6月14日(火)

上高地から帰宅


7:30 最後の朝食

右利きの私はご飯をよそうこともできません
皆にお任せ


和食組と洋食組に別れて

和食組の國ちゃん・相田さん・森さんと
写真班の立岡さん

洋食組

水野さん・あけみさん・私


さあ帰路に着きます

梓川右岸河童橋の袂にて



梓川左岸河童橋の麓

穂高連峰は雲に隠れて



もうすぐインフォメーションセンター

インフォメ前で車を待つ私

中学生の団体が沢山来ていました


車窓より

振り返れば穂高連峰
今回はこれで見納め


沢渡第四駐車場



荷物を運び込む

國ちゃんは一人一人と握手されます



お別れの記念写真

國ちゃんは相田さんとお帰りです

お元気で!また会える日を楽しみに‼


水野車組

立岡車組

15:30帰宅


水野車はひるがのでランチ

17時帰宅


 例年になく早い梅雨明けで、日本列島に熱波が押し寄せる今日この頃です。
 今回のケルン墓参では満身創痍の水野さんと私でしたが、皆さまの優しさに包まれて無事帰宅することが出来ました。本当にありがとうございました。
ケルン行の時はいつも父母に見守られているように感じます。梅雨の最中、初日の上高地では大雨でしたが、荷物を降ろす時だけピタリと止んで、また降り出すと言う奇跡にビックリでした。その後はバッカス日和!父母に感謝です。

 徳澤園に石碑を建てると言う夢は実現しませんでしたが、皆さまとご相談して研究所跡地に父の記念碑と事績碑を建立することになりました。ケルンから帰ってからは、碑文作りに精を出しています。8月のお盆の頃には建てられていると思いますので、見ていただければ幸いです。

 ケルン行きの後日談ですが…次の日医者に行った私は、ギプスが外れて軽ギプスになったのは良かったのですが、6月3日頃から右胸の上の方が痛んで困っていたので、ついでに見ていただきました。ナント!右2番目と3番目の肋骨がみごとに折れていました。痛いはずですよね(>_<)
このことが分っていたらさすがの私もケルンを断念していました。無事行って来られて良かった!良かった‼
 もうすぐ水野さんの入院が待ち構えています。頸椎の手術なんて怖い気がしますが、なんとか無事に手術を終えられて、元気で帰って来てくださることを祈るばかりです。
 このHPをご覧の皆さま!伝える会のメンバ-は、病気にも怪我にも、高齢にもめげず頑張っていますので、今後も応援をよろしくお願いいたします。
                             2022年6月28日 あづみ記


 毎度のおまけです 


 記念碑建立に先駆けて、どんなものが出来るのかご覧ください


<記念碑と事績碑>

石原國利さんのご発案で、研究所の土地を買ってくださった村瀬病院のご厚意を受けて、まずは記念碑を建てることにしました。その後事績碑を作ることになり、これも病院側は「鈴鹿市が誇る石岡さんのためならば」と喜んでご許可をくださいました。本当に有難く感謝に堪えません。
感謝の印として記念碑に「村瀬病院グル-プ 協力」と入れさせていただくことにしました。


碑文です


建立が終わりましたら、石岡高所安全研究所の撤去作業の模様から
記念碑建立までの様子を「新着情報」に掲載させていただきます
乞う!ご期待‼