2022年3月に掲載しました「石岡高所安全研究所のお別れ会」のペ-ジ(https://www.shigeoishioka.com/new91.htmlクリックして下さい。そのペ-ジにご案内します)でもお伝えしましたが、昨年1月14日に研究所の土地と、裏庭の土地の一部の売却が決まりましてから、3月19日に伝える会顧問の石原國利さま(私は國ちゃんと呼ばせていただいています)から、研究所の跡地に記念碑を建立する提案をいただきました。売却先の村瀬病院の意向もあり、建てられるかどうか不安でしたが、村瀬病院側のご厚意で、建てさせていただけることになりました。当初は上の写真の右側の記念碑のみを考えて、場所も研究所とお隣の本田さん宅の道路側境に建てる予定で、地元の石屋さんに発注いたしました。 |
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4月5日付 國ちゃんからのお手紙 |
4月26日付 國ちゃんからのお手紙 以下の新聞は同封された記事です |
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7月8日 事績碑の文を比較検討する 何度も拡大コピ-に行って、写真の大きさや文字の配分の検討をしました この作業は小川夫妻と私で行いました 作業日は6月22日~7月19日の間で11日間、拡大コピ-の枚数は30枚を越えました 父の志を未来につなぐ大事な事績碑です 慎重に検討しました |
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石岡高所安全研究所跡地の石碑について(2022年7月8日更新) <記念碑の大きさ> 15cm(横)×12cm(奥行)×85cm(高さ〔地上部分〕)+15cm埋まる <石板の大きさ> 80cm(横)×12cm(奥行)×85cm(高さ〔地上部分〕)+25cm埋まる <作製業者> 石作製・設置:宮崎石材 陶板作製:こめや陶堂 御影石製事績板にセラミックス製碑文をはめ込む方法を こめや陶堂に問合せ結果(7月5日訂正) 1.問合せ日時:2022年7月2日17時~17時30分 2.問合せ者:石岡繁雄の志を伝える会 水野高司 3.問合せ先:こめや陶堂 4.目的:研究所の事績碑の事績板(御影石)にセラミック製碑文板(600x600x10mm)をはめ込む方法の問合せ 5.結果の概要; ①事績板(御影石)の彫りこみ寸法:約606x606x15mm以上(はめ込み後の表面は面一) ②セラミック製碑文板の固定方法:シリコン系耐寒弾性接着剤 ③接着剤の塗布方法:約5mmΦ以上x約100mmピッチの上下棒状塗布(ピストル式注入器による) ④周囲の目地すきま:スペーサーを入れ、施行後抜取り ⑤周囲のコーキング:一切なし(周囲の汚れ防止) ⑥防水対策:雨水は上から下に流し、内部に水分を溜めない ⑦この工法の実施例:40階までの高層ビルの表面部材、山頂の表示板、など 6.施工業者への説明方法; ①電話による説明 ②接着剤メーカーLixil(旧イナックス)の取扱説明書 ③ビデオ説明(必要に応じ作成検討は可) 7.施工後の耐久性 ①表面強度:ダイヤモンド以外では表面キズできず 野球のボールに対する強度: データは無いが、山の表示板は強風による石礫には問題なし <碑文内容> バッカスの愛称で慕われ 「ナイロンザイル事件」を闘い抜いた登山家 石岡繁雄(いしおか・しげお) 1918年1月25日、若山繁二・照尾の長男として米国カリフォルニア州サクラメント市に生まれる。1921年、父の郷里愛知県愛西市に帰郷。愛知県津島中学から第八高等学校に入学。山岳部に所属。1942年9月、名古屋帝国大学工学部を卒業後、海軍技術士官として第二海軍燃料廠に勤務。1944年9月、当地在住の旧家、石岡正一・志ずの一人娘敏子と結婚、石岡姓となる。 1945年9月、旧制神戸中学(現・県立神戸高校)の物理教師となり山岳部を設立。翌年、神戸中学山岳部卒業生を母体とする岩稜会を設立。 1947年、ホダカ商会(電気商)を開業し山行き費用を捻出。 同年7月25日、神戸中学山岳部員2名と共に穂高屏風岩中央カンテ初登攀。 以後、岩稜会は穂高の岩場を舞台に次々と初登攀を達成する。 1952年、名古屋大学学生部に就職。冊子『奨学生の推薦基準について』(1954年)を発表。 1955年1月2日、岩稜会による前穂高岳冬期初登攀時に、ナイロンザイル切断事故で実弟・若山五朗(三重大1年生)を失う。各種実験の結果、ナイロンザイルが岩角に弱いという欠陥を突き止めた石岡は、次の犠牲者が出ることを恐れてザイルメーカーである東京製綱に欠陥の公表を迫る。 同年4月、東京製綱は大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長でもある篠田軍治の指揮の下、蒲郡工場で公開実験を行う。ところがこの実験はナイロンザイルが切れないよう故意に細工されたものであった。ナイロンザイル切断事故は「ナイロンザイル事件」となったのである。この事件はいまだに繰り返される企業による製品の欠陥隠しの原点のひとつと言える。 1956年6月、石岡と岩稜会は事故当時登攀リーダーだった石原國利名で、篠田軍治を名誉毀損で告訴。同時に、冊子『ナイロン・ザイル事件』を発行。この冊子が作家の井上靖の手に渡り、小説『氷壁』が朝日新聞に執筆・連載される。『氷壁』はベストセラーとなって登山ブームが巻き起り、この事件はアカデミズムや企業の責任・倫理を問う大きな社会問題となった。 1957年7月、篠田に対する告訴は、何の事情聴取もないまま不起訴処分となる。石岡と岩稜会は篠田に対し次々と公開質問状を出し、ついに篠田は「蒲郡における公開実験は飛行機や船舶に使うロープの実験であり、岩稜会の事故とは無関係」と発言。これを受けて石岡と岩稜会は「ナイロンザイル事件」に終止符を打つ。 1964年2月、豊田工業高等専門学校に赴任。1971年4月、鈴鹿工業高等専門学校に転任。文部省登山研修所委員・三重県山岳連盟会長なども歴任。 ナイロンザイル切断による犠牲者は後を絶たず、1973年3月、応用物理教授の石岡は鈴鹿高専において「ナイロンザイルの性能に関する公開実験」(三重県山岳連盟主催)を実施。この実験により登山用ロープが消費生活用製品安全法の対象となる。国の「登山用ザイル安全基準調査研究委員」となった石岡は、メーカーが商品の欠陥を公表することを督励。‟PL法(製造物責任法)生みの親”と言われるようになり、ロープの権威として数々の切断事故の究明にあたる。 鈴鹿高専退官後の1984年2月、「石岡高所安全研究所」をこの地に設立。登山用安全装置や高所からの脱出装置の研究を継続する。一方、日本山岳会が篠田軍治を名誉会員としたことから、石岡と石原など日本山岳会の心ある人々は登山者の安全を脅かす行為をした篠田軍治を名誉会員とする事に異義を申し立てる。石岡繁雄没後も「石岡繁雄の志を伝える会」により名誉会員取消しを要求したが、いまだに名誉会員のままである。この問題は日本山岳会唯一の汚点として後世に負の遺産として遺ることになる。 2006年8月15日、永眠。生涯、山と酒と妻をこよなく愛す人であった。井上靖は石岡を ‟氏は記録を造る人ではなく、山に志を刻む人である”と評した。 登山家・教育者であると共に発明家でもあった石岡は、最晩年までに210件以上の特許・実用新案・意匠登録を出願し、登山用緩衝装置、自動変速装置、高所からの脱出装置、各種介護装置等、47件の特許を取得。著書には『屏風岩登攀記』、『穂高の岩場1・2』(岩稜会)、『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』(共著)などがある。 石岡の遺した文書資料等は「石岡繁雄の志を伝える会」がデータ化し、発明品・遺品等と共に2012年名古屋大学に寄贈し、文書資料は国の特定歴史公文書等に指定された。文書資料の目録化と名古屋大学文書資料室アーカイブスのデータ公開作業は「石岡繁雄の志を伝える会」によって現在も継続中である。 2022年8月15日 石岡繁雄の志を伝える会 |
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当初予定の記念碑建立予定地 先に記念碑を作っていただいたため 高さは80cmと決まっていました 事績碑を作製するならば もっと高くして置いた方が良かったと 思いましたが、変更はききません |
6月27日 建立場所にて 陶板の大きさは横60cm以内で 高さも60cmまでと決まっていました その範囲内で、どう父のことを伝えるか? 試行錯誤の上、ほぼ決定したのが 上の用紙です |
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文字の大きさを検討する小川夫妻 工事の方も興味津々で見に来られる |
ベニヤに貼った紙を立てて… 「やはり少し低いなぁ」と隆平さん 「座って読んで丁度良いよ」 |
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8月16日 宮崎石店に陶板が到着! |
早速、見に行く 地の色を真っ白にすると見にくくなると 製作業者から言われて、地の色は 薄いクリ-ム色にしました 少し色が濃いように思いました |
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御影石の事績碑板 |
除幕式の日が9月11日と決めてあり それまでに間に合うように 陶板のはめ込みをお願いしました 緑の枠の中に陶板がはめ込まれます |
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8月20日 除幕式に使用する幕を干す 研究所の実験塔お別れ会の時に 使用した、石岡家の紋付の幕 |
8月21日 幕の張り方を考える 水野さん・小川夫妻と共に 除幕式の準備に大わらわです |
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幕の止め位置を決める この金網に紐で固定すると良いね |
打合せランチ 左から 水野さん・隆平さん はつこさん |
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8月24日 宮崎石材店が石碑を建てに来てくださる日です 立合いは水野さんと二人で行う予定でした 8時頃、別件で横浜在住の立岡さんにメ-ルしたところ… 何と!「30分くらいで、行きます」とのこと!! 「今どこ?」と聞いたら、昨日は鈴鹿高専のOB会があり、四日市にいるとのことで 本当にビックリしました 立岡夫妻も参加で、大いに盛り上がりました |
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建立場所の前で到着を待つ |
9:35 石屋さん到着 |
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資材を降ろして |
建立場所 |
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金網を外して |
予定地の掘削 |
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土がどけられた |
石碑部分に土台の石を置く |
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記念碑が降ろされる |
事績版が降ろされる 慎重にバランスを取る石屋さん |
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ハラハラしながら見守る立岡さん |
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所定の位置に運ばれて… |
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着地完了! |
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事績碑の仮固定 |
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記念碑が並べられます |
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事績碑と記念碑の位置決め 「このくらいの間隔が見やすいと思います いかがですか?」と石屋さん |
水平器を使用して傾き補正 |
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11時12分 ケ-ブルネットテレビ鈴鹿企画放送番組 令和鈴カルカレッジ 鈴鹿市文化振興事業団放送セミナー<「山に志を刻む人」~ナイロンザイル事件と石岡繁雄~>を企画してくださったCNSプランナ-・ディレクターの福嶋さんが偶然通りかかられて、石碑のことを尋ねていかれました。 |
二つの石碑が固められていきます コンクリ-トを練るための水は 拙宅から水を引いて運びました |
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倒れないように棒で押さえて |
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ちょっと休憩の水野さんとあけみさん |
頑丈に固定された石碑 |
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コンクリ-トが落ち着くまでの間にランチ |
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午後の部の開始 |
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記念碑の文字 |
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とうとう事績碑のビニ-ルが外されて |
全貌が明らかになりました 「建立 石岡繁雄の志を伝える会」の文字は フェンスでほとんど見えません 何とおくゆかしい( *´艸`) |
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記念碑を丹念に磨く石屋さん |
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完成品の前で記念撮影 左から、あけみさん・立岡さん・ 水野さん・私 |
石屋さんと |
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村瀬病院の駐車場を作られた荻野建築の 社長さんが見に来られました 左奥が社長さん |
記念碑には除幕式の日まで 布が巻かれます |
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事績碑にはブル-シ-トが被せられて |
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時を待ちます |
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ご苦労様でした |
その後私たちは… 除幕式用のコ-ン位置を決めました あけみさんの立ち位置から… |
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私の立ち位置まで |
二人の間にコ-ンが置かれます |
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<除幕式の準備について> 冒頭でも國ちゃんのお手紙を掲載させていただきましたが、また指令が出て「除幕式には是非鈴鹿市長様をお招きしていただきたい」と、言われたのは7月中頃のことでした。皆さまとも協議の結果お呼びする事になり、慌てて案内状を作成して、8月1日に市役所にお届けに上がりました。 その後、どなたに来ていただくかを考えましたが、コロナ禍でもあり、伝える会と親族以外では三重県在住の方々のみにすることにいたしました。父が在職してお世話になった神戸高校・鈴鹿高専の校長先生他、ごく一部の方に案内状を差し上げました。以下は神戸高校の校長先生にお出しした案内状です。 2022年8月6日 神戸高校校長 北村 武 様 石岡繁雄の志を伝える会 代表 石岡あづみ(繁雄次女) 石岡繁雄記念碑・事績碑建立のご案内 拝啓 暑中お見舞い申し上げます。 貴校には父石岡繁雄が奉職中は大変お世話になり誠にありがとうございました。 私たちは2006年8月に石岡繁雄が他界後、膨大な研究資料や遺品の散逸を防ぐため整理して参りました、非営利目的の小さな団体です。 石岡の資料約2万点はデ-タ化して、2012年12月に石岡の母校である国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学の大学文書資料室に寄託いたし、「石岡繁雄文書資料」として現在は国の特定歴史公文書等に指定され保存されております。また遺品や発明品など約500点につきましては、名古屋大学博物館に寄贈いたしました。 それを受けて、名古屋大学は「氷壁を越えて」をテーマに3か月間に亘る大規模な企画展を開催し、当会の会員は解説員として常駐しました。その展示で使用しましたパネル等は石岡家がもらい受け、会としての独自の展示を上高地で2回、松本市と鈴鹿高専で各1回開催させていただきました。 遺された石岡高所安全研究所は閉所後も、各地からの見学者は絶えませんでしたが、コロナ禍で皆無となり、老朽化した建物を維持管理することが出来ず、前々から土地の購入を希望されていた村瀬病院様に、今年3月に売却いたしました。その後も「郷土の偉人石岡」が心血を注いだ研究所を惜しむ声が多々あり、村瀬病院様のご厚意で石岡の記念碑と事績碑を建立することになりました。 来る9月11日(日)10時から30分間程、その除幕式を執り行うことになりましたので、ご多忙のところ大変恐縮ですが、是非共ご来駕賜りますようお願い申し上げます。 準備の都合上、ご出欠を8月20日までにお知らせくださいますようお願いいたします。 尚、ご参考資料といたしまして下記添付させていただきます。 1. 石岡の略年表 2. 記念碑、事績碑の概要 3. 建立地略図 敬具 8月12日 案内状と並行して、小川さんが「道路使用許可申請書」を作成して警察署に出してくださいました。 <開催地付近の地図と式典内容等> 石岡繁雄「記念碑・事績碑」除幕式 (1)日時:2022年9月11日(日)10:00~10:30 (2)場所:鈴鹿市神戸2丁目6(旧石岡高所安全研究所) (3)内容: ①挨拶の部(10:00~10:10)ガレージ内、車庫前のスペースを使用。 ②除幕式の部(10:10~10:20)ガレージ外、フェンスに沿った歩道と神高側の路側帯を使用。(4)参加者:20~30名の予定。 なお、「式典② 除幕式の部」については、交通係を配して以下のように進行する。 ① 司会者が参列者に「式典① 挨拶の部」終了と共に、自ら先頭に立ち外の歩道への移動を促す。 ② その際に参列者が多い場合は、一部の参列者は交通係の誘導のもとに車道を横断し、神高側の歩道にも並んでもらう。 ③ 司会者の呼びかけで、除幕。 ④ 司会者は、式典の無事終了を告げ、まず碑の前の参列者に碑をご覧いただき、速やかな解散を促す。 ⑤ 次に、神高側の歩道の参列者に対して交通係の誘導のもとに車道を横断し、碑をご覧いただき、速やかな解散を促す。<3蜜と交通渋滞を避けるため、あらかじめ碑文のコピーを配布しておく> <8/10道路使用許可に関して、鈴鹿警察署で確認してきたこと> (1)除幕式に「道路使用許可」は必要か ⇒ 取ってもらう方がよい ・メドとして8月末までに申請。最終は9月6日(火)。 ・手数料として2300円(収入証紙)。16:45までに申請。 ・「申請書」と「添付資料」をセットとして2部作成し、その1部を警察へ申請する。 (2)神高前の道路は駐車禁止か ⇒ 駐車禁止ではない ・神高側の路側帯に、市長車など来賓の車数台を停めることは可能。 ・研究所側も可能だが、除幕式の安全確保に車両を物として使用することはよろしくない。 (3)「道路使用許可」申請に必要な書類に関して 添付しました「道路使用許可申請書」と「道路使用許可添付資料」をもとに警察の担当者と話をしてきました。この書類で十分だということでした。 ただし、「研究所側の歩道沿いに車両を駐車する」ことについては再考してほしい、との回答でした。 <警察側の見解> ▶車両を物として使用するのは、いかがなものか。道路の安全確保上よろしくない。 ▶歩道側にカラーコーンを立てるなどして、一目で「イベント会場ですよ」と分かるような工夫をしてほしい。 ▶計画されているように、交通誘導員は少なくとも2名配置してほしい。 8月中旬には、参加者のお返事も出揃いました。 その後、除幕式の準備は急ピッチで進められました。 2022年9月11日石岡高所安全研究所記念碑・石岡繁雄事績碑除幕式の要領(案) 設置場所と除幕式会場:村瀬病院「新ガレージ」 ① 式典①「挨拶の部」の会場:手前フェンス右端の駐車場の自動扉奥の車庫の前のスペース(9月11日9時45分頃扉は開放)。 ② 式典②「除幕式の部」:式次第「来賓祝辞」終了後、会場をフェンス手前の歩道(一部は車道・残りは神高側歩道)に移し、実施。 ③ 記念碑・事績碑の設置:9月1日までに自動扉の左側フェンスの2・3支柱間、フェンスとレンガの間(左事績碑・右記念碑)に設置。 ④ 9月11日9時同上フェンスに石岡家家紋入り幕を設置する(幕のロープをフェンス上端フレームに200mm結束バンドで止める(相田・立岡・隆平・水野)。 準備:8月20日幕干(水野・あづみ)し、21日仮設してみる(水野・あづみ・隆平・はつこ)。 ⑤ 続いて同上フェンスの1・2支柱間にはべニア板(1750x750位)に描かれた「除幕式会場」タテカン(除幕式「立看板」イメージ(2)の除幕式を「岡」まで上げる、全体に余白をつける)と、式次第「1.開会の辞 2. 主催者挨拶 3.来賓紹介4.来賓祝辞 5.除幕式 6.謝辞 7.閉会の辞」を掲示する。(発泡スチロール板450x300x5mmまたはA1パネル(=841x592)にポスターカラー(雨天はビニールで覆う)で手書きすることになった。詳細は作成者(隆平)に一任。フェンスには11日9時、取付(取付者は幕と同じ)、タテカン・式次第パネル共にフェンスの上端フレームに紐で縛る。 9月11日駐車プラン(計15台、出席者確定後見直し予定); ① 研究所と神高間の道路は駐車禁止ではないので、来賓(市長代理・三重県山岳スポ-ツクライミング連盟会長・鈴鹿高専校長)の車と福島車・小川車計5台は神高側歩道に停めてもらう。鈴鹿市車用に会場に一番近い神高側駐車スペ-スを空けておき誘導のこと。 ② 石岡家車庫前(3台):樋口・鍛生・藤田各車 ③ 大門の前(1台):森車 ④ 門内の庭(6台): 前田・相田・立岡・森川・水野・あづみ 各車(6台が困難な場合は、前田車も神高側歩道に停めてもらう)。 9月11日参列者を会場に誘導: ① 9時半頃から母屋接客係(あけみ)は大門に待機し、岩稜会・親族(9~10人)の駐車場案内と、消毒・ ペットボトルとパンフレットを手渡し、内庭を通り玄関から入ってもらう(鍛生がサポート)。9時50分になったら母屋から会場に移動するように声がけ・誘導する(会場では相田・水野サポート)。 ① 9時45分頃から屋外接客係(あづみ・はつこ)は、序幕式会場の歩道に待機し、来賓(市長代理(文化スポーツ部長北川肇氏)・加藤正之三重県山岳スポ-ツクライミング連盟会長・北村武神戸高校校長・赤嶺和彦氏の4名は出席決定済み(鈴鹿高専校長の出欠連絡は未)4~5名)と福島礼子氏の駐車場(3~4台)の案内と、消毒・ ペットボトルとパンフレットを手渡し、「挨拶の部」の会場に入ってもらい、正面(車庫側)に並んでもらう。(ペットボトルは臨時参加の近隣の人にも手渡す)。 式典の流れと司会進行係発言要旨;各次第の発声をどうするか要検討(次第を読み上げるか、言葉の中に入れ込むか) ① 10時:開会の辞〔司会:「私は本日の司会進行を務めます石岡繁雄の志を伝える会の水野高司です。ご参列の皆さまは、熱中症防止のためいつでもペットボトルをお飲みください。それでは前会長の相田武男さん、お願いします。相田:只今より「石岡高所安全研究所記念碑並びに石岡繁雄の事績碑除幕式」を開催いたします。など」。 ② 10時2分:主催者挨拶〔司会者:石岡繁雄の志を伝える会代表 石岡あづみさんお願いします。あづみ:あいさつ〕。 ③ 10時5分:ご来賓紹介〔司会者:本日ご参列いただきましたご来賓のお名前をご紹介申し上げます。その場で軽くご会釈をお願いします。鈴鹿市長様代理鈴鹿市文化スポーツ部長北川肇様、三重県山岳・スポ-ツクライミング連盟会長加藤正之様・神戸高校校長北村武様…〕。 ④ 10時7分:ご来賓代表祝辞〔司会者:鈴鹿市長様代理鈴鹿市文化スポーツ部長北川肇様宜しくお願いします。北川様:ご挨拶〕。 ⑤ 10時10分~15分:会場移動〔司会者が自ら先頭に立ち、来賓と主催者(8~9名)を先に外の歩道への移動を誘導。その後参列者が多い場合は、会員と一部の参列者は交通係の誘導の基に車道を横断し、神高側の歩道にも並んでいただく〕。 ⑥ 10時15分~20分:除幕式〔司会者:村瀬病院事務局長内海伴教様、石岡あづみさん、宜しくお願いします。二人(各々白手袋)で2つの碑に掛けられた1枚の白いシーツ引き降ろして除幕、司会者拍手で参列者同調)。次に、司会者が、先ず碑の前の参列者に「3蜜と交通渋滞を避けるため、碑文は立ち止まってお読みにならずに、お渡しした碑文のコピーをご帰宅後ゆっくりお読みください。ご覧いただきましたらもう一度駐車場の方にお集まりください」と案内する〕。 ⑦ 10時25分~28分:謝辞〔司会者:会の統括である相田武男さん、お願いします。相田:あいさつ〕。 ⑧ 10時28分~30分:閉会の辞〔司会者:相田さん、お願いします。相田「以上を持ちまして本日の式典は滞りなく終了いたしました。本日は誠にありがとうございました」〕。 ⑨ 10時30分~35分:来賓・招待者に記念品(熨斗=御礼、会員には事前配布)を配る。解散。 会員の役割;下記を会員別タイムテーブルに ① 司会進行係(式の各「次第」を発声して発言者を紹介し、式典全体をリード):8月21日の打合せで、はつこに依頼(その後水野に変更) ② 準備作業と「開会・弊会の辞」:相田(その後開会の辞はあづみに変更) ③ 交通係(誘導灯・着帽による車道の車両交互通行誘導・歩行者の誘導・車道横断者の誘導):森川、前田 ④ 準備作業と写真係:立岡(ビデオも依頼)・隆平 ⑤ 石岡家車庫と大門前の駐車場の案内と母屋接客係(母屋から式場への案内、招待者へのペットボトル・パンフレット・記念品の手渡し):あけみ(鍛生サポート) ⑥ 屋外接客(屋外駐車場の案内と式場への案内、来賓者へのペットボトル・パンフレット・記念品の手渡し):あづみ・はつこ(ペットボトルは臨時参加の近隣の人にも手渡す) ⑦ 代表としての挨拶と除幕:あづみ ⑧ 準備作業と司会と屋外案内:水野 11日9時45分~10時30分の車道通行規制と歩行者・横断者の誘導方法; ① 懸案の研究所側車道の交通規制:三角コーン(基部カラー付)10本の借用を隆平が神戸小学校校長に依頼済み(9日16時以降借用し、12日8時半以降に返却予定)。11日朝9時半までに小川が現場に降ろす。(前田も友達からコ-ンの貸出を受ける) ② 交通係は9時45分~10時30分車道に設置し、2人はその両端で誘導灯を使い交通規制と歩行者誘導を開始(誘導灯・帽子2組は調達済み) ③ 道路使用許可願は8月12日小川より鈴鹿警察署に提出し、17日に警察署より許可書を受領済み ④ 10時30分式終了後、コーンを直ちに撤収し小川車に乗せ、乗り合わせの上昼食会場「魚長」に移動 ⑤ 昼食は11時半~13時、〇〇名出席予定(現地解散)。13時半に石岡宅に帰着し、懇親会参加者5名は14時に出発。 除幕式の服装について; ① 準備作業中は会のTシャツ。式典はTシャツの上に上着着用 ② 交通整理係は、雨天合羽を用意要す ③ 出席者は名札を付けることにする(作製は立岡担当) ④ 来賓6名には「赤いリボン」、内海氏とあづみは「白いリボン」を付ける |
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8月28日 最終打合せ 参加者:水野さん・前田さん・小川夫妻・あづみ |
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到着された前田さんと私 |
隆平さん作成の「式次第」を飾って |
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式次第 隆平さんは昔、看板屋さんでアルバイトをされていたとのことで、その出来栄えの見事なこと! |
除幕式用の幕 除幕時の目印として リボンの花を付ける位置を確認します |
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「こんな感じかなぁ」とはつこさん |
おやつタイム |
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現地にて |
幕を掛ける位置決め |
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コ-ン位置を決める |
駐車位置を決める |
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<決定事項> =駐車位置図= <除幕式で配るパンフレット>小川夫妻作 |
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やっと準備が整いました!! 9月11日 除幕式当日にご案内いたします 上の写真をクリックしてください 次のペ-ジにご案内いたします |