その8:告訴へ

昭和31年1月1日~6月25日


 昭和31年1月1日 『山日記1956年版』-日本山岳会編
 日本山岳会発行の『山日記』は当時の登山者たちにとって、山のバイブル書と言われて、絶大の信頼を勝ち得ていた日記状の持ち運びに便利な小型の本である。これを山に持って行って、手本としていた。
 この日記の「山の装備」を篠田軍治教授が書かれているが、その中のナイロンザイルに関する部分を転記する。 


 登攀用具(40頁の下から9行目より)
 ザイルとロ-プは、ドイツ語と英語の違いで同じ物であるはずだが、日本のメ-カ-の中にはザイルというと登山用に作った特に丈夫な物、ロ-プというと一般用の物として区別しているところがある。メ-カ-でも、このように注意しているのであるから、好い加減なロ-プで代用するのは危険であり、その取り扱いも慎重を要し、傷んで強度が落ちた物は、登山用として価値が無くなった物と見てよい。以前はマニラ麻で編んだ直径12mmの物に決まっていた感があったが、近頃はナイロン製の11mmの物が出ている。いずれも静的引張り強度は1t以上で、物によっては2tに達する物もある。従って、懸垂などでは無理な使い方をしない限り、絶対安全と見て良い。しかし、衝撃荷重、例えば落下の時などはどうであろうか。従来からもマニラは衝撃に弱く、技術者の側からは、登山用としては少し弱すぎるのではないかと言われていたが、実際試験してみると、90度の岩角にかけて12mmのマニラでH/L=0.3という小さな衝撃で切断するが、11mmのナイロンでは1.3まで持つことが判った。しかし、これは55kgの錘を落とした時のことで、Hは錘を上げた高さ、Lはザイルの垂れ下がった長さであって、ザイルに及ぼす衝撃力はH/Lが大きいほど大きい。マニラでは、10m垂れ下がったザイルの一端に人が結ばれているとして、3mの高さから落とせば切れる怖れがあるが、ナイロンでは13mまで持つと言う事である。もっともこれは自由落下の場合で、急斜面でのスリップでは、摩擦その他で落下速度は余程少なくなるので、この数字よりは遥かに安全なものになる。このようにマニラのザイルは衝撃には弱いが、これ以上強い物では、人体の方が衝撃に耐えないので、太くしてもあまり意味はない。そこで落下しても安全なようにするには、確保法の工夫が大切で、金坂氏の主張されている動的確保など実行はなかなか困難なものであろうが、大いに研究の要があり、その趣旨は取り入れなければならない。ナイロンが衝撃に対して大きな強度を持つことは、弾性係数が小さくよく伸びて、いわばゴムに近いような性質があるからである。ナイロンは天然繊維と違って、単繊維であるから、ヤスリのような物で横にこするか、鋭い刃物にかけて荷重をかけるとマニラよりも容易に切断し、しかも融点が低いので切断箇所が溶ける怖れがある。この点は、鋭い岩角の多い山で使う時には注意すべきことである。もっとも岩角が相当鋭くても、ザイルが長さの方向に滑ってくれさえすれば(岩角に丸みがある場合)安全で、間違っても岩角が鋸のような作用をしないように注意しなければならない。マニラの保存は一般の衣類と同じような注意をしたら良い。ナイロンは虫が付かないし、紫外線には決して強くないので天日に当てて虫干しすることは禁物である。(40頁及び41頁)

 以上の文章も学会での報告と同じで、「ナイロンザイルは90度の岩角では強いが、鋭い岩角(とは、何度の事か?60度か45度か30度なのか?)では弱い」となる。しかし、実際には90度の岩角でも鋭ければ確実に切れるのである。
 この日記を岩場へ持って行く人も多いのだから、ここでははっきりと「ナイロンザイルは岩角が鋭い場合は非常に弱く切れるので、かけてはならない」というべきである。


 新装備の注意、その他(45頁下から14行目より)
 装備は絶えず改良されるので、毎年新製品が現れる。それらを果たして使った方が良いかどうかは問題である。新装備の中で、ポリエチレンの水筒などは問題ないし、そのうちに出ると思うが、ポリエチレンのバタ-入れなども確かに便利なものに違いない。しかし、合成繊維のザイルのような物は問題である。新製品が出た時には優れた点だけが強調されるので、注意しないと万能のように思いがちであるが、万能の物は滅多にあるものではない。ナイロンが強いことは間違いないが、アイロンを当たると融けるし、テントもラジウスの熱で融けた例がある。テントの支柱にはジュラルミンが良いが、これより遥かに強い超々ジュラルミンを使うと、管に孔を明けた時など避ける場合がある。超々ジュラルミンは引張っても曲げてもジュラルミンより強いが、竹のように裂け易い欠点があるからである。新製品が出た時には、初めは万能のように誇張宣伝され、後で万不能とでもいうか、欠点ばかりが強調される傾向があるが、どちらも間違いである場合が多い。新製品を使う場合には、それの特質を正しく認識することが大切で、慎重でありたいが、山登りというものの性質上、その採用には積極的であることが望ましいと思う。そして新装備には新技術の必要がある場合が多いことも知って欲しい。

 この文章に関しては、『ナイロン・ザイル事件』に書かれている該当部分を一部転記する。

 これは要するに現在の社会は、メ-カ-の「宣伝」と使用者の「熟知」との競い合いであるから、使用者側としては、熟知によってこれを避ける様にしなければならないと言われているように思う。現代社会情勢に於ける登山者心得として、もっともなお言葉であるが、文中「ザイル」という文字が入っているためにこれは重大だと考える。すなわち、ザイルの場合でも宣伝と熟知との競争なのだという印象を少なからず受けるからである。
 言うまでもなく、ザイルは生命に関する物であって、その取扱は、バタ-入れ、水筒の場合のそれと全く趣を異にする。ザイルを製造販売する業務に従事するものは、危険を防止するため、万全の措置を試すべき業務上の注意義務を有する。したがって、ザイルの性能に関し、使用者が知る必要のある欠陥については、使用者が容易に認識でき、使用法を誤らないための万全の注意がなされなくてはいけないのであって、奇しくも万能と信じさせるがごとき態度があってはいけない。すなわち、篠田氏の記事中にうかがわれるメ-カ-の宣伝と、使用者の熟知能力との競い合いいとう状態は、バタ-入れや水筒には当てはまっても、ザイルには全く当てはまらない。バタ-入れや水筒の場合は、誇大宣伝しても使用者は損をするだけであるのに反し、ザイルの場合は、取り返しがつかぬからである。
 篠田氏の言われるように「欠点のあるザイルが優れた点のみ強調され、万能と誤りやすい状態で新製品として出される」と言う事は、生命を失う者があることを承知の上で販売されているのだと言っても過言ではなく、原則的に危険防止の手段は断たれる事であって、もしも、篠田氏にかかる思想が、いささかでもあるように見えるものとすれば、危険防止という点に関し、誠に重大だと思う。何となればこれは「山日記」という影響力の大きい、権威ある文献中の記事であるので、かかる考えがいささかでも業者に利用されるときは、我々登山者にとって、あるいは、社会人にとっても、誠に容易ならぬ事だと考えるからである。
 現在の社会情勢はとかくこの点がおろそかにされ、人命が軽視されようとしている。
 学者であり、登山家である篠田氏は、当然危険防止の根本である。この点のみを強調されねばならないはずと思う。実際登山者と言うものは、ザイルについては自分の生命に関する事であるので、非常に神経を使うものであり、メ-カ-さえ充分の注意義務を果たしてくれれば、別に熟知云々を強調しなくても誤ることはないはずである。篠田氏は、この重要な点で不明瞭な表現をされ、しかも、そういう状態のままで「山登りはその性質上、その採用には積極的であることが望ましい」と言われているように見られるのは、誠に理解に苦しむところである。


 1月1日発行 『岳人93号』 岩場におけるナイロンザイル使用について
 この記事は、昭和30年11月26日の毎日新聞に掲載されたものを、無断で使用して書かれた物であったため、『毎日新聞』と『岳人』の間にトラブルが発生した。父は証人となり、毎日新聞は『岳人』に憤慨の意を表した。
 以下に同じ内容ではない「まえがき」部分を転記する。


「切れたナイロン・ザイル=世にも不思議に出来事」を本誌83号に寄せられた石岡繁雄氏は、実弟(若山五朗君)のナイロン・ザイルによる切断事故死の自責の念にかられ、その後コツコツとナイロン・ザイルについて研究を重ねられていたが、このほどその結論が非公式に発表されたので、要点だけをピックアップして参考までに紹介した。

この後の文章をお読みになりたい方は、右の記事をクリックしてください
 

 1月3日付 父宛 大阪大学山岳部大島健司氏からの葉書
 右の葉書をご覧いただくとお判りのように、今春大学卒業後、ナイロンザイル切断時のザイルパ-トナ-の橋本氏とお二人共に名古屋に就職すると書かれている。
 昭和32年4月には國利氏が卒業して、父の勤め先である名古屋大学学生部に事務官として就職し、名古屋の石岡家に下宿する。また、兄の部隊長こと一郎氏は、家業を離れて津島高校の教師となって、愛知県愛西市の若山の生家に下宿する。共にナイロンザイル事件を闘うためである。このことに付いては、先に詳しく記す。

 1月27日 大阪大学工学部発行の論文「ナイロンザイルの力学的挙動」篠田軍治・梶原信男・川辺秀昭箸
 右に掲載する論文は、後に発見されて、昭和32年に父の依頼によって、名古屋の石岡家に下宿していた当時の名大理学部の大学院生であった江口昇次氏と熊崎昭一郎氏、そして名大工学部大学院生であった伊藤孝次郎氏によって翻訳された。
 その後、この英文論文は紛失していたが、昭和51年以降にコピ-され、遺された物である。
 誰にでも読める訳ではない専門用語の多い英文論文には、蒲郡実験の成果を基に研究した結果や、三角ヤスリの実験結果も盛り込まれていて、先に掲載した山日記の記述も、この論文により掲載されている。
 蒲郡実験で岩角に丸みを付けたことを隠した結果、切断メカニズムの解釈に、横滑りと摩擦熱への偏向を持ち込まざるを得なかった徴候が読み取れる。


右の論文表紙をクリックしてください。
英文論文に続けて、翻訳がお読みいただけます 

 2月11日付 「告訴について我々の見解、並びに社会の皆様へのお願い」岩稜会
 この見解書は、父の手書きである。重要資料だが、『ナイロン・ザイル事件』と『真実』本に記載がない。告訴までの間に、岩稜会の中で検討され、変更した事項があったので、この文章は掲載されなかったと思われる。どの事項が検討されたかの手がかりにもなるので、以下に転記する。

 この告訴は、原告の属する登山クラブである我々岩稜会の決議によっておこされたものであるので、名義上の原告は後述の告訴状に示す如く、石原・澤田の両名であるが、実質は岩稜会である。従って告訴について原告に代わって岩稜会の見解を述べることとする。
 告訴の大要は次の通りである。昭和30年1月2日、北アルプス前穂高岳において原告ら3名登攀中、強いと信ぜられていたナイロンザイル(登山綱)が、あっけなく切断し1名墜死するという事件が発生したが、このことについては、皆様のご記憶に残っているところと思う。事件後この原因に関し、ザイルの欠陥という説と、使用法の誤りという説が対立し、共に一理あり、どちらとも決めかねている時、事故を起こしたザイルを販売したメ-カ-である東京製綱株式会社(取締役社長 三木竜彦氏)は、登山家であり、この方面の専門の学者である大阪大学教授篠田軍治博士に原因の究明を依頼し、愛知県蒲郡にある同工場に膨大な実験装置を建設し、原因の科学的究明に着手した。一般登山界はもとより、我々といえどもメ-カ-の、かの英国コメット会社にも匹敵する良心的な態度には大いに敬意を表したのである。しかしてこの公開実験が、4月29日同地に於いて新聞記者・登山家等多数の立会のもとになされ、この結果が新聞紙上等に掲載されたのであるが、ここに驚くべきことは、その時の実験の全趣旨は、事実と全く反するものであったことである。しかもそれが事実でないことを篠田氏はそれ以前に既に承知していたことである。もちろんこの表示の意味するものは、そのまま正しいものとして社会一般に広がり、それに基礎を置くとみられる各種推察が発表され、当然ながら事件当時の生存者である原告は、ザイルの誤った使用者とか、虚偽の遭難報告をしていたずらに登山界を混迷に陥れた不届き者として推知された。一方篠田氏の公開した実験は、もし一般登山者がその状態を安全なりとして実際に試みたとすれば、ザイルはたちまち切断する性質のものであるので、登山界に非常な危険をもたらすことになったのである。我々はこれらの事態を明らかにすることを痛感し、後述の理由から、そのための唯一の可能性のある手段として、東京製綱株式会社社長並びに篠田氏に対し、不法に名誉を棄損された原告の両名をして告訴させることになったのである。これはもちろん原告自身の自由な意思と一致するものである。以上が告訴の大要である。
 さて、告訴の直接の目的は上述のごとく侵害された原告の名誉を回復することであるが、我々が今後予想される物心両面の負担をもかえりみず、あえて立ち上がることを決意した所以のものは、次に示す諸点を一般社会に明らかにしたかったに外ならない。これらはいずれも公益のため黙過しがたいところである。
(1) 昭和30年4月29日被告の行った公開実験は、登山者を危険に導く性質のものであり、現在においても、その影響は充分に存在しているとみなすことが出来る。この危険な状態を基本的に解消するためには、被告の行った実験の全貌を明らかにする以外にない。
(2) 著名な大学教授が問題となっている事件の原因鑑定とみられる実験に於いて、真の原因とみなされるものを知りながら、それには言及せず、かえって立会人が理解判定を誤り、そのため一般登山者が生命の危険にさらされるような別個の表示を行った。国家公務員である学者の、このような行為は、公の秩序を乱し、正しい民主主義を阻害する点に於いて、誠に重大であると考える。このことは一般人が従来絶対の信頼感をおいていた学者の行為に対しても、疑念と監視とを必要とすることを示すものである。
(3) 一流メ-カ-が自己の販売した商品によって発生した事故に関し、その原因を正しい方法で解明しようとせず、社会を欺瞞し、一部の人々の名誉と一般登山者の安全を踏みにじって、自己の立場を不当に利用しようとした日本一流メ-カ-のこのような態度は誠に重大であって、社会に害毒を流し、日本商品の世界市場への進出を阻害する原因となるものと信ずる。又このことは、一般人が一流メ-カ-の行為に対しても厳に監視の目を向ける必要があることを示すものである。
 次に、上記の諸点を明らかにするための手段として、告訴の道を選んだのは、次の理由による。告訴が被告を傷付けることの影響の大きさから考えて、前項の(1)すなわち、登山者の生命に関する現在の脅威さえ被告の努力によって除かれれば(現状では被告の努力なしでは望みえない)それをもって満足しようと考え、30年12月中旬まで、被告と交渉を続けたのであるが、被告はその必要を認めながらも、そのための努力に対する誠意を示そうとしなかった。しかも我々は登山者に対する重大な危険の実例を、まのあたり見るに及んで、もはや一刻の猶予もならず、これらの危険を解消するため、我々に残された唯一の手段である告訴を選ばざるを得なくなった。何となれば、このような影響の大きい事件の発表は、自分自身その行為に対する責任を持つ形によるのでなければ、何人といえども明らかになしえないということは過去3ヵ月いろいろと努力した末に判った事である。
 しかしながら我々は、このような手段を取る事により今後我々の前途に現れる計り知れない困難を覚悟せねばならないであろう。微力の我々は、究極の目的を達しえずして傷つき破れるかも知れない。しかし、だからといって、そういった恐怖のため、ことの重大性を意識しながらもいたずらに手をこまねいて事態を放任することは、困難に打ち克つことと、純粋とをもって誇りとする我々登山家としての自負心が許さないのである。我々は不運にもこのような試練に立たされたのであるが、我々は運命を回避することなく、登山が我々に教えたところのものをもって、今初めて社会に貢献するべく我々の渾身を傾けて闘うことを決意したのである。
 ただここで、我々が恐れたのは次の点である。すなわち、この事件が社会にとってはなはだ重大だという我々の考えが、単なる我々の妄想であって、たとえばそこに被告の過失があったとしても、それは人間としてありがちな些細な種類のものであるような場合には、我々がそれを暴き出すことによって、社会に幾多の功績のあった被告を不当に傷つけ、かえって社会にマイナスの影響を与えてしまうことになりはしないかということである。このため我々は教養高い第3者の人々の見解を求めると共に、我々の錯覚について絶えず反省し続けたのである。しかしながら現在まで上記3点に疑問を抱かせるような事実は発見されず、またそれらを公にしない方が良いという妥当な見解も聞かれず、かつ前述のごとく登山者に対する生命の脅威を除くという我々の提案に対してすらも被告の誠意ある態度が得られなくなった現在、我々がこの処置をとることについて、我々はたとえ新しい事実を後から発見して、事件は我々の軽率という結果に終わったとしても悔いを残すことはないであろう。
 最後に、我々の趣旨を明確にするために次の措置を取ったことを蛇足ながら申し添える。すなわち、本訴訟の結果が目下中絶している、ザイル切断による犠牲者のご老父と、メーカーとの間の損害賠償問題を蒸しかえさせる可能性があるが、これがむし返されることは、我々の告訴の目的が、もっぱら社会公益のためという決意が、色目でもって見られる可能性がある。このようなことで事件がいささかでも混迷することは、社会にとって誠に不幸な結果をもたらすと考えるので、誠に僭越であるが、ご老父に対しこの事件の結果如何にかかわらず損害賠償問題を永久に再燃させていただかないことをお願いし、かつ承諾を得たのである。又犠牲者の実兄であり我々のよき仲間であった石岡繁雄氏に対しても同様の理由で岩稜会を退いてもらった。
 我々は微力たりといえども、明朗な民主主義確立のための捨石たらんことを欲して我々の力の及ぶ限り努力することを誓うものである。しかしながらその道は険しく、我々の悲願が達成される可能性は少ない。万一、達成の可能性ありとしても、それは社会の皆様の良きご理解、ご支援をいただいた場合のみであろう。
 社会の皆々様の心からのご批判、ご声援をお願いする次第である。
  昭和31年2月11日
    三重県鈴鹿市神戸河町 室敏弥方
     岩稜会

 この後に、告訴状の原案と思われる文が書かれているが、実際に出された告訴状と比較するために、以下に送る。


 2月14日付 父宛 金坂一郎氏からの手紙
 以下、解読清書する。


 お便り拝見致しました。確保論をお読み頂いたそうで誠に嬉しく存じますが、今から考えるとなぜあんな未熟な物を発表したかと冷汗の至りです。しかしながら、どんな所でどんな落ち方をしても、必ず止めたいというのが多年の念願でありますので、岩登りに限らず山登りに用いられる技術一般について今後とも勉強して行きたいと考えております。どうぞ実技の立場からご意見をお聞かせ下さる様お願い致します。
 ナイロンの問題については、慶応の学生に、米軍の妙義山部隊でナイロンの事故が多いように聞いたと聞きましたので、米国に帰っている会員に紹介してみましたところ、別紙のような呑気な返事でした。しかし今回の事故といい、慶応の学生の経験といい、私には現在ナイロンを信用することは出来ません。慶応生の経験とは、次のようなものです。富士の氷雪斜面でピッケルのシャフトにザイルをからませて制動確保した時は何の異常も認めなかったが、ブレ-ドにからませて直接確保したら、数メ-トルのスリップにより、ザイルが溶けてほとんど切断に近い状態になったそうです。又貴兄の実験も重要なデ-タです。端結びによる抗張力では、最低のマニラ麻がエッジに対して2倍も強いという結果ですが、そのもろさを見ると恐ろしいような気が致します。
 小生のこすりつけ実験でも抗張力の問題を度外視すれば、太いザイルが安全で、細い物は危ないという傾向が見られました。試験材料に適当な物が得られず、装置も不完全な少数回デ-タですが、篠田先生のご批判を願っております。装置としては鋸盤を用い五分の丸ヤスリに接触角30度でこすりつけたもので、切断までの往復数を記録しました。抗張力は今学校が試験中でテスタ-が借りられないのでやっておりませんが、非常に軟らかい、夏ならば使い良い物で、戦後軽い程度のアンザイレンに何回か使用しました。
 とにかく、上の実験でも前穂におけるようなもろさは現れませんでしたが、いろいろやっているうちにナイロンの決定的な欠陥は発見されそうな気が致します。大勢の協力で速やかに結論を出したいと存じます。小生も今後各種の実験の計画を考えておりますが、とりあえず中間報告と致します。
  3月14日  金坂一郎
石岡繁雄様

  A B C D E F G
ナイロン堅 ナイロン軟 ナイロン石岡氏 ナイロン梶本氏 マニラ
キュウジン繊維
日本麻? マニラ
直径mm 11.5 10.0 8.5 8.5 13.5 9.0 8.5
単位重量gr/m 80.2 59.8 42.1 42.0 105.5 56.6  
切断回数   23 19 11 11 18 29 16
20 16 21 17 8
20 20 26 10
17
平均値 21.5 18.0 11.0 11.0 19.7 (29.5)
24.0
11.3
同上×103/
単重
268 301 261 262 187 (486)
424
 
(備考)A:初期の撚りのひどく堅い物。B:普通の物。C:東壁で切断した物。D:梶本氏使用の撚りの軟らかい物。E:未使用程度の新品に近い物。しかし山に携行するだけで撚りの戻ったクタクタした物。F:日本軍が気球用に使っていた古くクタクタした物。G:日本軍工兵使用のザイル。古いが未使用。
Fの()内は切断回数:17を除いて計算

手紙文中の米国からの手紙は以下である。


 2月25日 第二種自家用電気工作物施設変更認可申請書
 父は、祖父が取締役を務める昭和紡機株式会社の主任技術者として電気関係を受け持っていた。右の申請書は父が作成した物である。
 ナイロンザイル事件を闘い抜く中、名古屋大学学生部の事務職とこの仕事を兼任していた。

右の図をクリックしてください
申請書類がご覧になれます

3月19日 スポ-ツニッポン新聞「春山への手引き ザイルに関する見解」
 父の行った実験や現場検証の報告をまとめた研究成果は、各報道関係社に送られ、登山者の安全を図った。
 この記事は、岩稜会の発表と共に、日本山岳会の広羽清氏、山田二郎氏の談の他、東京製綱の高柳栄治氏の談も入っている。
 鋭い岩角に弱いと警鐘を鳴らす岩稜会に対して「弱いとは思わない」とする広羽氏。「岩角には驚くほど弱いが伸張力は強い」としている山田氏。「エッジや熱に弱いということが判ったナイロン・ザイルは、現在製作をしていない。アメリカから輸入した当初、ナイロンはいままでのどんな繊維よりも強いという宣伝文句を信じて、その後指摘された欠点を誰もが知らぬからだと思う」とする高柳氏。
 メ-カ-は、ザイルの欠陥を認めたものの販売中止にする訳ではなく、大々的に発表する訳でもない。現在ならば、リコ-ルで全ての商品を回収しなければならないような問題を、消費生活用品安全法の概念の無い時代には、市販されている商品は売り切って責任は取らないという商法であった。
 右の記事をクリックしていただくと、全文がお読みいただける。

 3月24日 東京製綱社長三木龍彦氏、篠田軍治教授宛 岩稜会代表伊藤経男氏よりの書留内容証明付郵便物
 右は㊙とされたこの書簡の原稿と、今後岩稜会としてナイロンザイル事件を追及していく内容の1頁目である。重要資料のため、以下に転記する。


 ㊙5部刷るのみ 
 今後、次の案で進めてゆきたいと考えます。内容に付いてご検討下さい。
(1) 3月24日、次の文を書留又は内容証明で出す。
(実際に出された書簡は手直しされているので、その部分を紫字で記入)
 冠省、早速ですが、ザイルの件について新しい角度からのお話しの機会を得たいと存じますので、篠田軍治氏とご相談の上、(御両所において適当な)会見の日時と場所をお知らせ下さい。内容はもちろんお話合いによって解決出来る性質のものと信じます。もし4月10日までにお会いする機会を与えて下さらない場合には、以後独自の行動に出たいと存じますからご了承下さい。
 昭和31年3月24日
  三重県鈴鹿市神戸新町
   岩稜会代表 伊藤経男

三木龍彦・篠田軍治殿
 この郵便物は昭和31年3月24日第185号書留内容証明郵便物として差し出したことを証明します。 名古屋中央郵便局長(これは三木氏宛のものである)
 この郵便物は昭和31年3月24日第186号書留内容証明郵便物てしと差し出したことを証明します。 名古屋市中央郵便局長
(これは篠田氏宛のものである)

(2) 面会できない場合は弁護士から告訴の方法を進めてもらう。
(3) 面会できる場合は次の方法で進める。
 1.面会者は当方から、米田・伊藤・石岡・新聞記者でついてゆく人があれば一緒に行ってもらって良い。
 2.面会はまず新しい人の紹介、同行の目的を語り、次の順序で進める。
  石岡「前回お願いしました石岡個人のお願いは撤回します。私として再びこのことでお願いは致しません。先生には4月にお願いして以来いろいろとお骨折りいただいてありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
  伊藤「私は岩稜会を代表して参りました。本日は御両所には特別御多忙のところを私のためご無理していただき恐縮に存じます。次に用件を申します。
 昨年11月18日にお目にかかった折の岩稜会のお願いは、先生の山日記へのご発表によって達せられたと考えます。誠にありがとうございました。しかし先生のご発表は実際の使用方法についての記載が少ないように思いますし、私たちのそれ以後の研究のこともありますので、今後は私たちの研究結果について随時発表してゆきたいと思いますゆえ、この点のご了承をお願いします。
 次に新しいお願いについて申し上げます。
 先生は昨年4月29日に愛知県蒲郡市で公開実験をなさいましたが、そのために中部日本新聞の記事のようなものが出されて、私たちもいろいろの疑いをかけられ、迷惑をこうむったと考えております。特に遭難パ-ティのリ-ダ-であり、遭難状況発表の責任者である石原國利は、墜死した若山五朗が、社会特に村人からザイルの使用法を誤った未熟者であるという無実の疑いをかけられたままで、地下に眠っていると考え、非常に悩んでおります。
 もちろん、先生はその後学会とか登山界へ、ナイロンザイルの性質についてご発表になってみえますが、その形式内容は若山五朗に対する無実の疑いを充分には一掃していないものと愚考します。又、先生の右ご発表を拝見しても、先生にはザイル切断の原因がどこにあるかご存じなのでありますから、その際右の点を先生から一般社会に闡明していただいて、ザイル切断の原因を明らかにしていただくと共に、若山五朗の霊を慰めていただきたいと存じます。
 アルピニストであられる先生には、私たちの気持ちをよくご了解していただけると存じ、特にお願い申し上げる次第であります。尚、後になっていざこざの出るのは芳しくないと考えまして、私共で次の文を用意して参りました。どうかここで御修正下さって、発表か否かを決定していただきたいのであります。
 4月29日の実験を行われた三木・篠田御両所により、次の文を朝日、毎日、中日の各新聞に掲げていただきたい。この内容は元々4月29日に発表していただくべきだったと考えますので。

『昭和30年1月2日、前穂高岳で岩稜会石原氏のパ-ティが遭難され、若山五朗氏は墜死された。若山氏の墜死された原因は、東京製綱株式会社製造にかかるナイロンザイルが、驚くほどもろく切断したためであります。しかしこれは同ザイルだけが欠陥を持っていたのではなくて、ナイロンザイル共通の欠陥であることがその後の研究で明らかにされました。換言すれば、事故の原因は、従来ザイルメ-カ-はもとより登山界においても、ナイロンザイルは無条件に優秀なザイルであると錯覚されていた点にあります。
 しかし今や、この遭難が動機となってナイロンザイルのザイルとしての重大な欠陥が初めて発見されたのであります。ここに若山氏の犠牲は登山界にとって、誠に大きな意義を持つことを明らかにし、若山氏のご冥福を喪心祈るものであります。
  昭和31年 月 日
    三木龍彦・篠田軍治』

 もしこの要求が満足されない場合は、独自の行動に出ることを暗示する。

 以下は、上記太字部分の手紙を三木、篠田両氏へ出したことを証明する3月26日付の配達証明書である。

 3月26日 父宛 米田光照氏からの手紙
 上記の文中に面会が出来た場合に同行していただく人として米田氏の名前がある。この手紙は、その米田氏からのものである。以下、解読清書する。


 先晩は突然にお伺い致しまして大変なご迷惑をおかけして申し訳ありませぬ。厚く御礼申し上げると共にお詫び申します。
 さて、その後色々と考えてみましたが貴氏と小生との考え方に根本的な相違を招いてきていることがハッキリしてきた様に思われます。すなわち「個より出発した問題は個に返へるべきが当然」と主張されることは所謂ABとを一つに考えられるところから氏の主張が生まれると思います。小生は始めからABとを判然とわけてBのみの問題としてBの解決によってAは自然解決のかたちをとることに今日も変わりありませぬ。貴氏も少なくとも昨年9月小生との始めての話合いこの折りはこの線にハッキリせられたことでしたが、先晩のお説、又御手紙に繰り返し「個―個に返へる」主張をしておられることによって、お考えが変化してこられたことを承知せずにはおられませぬ。
 根本的な重大な相違をきしてきている以上、これ以上のご相談をお受けしてゆくことは出来ないことと存じます。
 もちろん先晩も申しておりました通り、貴氏の立場とせられてはこの様にお考えになられるのが当然なのでしょうね。小生にもよくわかります。しかし、それはあくまでも貴氏の立場として見たときに言われることであって、第三者の立場にある小生に許されるべき事柄では断じてありませぬ。
 立場が人をして各々そうさせると共に、又立場に於いてどうにもならぬ立場にもおかれます。小生のただ今の場合正にこれでありまして、貴氏のお気持ちがわからぬわけではなくて、わかり過ぎる位わかっておりながら、自己の立場上これ以上ついてゆくことが出来ないわけなのです。小生のこの心持ちわかっていただきたく存じます。
 以上の様な意味合いに於いて昨日電報をお待ち願ってるかも知れぬと思って「これ以上ついてゆくことは出来なくなりましたからご自由におすすみ下さい。ついてゆけぬ理由は後から手紙で申しますが、多忙を極めておりますから少々遅れるかも知れませぬ」との意味をもった電報のつもりで打ったのです。まさかこんな意味合いにおとり下さったとは思われませぬが、どうかこの意味であったことをご承知下さい。
 右のようなことで、今後共々に進んでゆくことが出来なくなったことを悲しみますが、致し方もありませぬ。
 どうか敏子さんへもよろしくおことわり申してください。
 石原君にへよろしく。
           照
石岡繁雄様

 米田氏は、石岡の祖母の友達で、鈴鹿市にあるお寺の住職をしてみえた。博識な方だったので、何かにつけて祖母が相談に乗っていただいていた。
 この米田氏からの手紙は、前後関係が判らず難解であったため、父の遺した手帳を紐解いた。米田氏に宛てて書いた手紙の下書きと思われる記述があったので転記する。


 決して努力を求めようというのではない。こういう複雑な事件から逃れるのを、ことさらAとBとの混同などという判り切ったことを持ちだしている。
 社会に対して悪事に悪事を重ねてゆく反省なき大ボスと闘う事は、常人のよくなしえなき勇気を要することである。例えようもない困難を闘う事は、社会を明朗にする唯一のものであり、それを判っておりながら、ことさらに私情などとくっつけて事態から逃避しようとする態度は、全く平素の貴殿及びその天職にも似つかしからぬことと思う。問題は結果が全く良心的でないことである。一つ一つの事態のみでは判らぬ事である。私のやっていることが単に私情ではなく社会の明朗化のために必要であると信ずるうちは、又それが私の同胞に直接の悲しみ(犠牲)を伴わないと信ずるうちは、つまりいつも言うように経済的に無理しないうちは、どんなことがあっても進むであろう。個人個人が正義を守る努力をすると言う事が社会の正義を保つ唯一のものであると信ずる。正義は努力なしでは保たれない、と言う事は今回の事件での教訓である。同様にして家族又は誰でもの犠牲の上に正義を守ると言う事は個人の幸福という民主主義の本来の姿から離れると思うので、私はとらないところである。私のこの考えが違っていると言われ、それを了解するのならば私はいつでも中止する。しかし、私情ではなく上記の点で一致をみていると信ずる人に背かれることは悲しいことである。もし原則で一致しないのならば、何も今後ご支援願いたいとは思わないが、これは何かの微細な技術的誤解に起因すると思うので、そうであれば誠に残念であるので一度面談をお願いし、出来れば原則の理解の上で、精神的ご援助がお願いできればこれにすぐる喜びはない。

 少なくとも少しでも一致点があるのならば河町の方(鈴鹿の祖母)へは「わからんやつだ」と苦笑していただいて、今後の小生を苦境に落とされることをしていただかず、適当にカモフラ-ジュしていただくことを心から懇願します。これは敏子も最も心配するところで、小生にもよく解るのです。
 スキを狙って入り込む泥棒が悪いのではない。用心の仕方が悪いのだと言う。これを言葉だけならともかく権威ある書に載せると言う事は誠に重大である。朝日の論と全く正面衝突する小生には、あの手紙によって何かのテストをしていると思われてならない。そうであればよいが、しかし現在の重大な時に、わざわざテストというのもおかしい。貴殿もボスの影を恐れて、ことさらに避けようというのであろうか。それならそれで神経的にはよく分かるが、小生は手を引くと言ってもらえばよい。
 本当に私情と思っておられるのならば、あるいは文字通りAとB混同と思っておられるのならば、小生は貴殿のセンスを疑う!それは何かの誤解であるかそうでないとすれば、強くて弱い(篠田氏の言)を認めた代わりにモラルを危うくする。決して正しい結論に持ってこようとしない。何でも自分でできると考えている。
 私情らしくみえるのは、それは手段であって、あくまでも社会を毒するホラへの挑戦である。それでなければ、こんなことが出来る筈がない。
 もし判らないところがあればその点を具体的に言葉尻をとらずに言っていただきたい。それを言ってもらわずに河町などへ告げ口して小生を苦しめるようなことは、私は卑怯だと思う。私のやっていることの根本が私情に基づくと尚お考えならば、國ちゃんに聞いていただきたい。それでもまだ誤解が解けなければ、その点を國ちゃんに聞いていただきたい。

 父がこの原文のまま手紙を出したとは考えにくいが、このようなことを書いて出したことは間違いない。石岡家に入ってから祖母との関係がうまくゆかず、ただでさえ家中が騒然としていたと思われる時期に、米田氏が祖母を焚きつけるようなことをおっしゃったことは、祖母と父との間で身をすり減らしている母にとっても困った事だっただろう。当然のことながら石岡家にとってもナイロンザイル事件は大変なことだったのである。
 しかし、米田氏とは喧嘩別れした訳ではない。この後も、家ぐるみの長いお付き合いが続いた。


 
 3月28日 伊藤経男氏宛 篠田軍治教授からの返信

 拝啓
 3月24日付御手紙の件、ご趣旨よくわかりませんが、ご依頼の件は公務多忙の折柄到底貴意に副う事はできませんから何卒悪しからず。
 尚右と同様な依頼が三木氏から来たとしても小生の返事は同様でしょう。
 右念のため。
 三重県鈴鹿市神戸新町
  岩稜会代表 伊藤経男様
 3月28日
  豊中市麻田97 篠田軍治

 この返信は残されていなかったので『ナイロン・ザイル事件』より転記した。
 

 4月2日 岩稜会代表伊藤経男氏宛 東京製綱高柳栄治氏
 上記、配達証明付手紙に対する東京製綱からの返信である。


 昭和31年4月2日
   東京製綱株式会社 高柳栄治
岩稜会代表 伊藤経男殿
 前略
 3月24日付三木社長宛貴状をもってザイルの件に就き篠田先生と相談の上ご面談の日時と場所を通知する様にとのご来示がありましたが、篠田先生は本件については全然ご関係がありませんので、先生と同席にてご面談する筋合いでないのみならず先生は公務御多忙にて、その余裕なき趣に付き、何卒ご了承願います。当方は強いて日時、場所は指定致しませんが何日にても差支えありませんからご都合宜しき日にご来社いただければお会い致します。
 先は右貴答まで                敬具

 4月10日 篠田軍治教授宛 岩稜会代表伊藤経男氏よりの書留内容証明付き郵便物

 前略
 御書面拝見いたしました。当方では御書面の趣を当方提案の全面的拒否と考えず、先日申し上げました「新しい角度からのお話合い」の意味を理解していただけなかったようにお察ししましたので、重ねて書面差し上げます。
 お話合いの内容については、御面接の折申し上げるつもりでしたが、公務御多忙とお察し申し、予想される次回での面会時間短縮のため、次の点を記します。
 用件は、昨年4月29日東京製綱株式会社蒲郡工場で行われました公開の御表示にかかるものであり、これは単にこの表示によって受けました当方の少なからざる迷惑という私的事情に関するのみならず、一般社会の利害に重大な関係をもつ事柄であり、既に登山界以外の各所からも早期解明を要望されて当方としても苦慮している事柄であります。又これが円満解決のためには貴殿及び三木氏との面接が是非とも必要であると考えますので、三木氏とご相談の上、面会の日時と場所をお知らせ下さるよう重ねてお願い申します。
貴殿には格別御多忙と存じますが、4月25日までにご面会の機会を与えていただけない場合は、不本意ながら以後独自の行動に出ざるを得ない状況にありますからご了承ください。
 昭和31年4月10日
  三重県鈴鹿市神戸新町
   岩稜会代表伊藤経男
大阪府豊中麻田97
 篠田軍治殿

 上記の内容とほぼ同文の郵便を、三木龍彦氏宛にも出している。 

 4月14日 父宛 伊藤経男氏からの手紙
 この手紙には、伊藤氏の父上が4月1日に亡くなり、葬儀後のお参りの日が続き父と話し合うことが出来ず申し訳ないと書かれている。伊藤氏は、お父上が亡くなるという大きな出来事の中、ナイロン・ザイル事件を闘ってみえたのである。伊藤氏のナイロン・ザイル事件に対する気持ちや父に対する気持ちをあらわにしている箇所を転記する。


 ・・・・・・・・・2頁目の4行目より
 ザイルに関するご趣旨も実によくわかります。五朗ちゃんの事を入れたのは我々としては貴兄のために入れたものではなく心より若き友の遭難を悼み、その遭難に対しておのおのが一様に責任を感じているために他ならないと思いますが、しかし第三者の取り様で如何様にも取れるものですから、少しでも疑問を持たれる様な言葉は省いた方が良いと思います。私的なことは全て切り捨てるBacchcskの気持ちを思うと共涙です。とにかく大いにやりましょう。一度機会をとらえてお伺い致します。やはり会って話をしなければモヤモヤはいつまでたっても消えません。三木、篠田両氏の手紙もあれで返事が無かったら、彼らは人間ではなく鬼か…いや鬼は堂々と社会をカッポして人々の面前に現れる。彼らは世の人々には大会社の社長でござる。日本的な博士でござると云いながら、その反面実に卑劣な行動を取り、無力な人間共を虫けらのごとく扱い、人の死なぞ責任を感ずるどころか、まだそれを事故の信用、宣伝材料にする非人道的な人間の屑と言っても過言ではなく、とにかく徹底的にやらねば社会に対して申し訳がありません。下らぬ事ばかり書いて申し訳ありませんでした。とにかく宜しくお願いします。
 いつかは我々も桜花に親しみ山を歩き昔日のごとく愉快な人生の来ることを楽しみにやりましょう。では失礼いたします。
 4月14日  社長より
最大の友 Bacchusへ
 両氏の配達証明書同封しました。

 4月23日 岩稜会代表伊藤経男氏宛 篠田軍治氏からの返信

 昭和31年4月23日
 岩稜会代表伊藤経男殿
  篠田軍治
 拝啓
 4月10日付貴信拝誦しました。
 どう言う理由からかかる貴信を頂くのか私にははっきり分かりませんが、学術的なロ-プの衝撃強度の研究については去る30年10月16日名古屋大学工学部に於ける応用物理学会にて講演し、且つ論文は阪大工学部邦文報告(昭31)に記載しました。
 学術上の疑問であれば前記の文献を検討して下さい。
 貴信中「新しい角度からのお話合い」とか「円満解決云々」とか「少なからざる迷惑云々」とありますが、これは何の事でしょうか。私には貴信が抽象的で分かりかねます。尚、私と貴会との間には現在円満解決を必要とするような如何なる事態が存在するのでしょうか。私には全く心当たりがありませんので、この点明確に御開示下さい。元来私は貴会とは何らの関係もありません。
 更に貴信には「三木氏と御相談の上、貴殿、三木氏、小生の三者会談を開くべく斡旋せよ」と言う意味の御申越が含まれていると理解しますが、これは私が承るべき話とは筋合いが違うと思います。是非、私が斡旋しなければならない理由があると貴殿が考えられるならば、その理由を具体的に御開示下さい。
 私は本研究の共同研究者梶原信男氏と相談の上十分検討して見たいと思います。
  敬具

 
 4月24日付 父宛 伊藤経男氏からの手紙
 上記の篠田氏からの書簡を父に送るために書かれた手紙である。関連部分を転記する。


 本日、同封の書簡篠田博士より参りましたが、内容は博士自身は全くザイルの件に関しては無関係であるかの如き返事にて、おかしなやつから手紙が来て返事するのも馬鹿らしいがまあまあ出しておいてやれ、といったような感があります。足元へ爆弾を仕掛けて、後はマッチ1本というところまで来ているのも知らず、過日の文面を少しはその身になってよく読んでみれば、ことの重大さが分かりそうなものを全く情けない博士です。

 実際、篠田氏はどうお考えであったのであろうか。伊藤氏の言われるように、学者にはままありがちな、専門的な研究のことしか分からない全くの天然で、事態が全く呑み込めていなかったのか。それとも東京製綱と篠田氏の関係を話さなければならなくなることを恐れたのか?
 とにかく、これで方針は決定した。

 4月26日 岩稜会代表伊藤経男氏宛 東京製綱株式会社麻綱課長高柳栄治氏よりの返信

 昭和31年4月26日
   東京製綱株式会社 高柳栄治
岩稜会代表 伊藤経男殿
 拝啓
 4月10日付御書確かに拝見いたしました。
 篠田先生と同席会見を再度御申し入れがありましたが、篠田先生は貴会とは全然関係なく従って先生と同席会見の必要ないのみならず前便(4月2日付)にて申し上げました通り、篠田先生は公務御多忙にてご都合も中々着きかねると存じます故当方は何日にても差し支えありませんから御来社頂ければ貴方の御話を拝聴致します。
 先は右貴答迄   敬具
 
 年月日不明(昭和31年5月と推測) 父宛 若山照尾(父方の祖母)からの手紙
 五朗叔父が亡くなってからの祖母は、異常なほどに仏教に傾倒するようになった。末息子を亡くした哀しみから逃れるためであったのであろう。恐山のイタコのような方に頼んで、五朗叔父の霊を呼び出しては会話をすることもあった。生涯そのような宗教には多大な寄付をして、若山家跡継ぎの富雄叔父を困られた。その祖母からの手紙を以下解読清書する。


 若葉の季節、梓ちゃんはお姉ちゃんらしく、又あづみちゃんは、可愛く御通園うれしい事でございます。お祝いも致しませず申し訳なく存じております。さて、先日嵩照佛にご参詣下さいまして有難うございました。供養も一段落いたしました。又その折、そに

 おしき人、あきらめ難きお最後と
  多くの教え後に残して。 光月
 若葉なる思いもよらぬ谷間にて
  すくいをもとめ、弥陀の浄土へ。 老尼
 きよのけき、雪積む山に身を埋めて
  み佛の如く眠りいますか。 ことゑ
 若き身を、深山の雪に花と散り
  続く人らに、教え給いし。 ことゑ
        教え残して。

 右、奉唱させて戴きました。
 敏子さまにどうぞよろしく。 照尾
繁雄様
 
 若山の祖父母の嘆きは、生涯消えることはなかった。


 年月日不明 雑誌『インダストリ-』の記事「十種競技のチャンピオン」
 この記事は、昭和31年5月以降に掲載されたものと思われるが、詳しい月日については不明である。
 そこに貼られていた父のメモの内容を、以下転記する。


 ナイロンの全消費量のうち40%を占める漁網用の売行きが29.6%に下がった。
 東京製綱はもとより東洋レ-ヨンもあわてたに違いない。その結果が篠田教授を抱き込む蒲郡でのインチキ実験となった訳である。この間の事情は、58頁(37頁の上部)(昭和31年10月1日発行『岳人』102号に掲載の「登山とプラスチックの装備」新保正樹氏著:この文字列をクリックしてください。この記事がご覧いただけます)の新保氏の記事で明らかである。

 この記事の中で、「ナイロン用途別販売実績」として、昭和29年上半期・下半期、30年上半期・下半期の実績が掲載されている。その部分だけに赤色囲みがしてあるので、以下書き抜く。

漁網綱
30年度 上半期40.6%、下半期40.6%
31年度 上半期29.6%、下半期35.1%

 6月3日 父宛 石原國利氏からの手紙

 前略
 先日は大変お世話になりました。
 御手紙は2通共確かに受け取りました。これで原稿も揃いましたので、いよいよ明日からガリにかかります。
 ところで、原稿を印刷屋に見せましたところ、最初私たちが考えていたよりもずっと量が多くなるとの事です。それで少なくとも2週間はかかる(後から来る原稿も入れて製本完成まで)とのことで、ちょっと慌てています。それで、今後できて来る原稿は名古屋でガリ版に出し、最後に一緒にして製本したらどうかと考えているのですが、この点一度考えてみていただけないでしょうか。
 字の大きさも、見本通りの大きさ(5mm)にすると頁数が相当増えるそうですから、一段小さい字(4mm)にしようと思います。読み直しは黒田にもやってもらいました。第三者としての資料から感ずる意見も欲しいと思い、同席の下宿人にも読んでもらいました。参考になる点もあると思いますので次に記してみます。
1.登山に関係ない者が読んでもよく解る。興味ある問題と思う。
2.特に篠田氏の言動には多くの矛盾を感ずる。問題の性格を明確にする上に於いても、相手を篠田氏だけに限定することは良いことだと思う。
3.加藤氏の談話並びにレポ-トは特に興味を持って読んだ。これを読むまでは、両方の言い分にもっともな点があると思っていたが、これを読んで全てがはっきりして来た。
4.岩稜会の主張について…ナイロンザイルの弱点を明らかにし、今後の危険を除去しようとする努力はよく読み取れる。ただ篠田氏の学者としての不愉快な態度を問題とする点については、説明をつけないと、そこまでは読み取れないのではないか。説明なしでは、ナイロンザイルの強弱を論争しているだけとしか取れないのではないか。説明を聞くと非常によく解るし、岩稜会の本当の主張がどこにあるか(社会性)もよく解る。
5.誤解されやすい点…30年11月までの資料からでは岩稜会の目的について誤解をうけるものはないと思う。しかし11月18日に篠田氏に提出した「石岡個人のお願い」は非常に誤解されやすいと思う。第三者としてみると、結局岩稜会の目的は損害賠償にあるのではないかという印象を受ける。終わり近くになってこういう印象を与えるのは非常に不利だと思う。そしてこれ以降の交渉や31年3月以降の内容証明付の手紙のやりとりも、このための会見要求と取られるおそれがある。資料以外の事情を知らない人には手紙の文中の円満解決=損害賠償と取られるかも知れない。説明が必要。説明を聞けばよく解る。この点をはっきりさせておかないと、岩稜会の目的も間違って取られる恐れが多分にある。
 以上は、何も説明を加えずに、ただ原稿だけを読んだ場合に受ける印象を率直に話してもらったものの要約です。後で私から説明を加えると非常によく判ってもらえました。事情の判り過ぎた私たちの気付かなかった点もあると思い、参考までに書いてみました。
 判例の件は、昨日午後お手紙を拝見してから早速図書館で調べてみましたが、あの通りの物が抽出出来るものは見当たりませんでした。土曜日で閉館の時間も迫っていましたので、思う通りの調査も出来ませんでしたので、明日もう一度調べて見て、出来るだけ近い意味の取れる判例を探してみます。
 いろいろと書き並べましたが、とりあえず以上お返事まで。
 では家の皆様、隣の下宿の皆様に宜しくお伝えください。
 6月3日  石原國利
石岡様

 篠田氏と東京製綱からの返信の後、1ヶ月以上資料が残されていない。この間、岩稜会と父は、篠田氏を告訴するための準備をしていた。また、冊子『ナイロン・ザイル事件』を作成するために一生懸命原稿を書いていた。この國利氏からの手紙は、その様子を物語るものである。


 6月15日 父宛 石原國利氏からの葉書
 
 本日関係資料のガリ出来上がり、目下読み合せに大わらわです。早速ですが左記の点不明ですので、大至急お知らせ願います。
 (資料63)暁学園24頁、③fig4の如くカラビナ2個を使用し、??を地上…
 返事来次第印刷にかかります。
 それから次の原稿(資料以外の)も一日も早くお願いします。
 本に貼る写真はガリの都合により一部寸法を変更(小さくなる)するのが出来るかも知れませんので、引き伸ばしはちょっと待ってみて下さい。(今、黒田の下宿に泊まり込みで仕事していますので、急ぎの用事は黒田の下宿宛連絡してください)


 6月18日 父宛 岩稜会黒田吟哉氏からの葉書

 前略ごめん下さい。
 昨日「ガリ」が全部上がりまして「読み合せ」も終わりあとは修正をして印刷するばかりです。
 今朝電報受け取りました。資料番号63③fig4の如くカラビナ2個を使用し○○を地上…と言うところの○○は末端と受け取りそのように修正いたしました。
 なんべんもなんべんも申し訳ないのですが、次の原稿をなるべく早くお願い致します。
 (葉書をスクラップブックに貼るための紙のため1行読み取れず)
ました。鋼板製作の件もある事ですし鋼板の原稿も送っていただければと思います。一度に二つも三つもの事はお出来にならないのはよく判っていますが、一度お知らせしておきます。
 神戸の会員、社長、澤田両氏には手紙を出しておきました。
 6月18日

 黒田氏は、東京都目黒区の永和プリント・サ-ビスという印刷会社の二階に下宿されていたので、その印刷会社で『ナイロン・ザイル事件』の出版をお願いした。
 東京在住の國利氏と共に、300頁もある『ナイロン・ザイル事件』を仕上げるための必死の作業が目に見えるようだ。

 

 6月22日 東京製綱株式会社高柳栄治氏宛 岩稜会代表伊藤経男氏への書簡

 4月26日付の御書面拝見致しました。いつにても面接しようといわれる貴社のご厚志に対し御礼申し上げます。しかし、前回申し上げましたように、当方がお話合いをお願いしている用件は、昨年4月29日の蒲郡での御表示に関することがらであり、この件に関しましては篠田氏を除いて貴社のみと御面接しても意味がないものと存じます。
 現在篠田氏は御面接の御意志がないようでありますので、今後は当初申し上げましたように独自の方法によって篠田氏の御翻意をお願いする決心であります。
 貴社に対しましては今後とも何かとご迷惑をおかけすることと存じますが、当方の意図は、もっぱら公益を図るためのみでありますから何卒御了承のほどお願い致します。
 昭和31年6月22日
  岩稜会代表 伊藤経男
東京製綱株式会社 高柳栄治殿


 同日 告訴状
 右に掲載する告訴状は、石原國利氏が告訴人となり、篠田氏を名誉毀損罪で告訴した時の物である。これは公の訴状で薄い紙に書かれているため、とても読みにくいので、ガリ版刷りになっている物をお読みいただけるようにした。右をクリックしていただければ、全文お読みいただける。
 この告訴状の日付は6月22日になっているが、以下で判るように実際に出されたのは23日だと思われる。
 岩稜会は、『ナイロン・ザイル事件』に、この告訴状を掲載しているが、その最初に書かれている文を以下転記する。


 『会員石原國利の篠田氏への告訴に関する見解発表』並びに『告訴状抜粋』を1冊となし、6月23日(土)午後2時名古屋地方裁判所記者クラブにて、新聞記者数名に手交、若干の質問に答える。当方からの出席者告訴人石原國利・岩稜会代表伊藤経男・会員黒田吟弥・オブザ-バ-石岡繁雄

 遂に、篠田氏を名誉毀損で告訴した。
 この時、本来ならば2月11日付の「告訴について我々の見解、並びに社会の皆様へのお願い」に書かれているように、石原國利氏と澤田榮介氏の両名が告訴人となるはずであったが、その後、澤田氏の父である澤田鶴橋氏との意見調整(賠償金の支払いを求める刑事事件とするかどうかという問題を含めて、社会党に属する鶴橋氏は党としての問題にされたい意向であったが、父はあくまでもスポ-ツ団体としての立場を守ることを主張した)がつかず、榮介氏は告訴人から外れた。澤田榮介氏は、この問題の多くは語られないが、近年「私は山に登りたかったから」と、ポツリと語られた。

 また、上記の見解とお願いに続いて入れられていた「告訴状原案」には被告訴人として、東京製綱の三木社長の名も入っていたし、告訴状の内容もガラリと変わっている。
 「告訴状原案」の文字列をクリックしていただければ、その内容がご覧いただける。

 
 6月23日 「会員石原國利の篠田氏への告訴に関し見解発表」
 この見解も、2月11日付の見解とは全く違ったものになっている。以下転記する。

 会員石原國利の篠田氏への告訴に関し見解発表
  昭和31年6月23日 三重県鈴鹿市 岩稜会
 我々は、かかる行為を行うにあたって、スポ-ツ団体としての本来の立場を厳守し、一切の私情私怨を含まず、ひたすら社会、登山界への貢献に徹することを誓うものであります。社会の皆様のご指導、ご批判を喪心お願い申し上げる次第であります。
 見解
 昭和30年4月29日、愛知県蒲郡にある東京製綱株式会社内においてなされた公開実験は、同実験を指導された日本山岳会関西支部長、大阪大学教授工学博士篠田軍治氏の資格、及び当時の事情からして、前穂高岳での不可解なナイロンザイル切断事件の原因鑑定の意味をもつものであり、同時に登山綱の性能に関し、登山者の不安を解消すべき性格をおび、従って実験全般にわたって、登山者の危険防止のための万全の注意が当然要求されていた。
 しかるに篠田氏は、当時すでにナイロンザイルの岩角での欠陥、並びに遭難の真の原因がそこにあることを熟知しておられながら、ナイロンザイルにはそのような欠点はなく、従って事故の原因は別のところにあるかのような印象を与える実験をなされた。
 このため、誤れる死因の流布に関し、前穂高岳で遭難したパ-ティのリ-ダ-石原國利は、実験の真相を知って以来、自らに加えられた重大な侮辱と、村人の中に眠る墜死者への不当な侮辱に対する怒りのため、日夜延々と悩み続けた。一方、登山界はザイルの性能と事故の原因に関して、誤れる観念を持ち、ために少なからずも生命の危険と混乱とが起こった。我々は以上のような各方面への疑惑が解消される道は、篠田氏ご自身の努力による以外にないと考え、この点を篠田氏に御面接によってお願いすべく、31年3月23日、同4月10日、わずかな時間の御面接でもと書面をもってお願いしたのであるが、その機会を与えていただけなかった。ここにおいて石原は最後の手段である告訴による方法を選ぶことになった。
 さて、篠田氏の上述のような御態度は、人権擁護並びに人命尊重への重大な侵害であるばかりでなく、世人をあざむき、真実を曲げて虚空の事態をつくることに努力されるという結果になったことは、篠田氏が国家公務員たる学者である関係上、今後に影響するところ誠に大きく、我々国民の一員として黙過しがたいところである。一方、この問題の究極的解決は、石原の告訴を支持する事によって、得られると考えるので、ここに石原の告訴を全面的に支持し、篠田氏による明快な御解決のある日まで、この問題を追及することになった。(終)

 
 6月24日 新聞各紙

 この新聞が貼られていたナイロン・ザイル事件のスクラップブックには、新聞の上余白に以下の事が記されていた。


 篠田氏告訴のことは、中日では最上段にトップ記事として発表された。我々は事が事だけに新聞には発表されないだろうと考えていた。
 6月23日の夜は、石原はじめ関係者は石岡宅の二階に泊まったが、翌朝各新聞、ラジオニュ-スの発表に我が目、我が耳を疑った。
中部日本新聞

朝日新聞 


 毎日新聞

 

国際新聞(6月25日)

 読売新聞(6月25日)

 左の新聞は『ナイロン・ザイル事件』の活字化の際に、関係資料「資料番号78」として最終頁に掲載されていたが、劣化して破れており、最後の部分が読み取れなかったために、「石岡繁雄の志を伝える会」の相田氏が、2016年12月27日に国会図書館で調べてコピ-してもらった物である。

 上記掲載の新聞をクリックしてください。大きくなってお読みいただけます。

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2016年4月22日記