−石岡高所安全研究所実験用鉄塔−
        
別れの時

2008年3月3日(月)

 父が心血をそそいだ実験用鉄塔の
解体撤去が行われました。

それまでの軌跡をたどってみました。
ご覧下さい。




鈴鹿市の自宅に隣接する
石岡高所安全研究所と実験用鉄塔
(2007.12.25撮影)



<作業の過程>
(写真は水野さんが撮ってくださいました)


整理前の研究所の2階事務所

父はこの部屋で晩年まで研究に打ち込んでいた。
机の上も亡くなった時のままに…
父の一周忌も済み、気になりながら手を付けなかった研究所や母屋など、あちこちに残された膨大な量の父の研究成果や資料の整理に、やっと重い腰を上げたのは昨年11月末のことでした。その作業は力仕事を含め、父の生まれてから88年の歴史を振り返る作業でもあり、私一人の力では成すすべがありませんでした。
そこで、長年父の仕事を手伝ってくださった岩稜会の藤田さんと、父が教鞭をとった豊田高専山岳部の創設者の一人水野さんが手伝ってくださることになりました。

大型電動ウインチ
その整理作業の中で、研究所一階の大モ−タ−付きロ−プ巻き上げ機(電動ウインチ)をどのように撤去するかについて思案していましたが、水野さんの義兄様が鉄工関係のお仕事をなさっていらっしゃるとのことで、買取または撤去が出来るかどうか聞いてくださり、その際実験塔の撤去をすると、どれ位の費用が掛かるか一様見積もりをお願いしてくださいました。
父も生前研究塔の老朽化に心を痛めていましたが、ここのところその頃よりもさらに傷みが激しいようでした。しかし、塔に通じる研究所2階の扉が腐食で動かなくなり確かめることが出来ないでいました。整理作業が始まり藤田さん、水野さんとバ−ルでこじ開けてみました。全体にペンキがはげて鉄の腐食が始まって居る事が判りましたが、塔の上には上がりませんでした。
見積もりに来てくださることが決まり、塔の存続をどうするか!についてクロ−ズアップされました。
1月12日、久しぶりに川角さん(父の本の出版社社長)が来鈴され、藤田さん、水野さんも含めて塔への扉を再度開けて上へ登ってみました。手すりの細い鉄材が所々腐食で切れていて、手すりにつかまる事は出来ませんでした。また底の鉄板も腐食が進んでいて穴の開きかけている箇所がありました。
存続させるためにどうしたらよいか。については、父が亡くなりましてから、藤田さん、中澤さん(岩稜会)にもご相談し、鈴鹿高専・神戸高校・鈴鹿消防署などに使ってもらえないか。と言う案も出ましたが、無理があると判りました。
また日本山岳会東海支部の尾上さんにもご相談しましたが、研究所の保存に協力することは難しい。とのことでした。
飯田製作所の小林さんにもあたってみましたが、場所が遠すぎるので…とのことでした。
藤田さんは「維持・管理のできる組織の立ち上げを出来ると良いのですが、僕の力が足りず申し訳ありません」と残念そうにおっしゃいます。
今のままの形で塔を利用して何とかならないかと思い、広告塔や壁を作っての利用についても考えてみました。それについては水野さんが塔設計士の倉橋さん(豊田高専山岳部OB)に聞いてくださいました。下記がその回答です。
 
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1.鉄塔を広告塔として使用する件;
 1)建築法上は問題無し:研究所・鉄塔は建築物として認可されており、広告塔は工作物であり、建築物から工作物の転用は問題無し、但し逆は問題有り
 2)強度上の問題有り:風圧の掛からないルーバータイプのネオン式はOKと思われるが、看板等の風圧の掛かるものは無理と思われる
 
2.ガラス張りテラスとして使用する件;
 1)消防法上問題有り:不特定多数の人が利用する場合、消防法上の避難通路が必要となり、原稿構造では無理と思われる
 2)強度上問題有り:広告塔と同様に、ガラス張りにした場合は風圧が掛かるので問題が発生する
 
3.研究所の今後に対する倉橋さんの私見;
 1)既設研究は無人では管理できないので、資料等は建築的にも価値のある母屋内に資料室を作り残したらどうか
 2)研究棟は有効活用ができれば残せるが、鉄塔は維持費が掛かるので撤去もやもう得ないと思う
 3)20万円以下で鉄塔が撤去できるのであれば、この機会を活かして実施した方がいいと思う
 4)棟撤去後の研究棟の壁の雨仕舞いが必要なので、今度水野が研究所訪問時に自分も大工を同行し、現場で打ち合わせをしたい
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塔のペンキ塗り直し費用は、一年前に父母の部屋を私の部屋に改造するときに来てくださったペンキ屋さんに、塔のペンキ塗り直しの見積もりをお願いしたところ150万程は掛かる。とのことでした。今は腐食が進んでいるので、その補修作業もあるのでそれ以上の金額になると思います。私に支払いの能力があれば良いのですが、全く利用もせずただの記念碑として保存することは一個人として、将来のことも考えると残念ながら無理です。
1月13日に水野さんの義兄様が来てくださり、16日には撤去業者の方3人を水野さんが連れて来てくださいました。そして見積書が17日に届きました。鉄骨タワ−撤去と巻き上げ機、研究所から元水谷さん(豊田高専山岳部OBで父の研究の手伝いのため住み込みで働いていただいていた方)が住んでいらっしゃった部屋へ続く橋の撤去も含めて、消費税込み194250円でした。破格の安さにびっくり!理由は「今、鉄などの鋼材が高値をよんでいることと、今なら比較的暇があるので、2週間以内にお返事をいただければ、この価格でやります」とのことでした。
水野さんのお力でいただいた良いお話で、撤去するならこの機会でなければ…と強く感じました。ただ、父が「是非遺して欲しい」といつも言っていたので、心苦しく「撤去するにしても父の3回忌の後にしたい」と思いました。
塔の撤去について、まず姉の意見を聞きました。「老朽化した塔を残すことはとても危険なので、3回忌を待つなどと言わずに、業者さんの都合の良い時にやってもらった方が良い。父の記念碑は『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』で完結したと私は思っている。」と言うことで、ホッとしました。
25日から27日までは、相田さん(『…ナイロンザイル事件の真実』の共著者)の倉渕のお宅へ水野さん、立岡さん(鈴鹿高専OB)とお邪魔しました。
25日行きの車中に、暮れの朝日新聞に父の記事を書いてくださった名古屋論説委員の伊藤記者からお電話が有り「塔撤去の話をお聞きしました。是非遺したいと思うので、記事を書かせていただけませんか」とのことでした。私は「相田さん宅で話し合いの結果お電話します」とお答えして、その夜、塔撤去についての話し合いをしました。相田さんのご意見と伊藤記者のご意見については相田さんがメ−ルにしてくださったので、以下転記します。
 
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あづみさん自身も心情的には先生の言った「塔の保存」をしたいのだということは分かりましたが、それを今後、長期にわたって継続することの困難〈不可能〉があることも言っていましたので、その意を受けて小生は説明した次第です。
 
 あづみさん方には小生のシビアな意見を言わせてもらいましたが、塔の保存、メンテナンスは、十分に、将来的に継続することは考えられないし、塔を保存しても数年でまた補修が必要になることは明白。
 その上、、塔が原因、あるいは明らかに誘因となって不幸なアクシデント、事態を引き起こした場合、ナイロンザイル事件で人間を守るための安全性、人命の大切さ、科学の正義を訴えた先生の事蹟が傷つくことになりはしないか、と危惧しています。
 
 以上の点から塔は撤去すべきだろうと、考えます。世に塔の存在意義を伝える手段を考えています。写真を印画紙ではなくて、アルミ板に「腐蝕印刷」し石岡家に保存すると同時に、切断したザイルなど五朗さんの遺品が展示してある大町の山岳博物館に一枚を寄贈、展示してもらうという案です。
 
 塔の意義については、すでに皆さんも十分に分かっていますが、その目的はザイルの安全基準制定によって果たされた、と思います。また、石岡鉄塔から通産省のザイル研究施設が新たにつくられるなど、先生と石岡鉄塔が果たした役割を関係者が忘れることはないでしょうし、忘れてはならないことですので、塔に関しての説明文を短く添える、ということが考えられます。
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 倉渕から帰り、藤田さんとご相談の上、中澤さん、澤田さん(五朗叔父さんが遭難した時のザイルパ−トナ−)、石原さん(同じくザイルパ−トナ−で、『氷壁』の魚津のモデル)〈いずれも岩稜会の方〉にご意見を伺いました。中澤さん、澤田さんは「やもうえないことだと思います」とのことでした。石原さんはやはり想いが強く「何とか遺す方法はないですか?」とおっしゃってみえましたが、私が諸事情を詳しくお話しましたら、納得してくださり「資料については是非きちんとまとめて保護保管していただきたいと思います」とおっしゃってみえました。
 
川角さんは当初、塔撤去には大反対で「記念碑としてでも遺すべき」とおっしゃっていましたが、下記のようなメ−ルをくださいました。
 
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メール拝見しました。実験塔取り壊しはやむを得ないですね。伊藤記者に粘られましたが、あづみさんの意思が第一です、と電話で話しました。
ただし、やはりちゃんとビデオに収めておく必要があると思います。これまでに実験時のビデオ等はのこっているのでしょうか。実験塔が生きていた時の姿を、人脈のあるうちに藤田さんからも関係者の皆さんに聞いていただけたらと思います。石岡家にはありますか。あればデジタル化(DVD)します。あるいはデジタル化するための機器をあづみさんにお送りします。
それから、写真撮影は市役所屋上よりも隣の本田さん宅か、本当はもう少し離れた方がいいですが、高所研の塔は背景に鈴鹿の山並みが入ってほしいですね。そんな撮影ポイントはありますか。あれば鈴鹿山系がよく見える日(できたら雪のある山)の午前10時前に撮影するのがいいと思います。あづみさんのデジタルビデオなら十分に引き付けられますから、撮影ポイントを探してみてはいかがですか。

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そのような訳で、涙を呑んで塔の撤去を決定しました。
塔撤去(3月3日)の前に塔とのお別れ会をすることになりました。

事務室にあった冷蔵庫を
実験用のウインチを使って一階へ降ろす

整理の終った事務所

研究所2階事務室の隣(整理前)
実験施設とショックアブソ−バ−などの
考案品の数々

介護用階段昇降装置

階段用昇降装置の取り外し作業中

実験に使用したロ−プの山

錆錆になったショックアブソ−バ−など

介護入浴用ナ−スリフトを外す

整理前の1階工作室

ロ−プ実験用に使用した砂袋

物置にしまわれていた完成、未完成の物

廃棄品の仕分け

廃棄品

廃棄品を処分に…

整理されたロ−プ

母屋2階にあった資料の整理
(1月から参加してくださった豊田高専山岳部創設メンバ−の菅沼さん。おかげで作業がはかどります)

母屋2階で写真整理中の藤田さん

元水谷さんの部屋で晩年の父は
最期まで、ナイロンザイル事件の本を
作るために、ここで仕事をしていた。
その部屋の整理

整理後の研究所2階事務室隣の部屋

お別れ会のペ−ジへ移動します。下の写真をクリックしてお入りください。



在りし日の実験鉄塔最上部より鈴鹿の峰々を望む