奥又白谷ケルン墓参


平成21(2009)年6月6日〜9日




現在も、月に二度のペ−スで、藤田(岩稜会)・
水野・菅沼・森川(豊田高専山岳部OB)様と私の5名で、
父の資料の整理作業を続けていますが、
その資料の中に、若山富夫叔父さん(父の弟)が作成した
「奥又白谷ケルン記録」と言う冊子が二冊出てきました。
この冊子は1982〜1991年までの約10年間に、
奥又白谷のケルンに「墓参記録ノ−ト」を置いて、
参拝にいらっしゃった方や登山者の皆様方に、
思い思いの事を書いていただいた物をまとめた冊子です。
この冊子の発見で藤田様が「もう一度ケルンにノ−トを置いてみませんか」と
発案して下さり、置くことになりましたが、
澤田様(ナイロンザイル切断で五朗叔父さんが亡くなった時のザイルパートナー)から
以下のようなご指摘を受けました。
@ 環境庁は特別地域内に人工物をつくることを拒否している。
従来黙認してきたケルンなども撤去したい、という姿勢である。
A そこに新たに何かを置いたりすると、
「撤去」のきっかけをつくることになる。
B 五朗さんのケルンが出来た後に、
奥又にご存知のように多くのケルンが積まれたことで、
環境庁は対策に苦慮した。
ご存知のように、奥又の土砂止めのコンクリート構造物(えん堤)の
上にケルンが複数積まれていることについて、
一部からは 奥又はお墓になったという指摘が
出ていることが重要視されている。
C これらのことから、環境庁は奥又のケルン群そのものをお墓としてとらえ、
一律に撤去させるという行動に出る可能性がある。
 
「撤去させられては大変!」と言う事になり、徳澤園にお願いして、
その代わりとなるノ−トを、置かせていただくことになり、
今回は、それも兼ねての墓参となりました。
 


6月6日(土)

7時 鈴鹿出発
8時15分 伊勢湾岸道刈谷オアシスにて
水野さん、菅沼さん、森川さん、前田さん、山本さん(豊田高専OB)と合流
一路、中の湯温泉へ



12時
中の湯温泉駐車場にて
相田さん(「石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実」の共著者)・立岡さん(鈴鹿高専OB)と合流



中の湯温泉の駐車場にて、登山準備中


13時30分
上高地バスタ−ミナル前にて昼食



14時
いよいよ出発!


14時15分
上高地河童橋にて記念撮影
右から
前田さん・相田さん・菅沼さん・私・森川さん・立岡さん・山本さん



上高地のコナシの木は満開


コナシの花の蕾



明神のヤマシャクヤク


15時30分
徳澤園に荷物を置きケルン墓参へ
新村橋にて



前穂高を仰ぎつつ奥又白谷を登る


16時
ケルンに到着
去年、岩稜会の山田猛さんが彫ってくださった円空彫りの観音様
一年間風雪に耐えて…
その神々しさに、お賽銭が!

ケルン全体が柔和な優しさを漂わせていました。



何と!観音様は笑っていらっしゃいました。
一年前はこんなに笑ってみえなかったのに…

不思議な出来事に一同感激!!



涸沢ヒュッテの小林銀一様(私は銀お父さんと呼ばせていただいています) からいただいた「真澄」と
森川さん差し入れの「森伊蔵」をお供えして



「今年も来たよ!いつも守ってくれてありがとう!!」

相田さんの御経が流れる中、交替で
お線香をあげてお参りです。


「また、来年くるからね」

帰る時はいつもちょっぴり寂しい私です。



19時
徳澤園に帰り、お風呂に入って、夕食
徳澤園の夕食はいつも豪華!



右より森川さん・山本さん
銀お父さんからいただいた15本もの「真澄」に舌鼓



美味しいお料理と美味しいお酒にご満悦の前田さん
この夜、四合瓶の「真澄」9本完飲!
さすが、バッカスの弟子たち!!


6月7日(日)

徳澤園から槍沢へ



4時30分
紺碧の空に紅く染まる
前穂高のモルゲンロ−ド



先に書いた理由で、ノ−トと資料集を
談話室の井上靖先生のお原稿の下に置かせていただきました。


ノ−トの表紙です。

表紙の裏に下の文章を載せました。
この文章を載せるのに、会の名前を決めることになり
喧々諤々の末
井上先生のお言葉から「志」の字をいただき
『石岡繁雄の志を伝える会』となりました。
今、進められている資料整理の仕事の会の名前も同様となります。
いつの日かこの名前で整理され、デジタル化された資料が
皆様のお目に留まる事を夢見つつ…


「氷壁の宿」 徳沢園を訪れられた皆様へ

 私たちは、登攀不可能とさえいわれた横尾谷にそそり立つ屏風岩の中央カンテを1947年夏に初登攀し、後にナイロンザイル事件を長年にわたって闘った石岡繁雄先生(19182006)の教え子たちです。

ナイロンザイル事件は、195512日に前穂高東壁で発生しました。1トン余の引っ張りにまで耐えるとメーカーが保証したナイロンザイルが、岩角で簡単に切断して石岡先生の実弟、若山五朗(19歳)さんが転落死したことに発しました。石岡先生は、ナイロンザイルの「岩角での弱さ」を実験で確認。この点を早く社会的に明らかにして、登山者の安全を図ることを切望しました。

これに対し、切断したザイルのメーカーが、大阪大学 篠田軍治教授の全面的な指導の基に公開実験をしました。しかし、ナイロンザイルの岩角での弱さを隠して行ったため、ナイロンザイルは鋭い岩角で従来使われてきた麻ザイルよりはるかに強度があるように社会に受けとられました。ナイロンザイルの切断によって20人を超える命が失われたという当時の通産省の資料もあり、石岡先生の訴えが正しいことが20年余にわたる苦闘の結果、国によって認められました。

石岡先生の訴えは登山界だけでなく、「安全」は社会に最優先されるべきであるという点で、製造物責任賠償法(PL法)の精神を先取りするものであった、と言えます。さらに、先生は鈴鹿高専教授を退任後、私財を投げうって建設した「石岡高所安全研究所」において、生涯をかけて登山用滑落事故防止装置や高所脱出装置など各種安全装置の開発に心血を注ぎました。

ナイロンザイル事件は井上靖先生の「氷壁」の素材となりましたが、その関わりについては「石岡繁雄が語る氷壁・ナイロンザイル事件の真実」(石岡繁雄、相田武男著、2007年あるむ刊)に詳しく述べられています。ナイロンザイルの問題を訴える石岡先生を井上先生は『石岡繁雄氏は記録を造る人でなく山に志を刻む人である』と評しました(石岡繁雄著書「屏風岩登攀記」、2007年あるむ再刊の「刊行に寄せて」の文中)。石岡先生の不屈の志がなければ、ナイロンザイル切断は、単なる不幸な山岳事故として扱われ社会的な問題にならず、より多くの不幸な事故が継続したでしょう。

当・徳沢園から約2キロの奥又白、パノラマコース沿いには若山五朗さんの火葬の地に積まれたケルンがあります。このノートも以前されていたように、ケルンに置いて訪れた方々に感想などを記していただきたいと思いましたが、国立公園内であることを考慮して、「氷壁」と石岡先生と縁の深い徳沢園のご好意で、こちらに置かせていただくことになりました。

ナイロンザイル事件を通じて、社会の在り方、人間の生き方を示された石岡先生の志を伝えるために、感想などをご記入くださればまことにありがたく存じます。

           20096月         石岡繁雄の志を伝える会



栄えある(?)1ぺ−ジ目に
今回来てくださった方々が書き込んでくださいました。
真ん中の絵は相田さんが描いてくださったものです。
相田さんは文章だけでなく絵もお書きになる!
嬉しい驚きでした。

 次のペ−ジに、私からのお礼の言葉を書きました。
 全文を下に入れさせていただきます。


 今年もまた徳澤園にお邪魔しています。
 2004年6月に母を亡くしてから、父と二人暮らしを始め、父の半生を綴った「ザイルに導かれて」の出版祝賀会の時に、久しぶりに上高地を訪れたのが2005年の6月でした。
翌年の8月15日の父も帰らぬ人となり、遺言だった「石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実」と「屏風岩登攀記」を、皆様方のご支援で出版して、2007年6月に奥又白谷の五朗叔父さんのケルンに報告に参りました。それから、毎年この新緑の時期にケルンを訪れて、徳澤園の上條様のご家族にお世話になっています。この度は、このノ−トの設置にも快く承諾していただいて感謝しております。
 父亡き後、残されたナイロンザイル事件などの資料の整理を、積極的に取り組み続けてくださり、このノ−トの設置にもご尽力くださった「石岡繁雄の志を伝える会」のメンバーの方々に心からお礼を申し上げたいと思います。
 来年、徳澤園を訪れた時、沢山の方々のお言葉で埋められていることを楽しみにしつつ…

2009年6月6日  
石岡あづみ(石岡繁雄二女)


徳澤園に行かれる方々
是非、書き込みをお願いします。



9時
前穂高を眺めつつ…



徳澤園の前で記念撮影


さて!出発



朝一番に山本さんが散歩に行かれ、
「梓川右岸コ−スから横尾へ行くより
左岸から川の中を通っている道の方が
見晴らしが良いです」と教えて下さり
今回はそこを通ることにしました。
新村橋を渡って左岸へ



横尾山荘が改築工事をされていた去年は
トラックが連なって走っていた道も
今は、通る車もなく快適!

山本さん素晴らしいアドバイスを、
ありがとう


開けた梓川の河川敷は見晴らしも格別!



梓川の清流



前穂高岳全貌



楽ちんな道を優雅に歩く



屏風岩が見えた!


10時
横尾山荘に到着



横尾山荘オーナーの山田さんにご挨拶をして
槍沢へ出発


イワカガミの可愛い花


梓川の支流でしばし休憩



槍見河原より槍を望む
遠くにチクリと


槍をバックに
右より菅沼さん・水野さん・立岡さん



一の俣の橋を渡る



一の俣標識


緑色のニリンソウを山本さんが発見!
この花を見つけると「幸せになれる」とか…
この時4つの幸せを見つけました(^◇^)



サンカヨウ


ミヤマツツジ


槍澤ロッヂへの電気の供給
水力発電



槍澤ロッヂでお弁当・休息後帰路へ

降りかけてすぐ、ハプニング1
森川さんの靴の底が剥がれた!
ロッヂの方にビニ−ルテ−プをいただき
細引きとスパッツで応急処置



ちゃんと歩けるかしら?
心配しながら来た道を戻る


ハプニング2
槍見河原で休憩中、小さな虫が私の眼の中へ!
川の水で目をパチクリ



「取れたようですよ」と相田さん
こんなに小さな目に飛び込むなんて
よほど器用な虫ねぇ(~_~;)


15時30分
なにはともあれ…無事、横尾到着!
まずはビ−ルでカンパ〜イ!!



夕食時に、横尾山荘の山田さんと。
沢山ビ−ルの差し入れをいただきました。
ありがとうございました。


右、水野さん。大好きな日本酒を手に…
左、相田さん。お酒ならぬお茶けをすすって…
「皆さん良くそんなに呑めるなぁ!」
相田さんはお茶けで
いつも付き合って下さいます。
感謝!感謝!!



今夜も揃って酔っ払い!


上の緑白のニリンソウの写真をクリックして
旅の続きをご覧ください(*^^)v