさえ曲げる人たちがいるということは、たいへんなことだと思います。ことにU教授にいたっては(篠田氏も同じですが)呆れてものが云えないほどです。
岩稜会の方々が、このために、ずいぶん苦労されて真実の究明に努力されたことは、けっして山岳界にとって大切なことであっただけではなくて、わが国の民主主義のためにも重要な意義を持っていたと言わねばならぬと考えます。その意味で私は、この「声明」を読ましていただいて、岩稜会の方々の努力の意義をあらためて深く感じました。とりあえずお礼まで。 竹内良知 名古屋大学文学部
伊藤経男様
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12月27日 父宛 富夫叔父からの葉書
9月12日付三重岳連発行の『ナイロン・ザイル事件 論争を終止するに当たって』を、富夫叔父が全文読みやすい活字で作製した件についての葉書である。
以下に解読清書。
拝啓 いよいよ本年も残り二・三日となりました。
早速ながら新年例会の件、二日に実施であるとの事ですから、よろしくお願い致します。撮影機や映写機も、二日昼頃までには持って行きます。 又ナイロンザイル事件の最後の声明、三重県山岳連盟のがうまく出来ていた為、これを100部複製し、親戚関係へ配ったらと思っております。二日に持って行きます。ついでの時に山岳連盟の方へその旨了解(複製した事)を御連絡下されば幸と存じます。
では右(上)乱筆にて御連絡御願いまで。 敬具
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昭和35年11月5日 富夫叔父宛 春日俊吉氏よりの葉書
この葉書は、終止符宣言が出された一年以上先に出されたものだが、ナイロンザイル事件関係を分類するために、ここに掲載する。
以下に解読清書。
拝復 ご恵送の“三重県岳連”さん文書写し,近頃興味ふかく拝読仕り(つかまつり)ました。天下を震撼させしご令弟ケース,これにて終止符の打たれしことは,本来,理論闘争の“場”としては似合わしか扱らぬ山岳界にとり,祝着の念に堪えません。ご文書,まことに史上空前のものと信じます。容易ならぬご発表と存じます。これにて,ご尊父様の亡き御霊(みたま)も,いくばくかは安まるものでしょうか。一つの地域団体の名において発表された文書としては,私ども“驚異”の二字につきます。人間洞察の名人・井上靖君などは,この“結末”に対してどういう感懐があるや,聞きたいものと存じます。下阪の機会あらば篠田教授にも,お会いしてみたくなりました。右,ご厚志のお礼ごころに,卒然蕪辞頓首。
11月5日拝 |
月日不明 石岡繁雄著「ナイロンザイル事件のあらまし」
この「あらまし」は、ナイロンザイル事件関係スクラップブックの1冊目の最初にスクラップされていた。
このナイロンザイル事件関係スクラップブックを、父は本当に大事にしていたので、表紙の見開きには、以下の事が記されていた。
先ず、読まれたい
<取扱上の注意>
① 内容を絶対にぬきとらぬこと。
② 頁ペ-ジをめくるとき、折目が乱れないようにすること。
③ 必要でないときは、バックに収めておくこと。
<なお、このスクラップブックに含まれていない資料をご持参の方は、ご提供くださいますよう切にお願い申します。>
<お願い(万一、乗物などに置き忘れた場合)>
この手提げバッグをお拾いの方は、下記にご連絡下さいますよう、切にお願い申します。失礼ですが、1000円お礼させていただきます。
名古屋市昭和区山手通3の3 石岡繁雄
℡(78)2478
続いて貼られていた「ナイロンザイル事件のあらまし」は、書かれた年月日は不明だが「暗黒の章」の終わりに相応しいと思いここに掲載する。
以下に解読清書。
ナイロンザイル事件のあらまし ① 昭和29年の暮から30年にかけての岩稜会の奥又白合宿に備えて、拡張力1トン以上でかつ衝撃力には絶対強いといわれたナイロンザイル80mを、ザイルメーカー東京製綱株式会社から購入した。
30年元旦未明、石原、若山、沢田は、この新品のザイルを携えて、前穂高岳東壁に向かった。同夜は頂上直下30mの岩壁中で仮眠した。翌朝若山は登攀を開始、頂上の岩角にザイルをかけて登ろうとしたが、その時足を滑らし、約50cmずり落ちた。その瞬間ザイルは切断し、若山は300mを墜落、行方不明となった。残った2名は翌日救出されたが、若山は発見されず、発見は同年7月30日となった。
② 問題は「絶対に強い」と言われたナイロンザイルが、わずか50 cmの滑落で果たして切れるものだろうかという点である。これに対し意見は二つに分かれた。
その一つは我々が主張するもので、それは「ナイロンザイルがギザギザの岩角にかかった時には切れやすいという、従来知られていない欠点のためであろう」というものである。他の意見は「東洋レーヨンのパンフレットに『ナイロンロープはギザギザのへりにかかった時でも、麻ロープよりも3倍強い』と書いてあることから、ナイロンザイルは弱いはずがない。ザイルが切れたのは、ザイルに予め傷がついていたか、それとも石原らが、若山の墜落に引きずりこまれないために、故意に切ったためか、それともザイルの結び目がほどけたためであろう。石原らはそれをかくして罪をザイルに転嫁している」というものである。
③ この問題は朝日新聞の「今日の問題」でも言っているように、そのまま放置することはできない。登山者の生命を守るためにも、死因を明らかにするためにも、客観的な解明が早急に必要なのである。このとき日本山岳会関西支部長であり、応用物理学専攻である、大阪大学教授篠田軍治博士は「この原因解明のために努力する」と言明し、早速実験・研究にとりかかった。
篠田氏が同年3月、東洋レーヨンの実験室で行った実験により「ナイロンザイルがギザギザの岩角にかかった場合には、麻ザイルの1/20か1/10の強度しかなく、人間の体重だけで簡単に切断する」という、驚くべき事実が判明した。つまり生命の綱であるナイロンザイルには、これまで知られていない重大欠陥があることが発見されたのである。篠田氏は、登山家であり、国家公務員であるので、このことを早急に発表しなくてはならないはずであった。
④ しかるにこのことが発表されなかったばかりでなく、4月29日愛知県蒲郡市にある東京製綱内では、篠田教授の指導により、多数の登山者・新聞記者を集めて、公開実験が行われた。それは45°、90°の岩角を使い、事故が起きた時に使ったザイルと同種のザイルを使用し、人間の体重に等しいおもりを、事故が起きた時よりも数倍も高い所から落とすという実験である。ところが驚くべきことに、ナイロンザイルは切断せず、これに反し麻ザイルは簡単に切断するというものであった。そのため新聞・山岳雑誌は「若山の死因はナイロンザイルの欠陥ではなく、原因は別の所にある」と大々的に報道した。このため石原を含む我々は苦境に立ち、これに反しザイルメーカーは一挙に信用を回復した。
しかし、この実験のカラクリ―手品のたね―はどこにあったであろうか。我々はこの点を必死になって追求することになった。ここにナイロンザイル事件は発生したのである(我々はザイルの実験をしていたため、このカラクリはすぐ解った)。
⑤ 我々はまず篠田教授に会って、その理由の釈明を求めようと考えた。しかし会うことが出来ないので「もし会っていただけない時は、重大な結果になる」という内容証明の手紙を2回出したが、その機会は与えられなかった。かくなっては追求の方法は訴訟以外に無いので、時効の前々日、石原は篠田氏を名誉毀損罪で告訴した。ついで我々は訴訟した理由を記した印刷物『ナイロン・ザイル事件』(300頁)150部を作成し、報道関係者・著名登山家・評論家等に送付した。ここで初めて「ナイロンザイル事件」という言葉が誕生した。
⑥ ナイロンザイル事件は大きな反響を呼び、新聞・ラジオは一斉に取り上げ、作家井上靖氏は「側面的に援助したい」と言われ『氷壁』が朝日新聞に連載されることになった。その他、朝日新聞専務信夫韓一郎氏、名大教官、三重大学教官、大阪大学学生部長森河敏夫氏、黒田正夫氏、川崎隆章氏、藤木九三氏、今西錦二氏、笠井亘氏、大島健司氏、大高俊直氏、石川正夫氏、金坂一郎氏、名古屋地検伊達忠雄氏、櫻井節二氏、正木ひろし氏、尾関廣氏、中岩武氏、その他の方々の絶大の応援をいただいた。
⑦ しかしながら訴訟は、納得できない理由をもって不起訴となった。我々はこの対策を考えた。色々な道があった。しかし結局、篠田氏が学者である点を利用し、公開質問状によって追求する方法をとった。
公開質問状は2回出したが、そのたびに新聞は大きく掲載し、NHKでは朝のニュースで取り上げた。大阪大学の内部でも問題は発生していた。我々はこの事件が民主主義の健全な発展にとって、重大な影響を持つものであり、決してウヤムヤに出来ないことを、ますます確信した。
一方、新聞記者は篠田氏に対し、公開質問に対する返答を迫ったが、篠田氏の返答はいつもあいまいで、篠田氏への疑惑はますます高まり、今や篠田氏(もとより東洋レーヨン・東京製綱を背景としての篠田氏)には、民主主義を阻む重大な違反行為があったことは明白となった。他方、ザイルメーカーである東京製綱は、全岳連副会長尾関廣氏、三重県山岳連盟会長伊達忠雄氏らの御努力により、ついに登山界及び若山の遺族に対し、深甚の謝意が表せられた。
⑧ この間両者(これより篠田氏と我々)の仲裁に立とうという努力はあった。朝日新聞専務信夫氏、井上靖氏、藤木九三氏、森河敏夫氏は、おだやかな妥協案を作成されたが、篠田氏はこれを拒否した。
⑨ かくしているうち、第3回の公開質問の解答として、篠田氏は遂に「蒲郡での実験はグライダー・船舶に関する実験であって、登山とは無関係である」と言明し、これが新聞・ラジオで報道され、この事件に関心を持つ人々を唖然たらしめた。もはや黒白はついたのである。大学教授である篠田氏が自らの犯罪行為を認めるのでなければ、もはやこの解りきったウソを言う以外に道は無くなったのである。
我々はここにおいて、ナイロンザイル事件に終止符を打つ時は来たと判断し、これら全てを明らかにした「ナイロンザイル事件に終止符をうつにさいしての声明」を発表し、5年間の努力に終止符を打つことにしたのである。
ついで我々を強力に応援していただいた三重岳連も同種の声明を発表したのである。
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―第十三話「暗黒の章」の終わりに当たって―
私の拙いホ-ムペ-ジをご覧くださっている皆さま‼長い長い「暗黒の章」を見てくださり、本当にありがとうございました。感謝致します。
この頁の冒頭にも記しましたが、3年以上に渡って取り組んで参りましたナイロンザイル事件の第一次収束までの資料群は、資料分類整理・デ-タ化の際に目を通した物でしたが、読みにくい手紙などは、読めないものもありました。今回、このホ-ムペ―ジに掲載することによって、「石岡繁雄の志を伝える会」の皆さまのお力添えを得て、全ての資料や手紙を読み込むことが出来、私にとりまして新たな発見につながる機会になりました。
その結果、ナイロンザイル事件は、<大企業という大きな存在と、1人の人命のどちらを優先すべきか>という問題に突き当たったのだと解りました。言い換えれば、登山界という小さな世界の中だけの問題ではなくなったということです。
「一億火の玉」と言われた太平洋戦争を脱してもなお残る、個人を犠牲にしても国を守るというような精神が生き続けて、金もうけのためなら人命を犠牲にしても良いと考える知識人が、現在も存在していることを、この事件を通して思い知りました。ことの大きさの違いはあっても、福島の原発で安全神話が壊れたことと、ナイロンザイルの安全神話が崩れたこととは同義です。人の命の重さに変わりありません。
のほほんと太平の世を生きている現代人に、この事件を通して、もう一度命の大切さと、苦渋の末、真実を求め続けた父の生き様を知っていただきたいと思います。
父は、自らも屏風岩の初登攀と言う夢を追いかけた経験から、岩稜会のアルピニズムを追い続ける若手諸氏の気持ちに押され、また、篠田教授をはじめとする知識層の中に、人命を軽視する人々のいることに失望して、ナイロンザイル事件にピリオドを打った訳ですが、七転八倒しながら、この先もこの理不尽な事件を追求していく父の姿を、これからもこのホ-ムペ-ジで追い続けますので、ご支援の程を宜しくお願い致します。
2018年5月17日 あづみ記
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第十四話 紺碧の章
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2018年5月17日記
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