水野さんを偲んで語る会

2023年12月14日
四日市市「大正館」にて




上の写真をクリックしてください
2024年6月15日に開催しました「水野さんを偲ぶ会」の様子がご覧いただけます


 水野さんが亡くなってから、会員の皆さまと共に哀しみに暮れていましたが、水野さんのご遺言でもあり、「偲ぶ会」をいつするかについて話合いました。直ぐにでも集まって、想い出を語り合いたいと思いました。場所は、全員一致で水野さんが愛された地、上高地が良いと直ぐに決まりました。ただ、満中陰が終わるまでは控えた方が良いのでは、と言う意見があり、そうなると12月13日までは出来ないことになります。上高地は11月16日から4月中旬まで閉山になってしまうため入れません。そこで、「水野高司さんを偲ぶ会」は開山を待って行うことにして、まずは伝える会の会員で集まろうと言う事になりました。
 場所は、あれこれと融通の利く、私の友達が女将をしている「大正館」と決まりました。せっかく遠くから相田さんと立岡夫妻が来てくださるので、前日から来ていただいて、文書資料室の仕事の打合せもすることにしました。13日はお昼に拙宅で集まり打合せの後、18時30分に大正館に移動して、夕食は近くの居酒屋さんに行きました。次の日、前田さんも加わって、打ち合わせの後、「水野さんを偲んで語る会」を行いました。
 では、その様子をご覧ください。


12月14日


8時
コメダにてモ-ニング



8時30分
前田さん到着

大正館の玄関


9時~11時
別室にて打合せ

IT担当の立岡さんが
相田さんにパソコンの指導


11時30分
会場にプロジェクタ-の準備

立岡さんと前田さんで
準備をしてくださいました


13時
まずはランチ

大正館の女将のご挨拶
女将と私は中学時代の先輩後輩の仲です
持つべき者は、気の利いた後輩ですね



熱弁を振るう女将

創業からの大正館の歴史が語られました
これがなかなか面白い!!
はつこさんは興味津々


水野さんにお供えして

ランチはノンアルコ-ルビ-ルで我慢


献杯

相田さんのご発声で


みんな揃って

伝える会のメンバ-が全員揃うのは
6年振りです


ランチ

お献立は
鴨蕎麦としぐれご飯、茶碗蒸し


14時30分
「水野さんを偲んで語る会」

女将はこの日のために、会議用・食事用・偲ぶ会用と、3つのお部屋を用意してくれました
感謝!感謝!!です


大広間にて

お一人ずつ、水野さんとの
想い出を語っていただきました

前田さんは家の事情で帰られることになっていたので、まずは前田さんから、順番に話していただきました


前田さん

豊田高専山岳部の後輩にあたる前田さんは、水野さんと家も近くて、水野さんの闘病生活を支えてくださった功労者です
闘病中の水野さんの様子を語られました


立岡さん

2005年に行われた『ザイルに導かれて』の
出版記念祝賀会にご参加されてからの
お付き合いです


菅沼由美さん

菅沼さんの奥様で
結婚なさって、はじめて水野さんに
お会いになった時の様子を
語ってくださいました


菅沼さん

豊田高専山岳部創立メンバ-のお一人で、水野さんとは長いお付き合い。6年前に脳腫瘍の手術を受けられて、現在もリハビリを続けていられます。高専時代の水野さんの人柄など、話してくださいました


相田さん

献杯の音頭をとってくださった時に涙された相田さんは、水野さんの人となりについて、会社で苦労された方だけあって、理性的で穏やかな方だったと語ってくださいました

森川さん

豊田高専山岳部創設メンバ-で、特に水野さんとはお親しく、学生時代に北海道の牧場で、一ヶ月間二人で働いた時の思い出話をしてくださいました


隆平さん

水野さんとの伝える会の仕事を通じて、その緻密で知性的な考え方や、行動力を見習わなければ、と思われたことを話してくださいました


小川夫妻

鈴鹿在住の仲間なので水野さんとは、事あるごとにご一緒に仕事をしてくださいました
中でも、『ナイロン・ザイル事件』と『遭難防止論』を活字化して本にした時と、湯浅氏の本の反論・反証の冊子を出した時には、水野さんとの度重なる編集会議をこなして、協力してくださいました

はつこさん

文系に行きたかった水野さんが豊田高専に合格された時、お父さまがすごく喜ばれたので、理系に進んだと話されたことを、語ってくださいました
そう言えば水野さんは、本がお好きで歴史にも造詣が深く、前田耕作先生のアフガニスタン文化研究所の会員でもあられました
亡くなる間際まで「世界年鑑」を読まれていたことも忘れられません


立岡あけみさん

最後に桜の森病院で
水野さんと会われた時のことを
お話されました




何を語ったのか…
涙で言葉にならず…


遺品の分配

拙宅に遺された遺品で、想い出の深い洋服を、息子さんの許可を得て持参し、皆さまで分けていただきました
私が来ているセ-タ-も水野さんの遺品です


これからの仕事の打合せ

まずは「水野さんを偲ぶ会」の内容を、話合いました
その後、文書資料室の仕事で、今手掛けている、父の遺した120冊の手帳の、解読浄書の分担を決めました

16時、前田さん帰宅


19時
夕食会


相田さん持参のお酒

この字が、なんとも素敵です


持ち寄ったお酒が勢揃い

ワインは、伝える会から出した供花の返礼にいただいた物です。特に立岡さんが持参された「関山辛口」は、水野さんが愛飲された日本酒です


お品書き

フグのフルコ-ス
その他、豪華絢爛


水野さんの遺影と共に

水野さんは美食家で、特に日本料理がお好きでした
今回のお料理も、一緒に味わっていただけたでしょうか


再度の献杯



料理を前に

しんみりと…


まだ呑みはじめ

意気が上がりません


お酒も廻って

話しに花が咲き始めます


豪華船盛

鯛にアワビに…お刺身がずらり
水野さんがお好きな物ばかり


ワインを開けて

旧友二人が協力して…


小川夫妻と

つい暗くなる私

話しは尽きません



会も終盤

12月15日(金)


8時30分
朝食

水野さんもご一緒に


10時30分
大正館の玄関前に集合

次にお会いするのは
「水野さんを偲ぶ会」の時ですね


集合写真



 会が終わってから、上高地で水野さんとも馴染みの深い西糸屋さんにご連絡を取り、日程の調整をしました。その結果「水野高司さんを偲ぶ会」は、来年6月15日と決まりました。

 このホ-ムペ-ジをご覧くださっている皆さま、いつも私の拙いこのホ-ムペ-ジをご覧くださり、感謝しております。これからは、水野さんの分まで、会員共々文書資料室の石岡繁雄文書資料公開に向けて頑張らなくてはなりません。どうかご支援くださいますよう、お願いいたします。
 「水野高司さんを偲ぶ会」が終わりましたら、またご報告させていただきますので、よろしくお願いいたします。
                             水野さんのご冥福を祈りつつ…
                                 12月20日 あづみ記