−石岡高所安全研究所実験用鉄塔−        <解体・撤去>

2008年3月3日(月)

いよいよ当日です。


(別れの朝 塔から登る朝日)

9時-NHK到着
9時30分−クレ−ン車・大型トラック到着、作業開始


8:00

前日から泊まってくださった、相田さん・水野さん・菅沼さん・倉橋さん・立岡さん・せっちゃん(私の親友)はスタッフとして、大変な一日の始まりです

クレ−ン車の腕が伸び、鉄塔にロ−プが固定されます

NHKクル−の皆様
右端が千野アナウンサ−

塔の撤去は決まりましたが、総てを撤去することが忍びなく、塔の最上部の5m10cmと上部にあるウインチを残すことに決めていました。

最上部が降ろされます
それを見た倉橋さんが
「この部分も侵食が進んでいるため残すことは難しいです。最下部にある白・赤・青のH型鉄骨はとても丈夫なので、この三本をモニュメントとして残してはいかがでしょう?」
と提案されました。その三本は山の字にも見え、この鉄塔の跡地には相応しいものだと言う事になりました

私は最上部にも、とても未練があったのだけれど…

前日の<お別れ会>の時はこんなに辛いとは思ってもいませんでした
見ていると胸が締め付けられるようで…
涙が頬を伝います
「お父さん、ごめんなさい」

(私の隣で母の写真を
持ってくださっているのは、
親戚の稲垣克次さん)

火花が散る
鉄骨が悲鳴を上げる

裏庭より工事を望む

もうもうと上がる煙は、バ−ナ−の火の粉を消すための水しぶきです

最上段が下ろされる

一階ごとに降ろされた鉄骨は、下で切られてトラックへ

克次さんが父母の写真を胸に見守って…

階段はこなされて…

父の汗と涙も空中分解

何杯運んだことか?大型のトラックもすぐに満杯!

クレ−ンに吊り下げられているのは、切断された傾斜板
傾斜板は大型ウインチで下部を引くと、斜めに傾斜して、角度をつけての実験に使用されたものです
三本柱を残して、最後の解体
三本柱は白だけは垂直に立っていて、赤と青は斜めに傾いています
白い服の方は、倉橋さん

18時、無事終了

この日、交通整理やビデオ撮影に、一日足を棒にして頑張ってくださった皆様、
本当に有難う御座いました。


撤去後のお話

3月17日

湯ノ山温泉に塔撤去の打ち上げにでかけました
その日は二度目のNHKのニュ−スが放送される日でもありました
14時10分からの「お元気ですか 日本列島」NHK総合全国放送
私達一行はこのテレビを、御在所のロ−プウェ−頂上駅の食堂で観ました!
第一回目の放送は3月3日6時10分からの「ホットイブニング」で愛知・岐阜・三重の三県下向けで放送されました。その時は塔撤去直後で、スタッフの皆様と見ていました

隣のテレビを写した写真に出ていらっしゃるのが、千野アナウンサ−
直後に朝日新聞記者で、元三重支局にいらっしゃった高津さんからお電話をいただきました
「今、偶然テレビ見てました。びっくりしました。あまりの懐かしさに、ついかけちゃいました」とのこと。その方は今、九州の支局で働いてみえるそうです
それからしばらくして…
千野アナウンサ−からお電話。
写真は御在所の頂上をバックに電話中の私です
3月18日

湯ノ山温泉を後にした私達は、早速作業です
今日は、オブジェクトとして残した「山」の形の三本柱の切り口の補修と錆止め塗り作業
マスクをして刷毛をふるってみえるのが、水野さんです
3月27日

菅沼さんが、中国からの留学生で菅沼さんのお宅にホ−ムステ−中のジャン君(15才)を連れていらっしゃいました。早速お手伝い
脚立に上がって慣れない手付きのジャン君です
4月2日

ペンキ仕上げ作業
今回もジャン君、大張り切り!
「山」の字のオブジェも綺麗に仕上がりました
研究所の作業場入り口もこの通り!
お昼休みに近くの神戸公園へ桜を見に行きました

左から
藤田さん・ジャン君・水野さん・菅沼さん

いつも有難う御座います

次の作業日は20日
今度は資料の整理上不可欠な年表作りです

頑張ろう!

以上が、石岡高所安全研究所実験用鉄塔、解体・撤去の顛末です
観てくださって、ありがとうございました

資料などの整理作業と相まって、中々ホ−ムペ−ジの充実ができません
ごめんなさい!

今度は6月7日からの「ケルン墓参」の様子を載せるつもりです
宜しくお願いします


−鉄塔撤去関係の新聞・雑誌−


下の写真からお入りください



お別れ会の帰りに…
通りから見る最後の鉄塔