2020年2月25日~2021年3月5日

新型コロナウィルス感染症でパンデミックのただなか
「石岡繁雄文書資料」の一部が 特定歴史公文書等としてインタ-ネット公開!


 私たち石岡繁雄の志を伝える会は、2016年から東海国立大学機構(旧名古屋大学)大学文書資料室に寄託してあります「石岡繁雄文書資料」の、目録作成作業に取組んで参りましたことは、この新着情報の<2016年9月30日-名古屋大学大学文書資料室 堀田慎一郎先生と打合せ->のペ-ジでご紹介いたしました。
 2017年には「登山家石岡繁雄生誕100年記念企画展 氷壁を越えて -石岡の安全学から山岳遭難防止へ-」の展示を、上高地インフォメーションセンターで2ヶ月余りの間させていただきました。これまで5回の有意義な展示をさせていただき、順風満帆といった感じで突き進んで来た弊会でしたが、2018年には「篠田軍治氏の日本山岳会元名誉会員取消しを求める活動」を開始し、尾上氏と言う思わぬ伏兵が現れて、現在も頓挫したままです。また2019年には、元岩稜会員の湯浅氏(2019年9月8日、岩稜会総会時に除名処分)が執筆された捏造本が出版されて、その反証・反論に時間を割かれ、心身共に疲れ果ててしまいました。そのため目録作成作業はほとんど進まず、このままでは全ての資料の目録を作成する前に、あの世に旅立たなければならないと思い、昨年3月から心を入れ替えて、水野さんと共にその作業に没頭して参りました。
 6月には今年度の予算で文書資料室の検索システム(オンライン資料検索
〔以下のアドレスをクリックしてください。そのペ-ジに移動します〕 http://133.6.182.70/search/ 「石岡繁雄」と入れて検索してください。現在も登録されていますが、資料の公開はされていません)で、まずは5000余りの資料の公開が決まり、ファイル作成作業に専念しておりました。その作業も12月27日にやっと終わり、このホ-ムペ-ジの更新をすることができました。
 東海国立大学機構大学文書資料室で、ウェッブ上に資料が公開されるのははじめてのことです。栄誉ある作業に携われることは、本当に有難いことですが、その分責任も重くて四苦八苦していました。公開されましたらご報告させていただきますので、是非ご覧くださいませ。
 では、以下にこれまでの経過を記します。


文書資料室に寄託した「石岡繁雄文書資料」について


2020年2月25日~4月5日

 目録作成作業を引続き開始しました。56冊あるスクラップブックの、1資料ごとに目録の1行に入力していく作業です。資料の貸出を受けて、水野さんが資料を見ながら仮入力をしてくださり、私が同様に資料を見ながら見直しをします。貸出を受けた中性紙箱入りの資料は、石岡自宅の冷暗所に保管します。梅雨の時期から夏にかけては高温多湿になるため、彩庫と言う玄米専用の保存庫に保管。
 水野さんは、中性紙箱の中に1冊ずつ中性紙袋に入れてあるスクラップブックやクリアファイルを3冊ずつ持帰られて、予備入力をしてくださいます。予備入力は全ての資料を熟読して、その内容を250字~500字以内にまとめて備考蘭に記入していかれます。ですから1資料の入力に30分~1時間かかり、1日6時間かけても、せいぜい10資料前後しかできないそうです。全く気が遠くなるような作業で申し訳なく思うのですが、1資料ごとに父の仕事に理解が深まり、判じ物を解くように、以前判らなかった内容もつながって面白いのだと言ってみえます。そして月に2度程度交換に来てくださり、その時に打合せもしています。
 この期間にはスクラップブック49から、スクラップブック全56冊を終えて、1827資料ある<その他の資料>の276資料までが完了しました。この間に堀田先生が院生の方に依頼されて、目録の入力ミスなどの添削をしてくださり、間違い部分の修正もしました。


4月6日

 堀田先生をご訪問し打合せ

 名古屋大学大学文書資料室は岐阜大学との法人統合により名称が、4月1日から「東海国立大学機構大学文書資料室」と変更になりました。慣れ親しんだ名古屋大学が、国立大学法人東海国立大学機構名古屋大学と長い名前になりなんだか変な感じです(^-^;

文書資料室の応接間にて

貸出資料の受け渡しをする
堀田先生と私

中性紙箱の中は写真のようになっています


お返しする資料の箱

重いのでキャスタ-で運びます

2020.04.06東海国立大学機構大学文書資料室訪問メモ

日時:202046日(月)12:5514:30
場所・訪問先:東海国立大学機構大学文書資料室 特任助教 歴史学博士 堀田慎一郎先生
面会者:「石岡繁雄の志を伝える会」石岡あづみ・水野高司

目的:
 1.「石岡繁雄文書資料」の返却:文書箱5のスクラップブックNo.4750(4)、同6(6)、同7(10)  完了。
 2.
「石岡繁雄文書資料」の借受:文書箱8の10(その他の資料No.279660)、同9の9(その他の資料No.661989)  完了。
 3.その他の資料No.256(プロテクター鑑定書)を文書箱7の所定の袋に収納  完了。
 4.45日付メールにてお願いした「打合せ事項」の確認  下記結果の通り。

結果:
 1.目録の院生確認:1295行以降の確認分を「伝える会」にお送りいただき、受領後、今後の入力に反映する。
 2.目録の各欄記載事項について:
  A欄:現在の検索システム用に12桁の識別番号を新たに設定する(これまでは、スクラップブック等ごとに1つの識別番号を付けていた)。
  Q欄:現在記載の「名大コードNo. 12桁」は、検索システム上の識別番号としては消えることになる。ただし、A欄の新しい識別番号を全ての資料に添付する(バーコードを貼る)のは、作業量が膨大であるうえ、寄託資料であることからも適切ではない。そうなると、検索システムの目録データから当該資料を探すには、Q欄に現在記載の「名大コードNo. 12桁」がないと非常に不便なので、これは残す(現在スクラップブック等ごとに貼り付けてあるバーコードもそのままとする)。
  V欄:PDFデータファイルの有無を記載し、該当ファイルは各行毎(つまり新しい識別番号毎)に1ファイルとする。その際、ファイル名は新しい識別番号とする。
 3.目録の公開時期:入力完了後に一括公開とするか、区切り毎の分割公開とするか、費用等を検討し決定する。そのための検討用に目録の110行目までを入力し、近々送付する。→202049日送付済み。
 4.目録入力完了見込み:現状の進め方では後4年間くらいかかるため、既にリスト化が終わっている「各種資料」や写真・映像関係資料は手分けして予備入力を実施し、短縮化を図りたい。

以上(2020.04.07 文責:水野高司)



4月11日~6月12日

 堀田先生との打合せの結果決定した、伝える会会員でパソコンを扱える方々に、目録の予備入力を手分けしていただくことを実行に移しました。
 「石岡繁雄文書資料」の寄託の際に作成した寄託品リストを利用して、まずは106冊あるアルバムの予備入力と、一冊ごとのPDF化を立岡さんにお願いしました。コロナ禍でもあり、全ての仕事はメ-ルとファイル便を利用してのやり取りとなりました。その完了日は、見直し後の修正デ-タ追加訂正も含めて6月5日でした。私は、立岡さんが入力してくださったアルバム部分の目録を、4月28日に貸出を受けた現物のアルバムと合わせながら見直しと、立岡さんが作ってくださったPDFデ-タの見直し作業をしました。その作業は6月12日に終了しました。


4月12日~8月末

 水野さんと前田さんのご自宅が近いので、水野さん宅で二人で打合せをしていただき、「特許関係」の予備入力を前田さんにお願いすることになりました。
 前田さんは機械設計技師(自営)として勤めていらっしゃいますが、コロナ禍の緊急事態宣言で会社も一時休業となられたので、その間に助けていただくことになった訳です。
 12日に特許関係の目録作成要領の打合せを水野さん宅で行っていただきました。それに沿って前田さんが入力をはじめてくださいましたが、やはり現物の資料を見ながらの方が良いことになり、文書資料室から貸出を受けて5月8日に前田さんに渡していただきました。
 梅雨の時期を迎えることもあり、必要分の中性紙袋入りクリアファイルを手元に残して、6月7日に中性紙箱を水野さんがお持ちくださり石岡家で保管し、随時交換しながらの作業になりました。その作業は前田さんが仕事に復帰される9月までの間に290ファイル(特許ファイルの約1/8)の予備入力が完了しました。


4月28日

 アルバム全106冊と特許関係の中性紙箱全11箱の貸出を受けるために、文書資料室に出向きました。これまでにも何度も出向いて貸出を受けていたのですが、今回は箱数が多いために1台の車では収容しきれなかったので、水野さんにも運搬をお願いしました。
 コロナ禍で愛知県の緊急事態宣言により、名古屋大学は休業要請を受けていたため入室することが出来ず、事務補佐員の岡田さんが文書資料室の外まで箱を運んでくださり、駐車場での受け渡しとなりました。


6月9日

「石岡繁雄文書資料」の公開が決定‼

 文書資料室訪問時に、堀田先生よりお話があり、今年度の予算で「石岡繁雄文書資料」の内、約5000ファイルを公開することが決定しました!
 それに向けて私は、これまで入力した目録の見直しと、1資料に1PDFファイルを対応させて新名大番号を付けてフォルダに格納して行く仕事を開始することになりました。
 開始して見ると、名大寄託の際に作成した資料のデ-タと、今回の目録の各行に対応するデ-タの分類の仕方が違っており、作成し直さなければならないデ-タが続出して、作業は捗りませんでした。デ-タとして残していない資料もあり、その資料は再度貸出を受けてスキャニングして作成しました。目録の入力の仕方も、各行まちまちで統一する必要を感じて、堀田先生にご教示をお願いし、目録入力時のル-ルについてのまとめた文書を作成しました。


8月9日

 遅々として進まぬ目録見直しとPDF細分化の仕事で、このままでは今年度中の公開は無理だと思い、立岡さんにスクラップブックNo.20からのPDF細分化を受持っていただくことになりました。
 この日、お墓参りで実家の甲賀に帰省された立岡さんご夫婦がちょっと寄ってくださり、細分化のためのデ-タの受け渡しと、打合せをしました。ほんの30分程度でしたが、呑み込みの早い立岡さんはこの後仕事にかかってくださり、スクラップブックNo.55までの細分化が終了したのは11月11日のことでした。


9月2日

 小川ご夫妻は、共著の『アロハの島の寺めぐり-マウカマカイの細道-ハワイ島編(仮題)』と言う本を作成中で忙しくしてみえたのですが、初稿が出版社に渡っていて3週間ほど暇が出来たので、その間だけでもお手伝いすることはないかと嬉しい連絡が入りました。これまでも隆平さんには解読清書の仕事をしていただいていたので、前々から水野さんが言ってみえた父の遺した手帳などの解読清書をお願いすることにしました。
 早速9月2日に来ていただいて、水野さんも含めての打合せをしました。浄書すべき資料は沢山ありますが、まずはナイロンザイル事件関係のメモ帖からはじめてもらうことになりました。


9月17日

 文書資料室に特許関係とその他の資料の中性紙箱をお返しして、スクラップブックNo.27,28をお借りしに行き、打合せもして来ました。以下に、いつものように水野さんが作成してくださり、堀田先生が校閲してくださった訪問メモを掲載します。

2019.9.17() 堀田慎一郎先生訪問メモ

● 日時:2020.9.17 13:00-14:30
● 場所:東海国立大学機構大学文書資料室
● 訪問者:「伝える会」石岡あづみ・水野高司
● 目的:
 
1.「石岡繁雄文書資料」の目録作成作業用資料の返却と借受け
 2. スキャン未了の資料の表紙や頁の全体のデータ の要否確認
 3. 個人情報を含む資料の非公開処置方法について
● 結果:
 1.について:中性紙箱No.8No.23の返却と、中性紙箱No.3のスクラッブブックNo.2728の借用完了。
 2.について:各スクラッブブックの表紙や各頁の全体像のデータの追加作成は原則として不要と確認された。
 3.について:堀田先生回答
  ① 「石岡繁雄文書資料」を含む「特定歴史公文書等」は、公開か非公開かを問わず、全てを目録に載せて一般に公表しなければならない。また、非公開にする場合でも、むやみに全面非公開にしてはならず、資料の一部を遮蔽して公開できるのであれば、そのような措置をして公開しなければならないことになっている。また、現物を閲覧すると著しい損傷が避けられない資料については、現物の公開を停止し、代替措置として複製物を公開してもよい。
  ② 大学文書資料室に来室して石岡資料を閲覧する場合、ページごと非公開にする場合は覆いを掛け、ページを部分的に非公開にする場合は、そのページのコピーに黒塗りをして公開する。ただし、オンライン目録に添付するPDFファイルについては、そのよう遮蔽措置を取る義務はなく、少しでも非公開の部分があれば、その資料のPDFファイルを添付しないでもよい。現物を閲覧すると著しい損傷が避けられない資料については、オンライン目録添付のPDFファイルの閲覧にとどめる。
   若山家関連の財産目録など非公開を希望する資料は、目録のR欄の「備考2(内部情報)」にその旨明記のこと〔データはHD内に残る〕。もちろん、大学文書資料室のスタッフも、公開希望があれば、そのつど公開・非公開についての審査は行う。
 4. その他:
  ① スクラッブブック各頁の資料の内、糊・テープ・ホチキス止めされた資料の一部が剥がれたものや石岡が追加で挟み込んだ資料は、資料の紛失防止やスクラッブブックの保護のために中性子封筒に〔別封筒に保存〕等と注記されて、同じ中性子箱に保管されている。
  ② 一方で、「伝える会」が資料整理中に分類した資料の内、スクラッブブックの資料と関連有ると判断し、スクラッブブックの該当頁に挟み込んだものも、同様に中性子封筒に〔別封筒に保存〕等と注記されて、同じ中性子袋(スクラップブック袋に入らない大判の物は袋外)に保管されている。
  ③ 石岡の意志ではなく編者が挟んだものと区分できるものは〔本頁の関連資料として別封筒に保存。編者〕等と注記することになった。
  ④ データ保存用のHDDVDの有効性について意見交換がなされ、可能な限り35年毎に新規HDに保存し直すことが望ましいことが判った。

以上(2020.09.19文責 水野高司)


11月15日

 遂に「石岡繁雄文書資料」の今年度公開分のPDF化が終わりました。その数は5063となりました。この後直ぐに目録の見直し作業に入りましたが、新名大番号とPDF資料が合っていなかったり、目録の入力がル-ルに沿っていなかったりと間違いが多くて、自分の不甲斐なさに悲しくなりました。


11月29日

 堀田先生との話合いで、PDFファイルが1000整ったところで、第一便としてギガファイル便で送ることになっていました。この日、やっと1000ファイルをお送りしました。
 この14日間で1000ファイルと言うことは、全て仕上げるのにあと48日かかることになります。急がなくては年が越せないと焦りました。


12月4日

 焦りに焦って頑張り、要領も判って来て、次の1000ファイルを第二便として堀田先生宛に送ることが出来ました。

12月10日

 3000までの見直しが完了して第三便のファイルを送りました。これなら何とかなりそうです。


12月18日

 慌てると間違いも出て来るからと不安を覚えつつ、4000ファイルまでの見直しが完了しました。第四便をお送りして、最後の見直しにかかりました。


12月27日

 名大が冬休みに入るのは28日からとのことでしたので、その前にと頑張り、5063ファイル全てを完了させました。まだまだ間違いがあるのではないかと不安でしたが、後は堀田先生にお任せすることにしました。第五便を堀田先生宛にお送りして、やっと一息です。これで大掃除もできるし、年を越すことが出来ます。ヤッタ-!(^^)!



あけました!2021年‼




1月19日

 このホ-ムペ-ジの更新も終わり、堀田先生からインタ-ネット公開のための新目録が届いて、打合せをすることになりました。名古屋大学は学外者の入校が一段厳しくなって、いつものように文書資料室での打合せが困難になり、今流行りのリモ-ト打合せとなりました。はじめてオンラインで打合せをする水野さんと私は、事前に少し勉強して、まずは二人で繋がるかどうかを試して、15時からの打合せに臨みました。
 以下がその打合せメモです。とても長いので最初のさわりの部分のみ掲載いたします。私たちの質問に丁寧にお答えくださる堀田先生に感謝です。

2021119日 堀田先生・水野・石岡のオンライン打合せ資料
Zoomオンライン打合せ:15:0016:25結果メモ(赤字

<基本的なご質問>
目録の「利用制限区分」4とはなにか。 要審査の意。
2
目録の「資料区分」1とはなにか。 特定歴史公文書のこと。※石岡資料は公文書ではないので、「等」の部類に入る。
3
目録の「PDF」欄がすべて0になっているのはなぜか。ネット公開する資料が確定したら、それらの資料を「1」にする。
4
目録の「資料名」「備考1」の年月日表記が元号のままになっているのはなぜか。 「」内の引用文は原文のままとする(西暦を入れるなら〔〕内に記載)。
5
昨年の暮れにお送りした第五便に添付の「2020.12.26 新名大番号入り「石岡繁雄資料」目録2020年度公開分」のエクセルファイルを最新のものとして、今回お送りいただいた文書資料室の「2021.1.19 石岡資料インターネット公開チェック(1-1000)〔石岡氏へ〕.xlsx」が作成されているか。第五便が届く前から作業を始めており、基本的には11000は第一便、10012000は第二便…(以下同じ)のファイルを使って作業をしている。第一便から第五便までに変更された箇所については、後でまとめて直す。

 …以下省略…

1月20日

 13時30分、文書資料室に出向き資料の受け渡しをしました。入ったところで書類に署名して、<その他の資料>の中性紙箱を車に積んで帰りました。滞在時間10分の名大行きでした。


1月22日
 堀田先生から届いたインタ-ネット公開目録に沿って、私の仕事になる手紙や葉書などを書かれた人物の生存か否かを調べる仕事がはじまりました。まずは1000資料までです。インタ-ネットを駆使しても調べられる方はほんの少しです。後は、鈴鹿の山関係の方を岩稜会の藤田さん、朝日新聞関係の方を相田さん、父の古い山の仲間関係の方を石原國利さんにお電話でお聞きしながら作業を進めています。


1月23日
 資料の中の個人情報に当たる住所や電話番号の記載をマスキングする仕事を、立岡さんが引き受けてくださいました。丁寧に消してくださる立岡さんの仕事は完璧です(^^)v


1月28日
 1000資料のマスキング作業が終わり、堀田先生宛にメガファイル便でお送りしました。
 同日先生から1001~2000までのインタ-ネット公開目録が送られて来ました。そして人物調べと、マスキング作業が追いかけます。このマスキング作業と人物調べは、5063まで終了するのに2月19日までかかりました。


2月26日
 文書資料室は、業者に新目録と公開資料のデ-タを送って、いよいよ公開の手筈が整いました。


3月5日

 昨年6月から始まりました伝える会委託分の第一回「石岡繁雄文書資料」の5063資料が、東海国立大学機構大学文書資料室のフェッブサイトの検索システムに公開されました!
 今回のPDF公開は、文書資料室としてもはじめてのことなので、判らないことが多くて困ってしまいましたが、次の5000資料(多分そのくらいで次の公開になると思います)の時には、そのノウハウを使って仕事を進めて行く訳ですから、すんなりと公開できるのではないかと思っています。
 何しろ30年以上前の資料も、物故者と伝える会会員しか公開できないと言うル-ルには参りました。インタ-ネットを駆使して情報集めをしましたが、生死不明の方が多くてその方たちは今回公開できません。(ただし、その資料の年月日からその方の年齢が判れば、その方が120歳を超えられる時期、年齢が判らない場合は120歳を超えられたと思われる次期から公開になると思います)。亡くなっていることが判ったときにも、「あぁ、あの方も亡くなったのか」と辛くなることが多くて…とうとう胃腸を壊してしまいました(>_<)
 30年以内(1992年4月1日~現在まで)の資料は、父母と伝える会会員以外の資料は全て非公開です。公開される資料も、資料の中に出て来る公開者以外の、名前や写真に写っている人物はマスキングされます。その上、堀田先生の検閲がかかる訳ですが、最初私が選んだ約300の公開資料の検閲作業が追い付かず、絞りに絞って今回は45資料のみの公開となりました。
 次回公開のことですが、まずは水野さんがしっかりと進めてくださっている「その他の資料」1827ファイルです。加えて、「映像・音声・写真」のブロックの入力を立岡さんにやっていただきたいと思っています。このブロックは、しっかりとしたリストが作成してありますので、文書資料室目録に合うように入力していただく仕事です。量が沢山有りますので、これだけでも数千行の入力になると思います。
 何とか全ての資料を5年以内に済ませたいと考えています。早くしないとこちらの頭と寿命が尽きてしまいます。。。

 では皆さま‼第一回インタ-ネット公開を祝して!カンパ-イ!(^^)!

                               ―4月7日追記―


 このホ-ムペ-ジをご覧くださっている皆さま!
 自粛って本当に辛いですよね。楽しみにしていたこともみんなキャンセル(>_<) 無理して決行したとしても、いつ発病するかとか、誰かにうつすんじゃないかとか…後が不安でたまらない(~_~) あんまりですよね。。。
でも、1人じゃない‼みんなが一緒に辛いんだから…頑張りましょう!
 新型コロナウイルスの脅威は日々増して、辛い自粛の毎日が続きますが、どうかお身体を労わって、この難局を全世界の方々と共に乗り切っていけますよう祈りたいと思います。
 コロナ禍を謙虚に受け止めて、人類の明日を信じて…厄病退散!

                          2021年1月15日 あづみ記