2018年6月~篠田軍治氏の名誉会員取消しの日まで 「公益社団法人日本山岳会に対して、篠田軍治氏の名誉会員取消しを求める」 活動について |
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今年も残すところあとわずかとなり、クリスマスツリ-の揺れる街角に サンタクロ-スを待ちわびる子どもたちが跳ねています。 2018年ももうすぐ終わって、新しい年がやって来ます。 来年6月には平成時代から新しい日本の年号に代わりますね。 天皇陛下が崩御されることなく始まる新しい年号です。 この平成時代の最後に、表題の問題を是非とも解決したいと 「石岡繁雄の志を伝える会」は動き始めました。 以下に事の順を追って、ご説明させていただきます。 |
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今年も恒例のケルン墓参に出かけました。その時の様子は「一周忌後のケルン墓参」の頁に掲載しましたが、6月2日に西糸屋山荘で、偶然國ちゃんの友人の芳賀孝郎さまとお会いしました。その時、会員の相田武男さんが、日本山岳会にとって唯一の汚点と言える「篠田軍治氏の名誉会員問題」のことが記された日本山岳会会報『山』550号についてお話され、お時間の無かった芳賀さまに詳しい内容を書いて送られることになりました。 (写真は西糸屋山荘で話される右より、芳賀孝郎さま・ 相田武男さん・國ちゃんこと石原國利さん) |
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上高地から帰って、相田さんは直ぐに執筆にかかられ、第一稿が送られて来たのは7月23日のことでした。 私は、この際國ちゃんと父の悲願であった名誉会員問題を何とか解決したいと思い、伝える会統括の水野さんともご相談の上、相田さんのお原稿を短く読み易くまとめた物を、小川ご夫妻の協力も得て作り、それに名誉会員問題をまとめた趣意書を作成して冊子としました。この冊子は、國ちゃんと、日本山岳会元会長で自ら「ナイロンザイル事件の語り部」を称される尾上昇さんに見ていただき、校閲を受けて冊子の印刷が出来て来たのは9月6日のことでした。 以下に、その冊子を掲載いたします。是非!お読みください。 |
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公益社団法人日本山岳会に対し 「篠田軍治氏の日本山岳会名誉会員取消し」を求める趣意書 2018年8月 石岡繁雄の志を伝える会 「石岡繁雄の志を伝える会」は、故石岡繁雄(1918ー2006年)の生誕100年を迎えた今年、石岡の悲願であった篠田軍治氏(元日本山岳会関西支部長)の日本山岳会名誉会員取消しを求める運動を開始することにいたしました。 1955年4月、東京製綱蒲郡工場においてナイロンザイルの岩角欠陥に関する公開実験が行われました。大阪大学工学部教授だった篠田氏は、その際に使用された岩角にあらかじめ細工をし、本当なら切れるはずのナイロンザイルが鋭い岩角でも強いように見せかけたのです。そのために、多くの登山関係・報道関係者に誤解を与えることになりました。 (1)ナイロンザイル切断事故とナイロンザイル事件の経過
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日本山岳会と『氷壁』・ナイロンザイル事件 ――日本山岳会報『山』増刊号(No.550)を問う―― 相田 武男 1 ナイロンザイル事件と日本山岳会 『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』を石岡氏と共著で2007(平成19)年1月に出版した筆者は、井上靖氏の『氷壁』の朝日新聞連載60年目の2016(平成28)年、あらためて『氷壁』と『山』増刊号(No.550)1991(平成3)年3月21日発行の「〔特集〕故篠田氏に対する名誉会員取消請求問題について」=以下『山550号』と略称=を読み直した。 2 名誉会員問題と『山550号』 ところが、13年後の1989(平成元)年、篠田氏を日本山岳会が名誉会員とした。このため、篠田氏がナイロンザイル事件で演じた役割を知る会員らから批判する声が高まった。
上記の文章を以下、ⅰ)から ⅳ)に分けて順次、日本山岳会の勘違い、誤りを指摘する。 名誉会員問題は個人の問題ではない。なぜなら、日本山岳会は社団法人であり、定款第3条で「山岳に関する研究並びに知識の普及及び健全な登山指導、奨励をなし、あわせて会員相互の連絡懇親をはかるとともに、登山を通じてあまねく体育、文化及び自然愛護の精神の高揚をはかることを目的」としている。 かたよった見解とは、どのような見解であるのか。岩稜会、石岡繁雄氏らのナイロンザイル事件に対する20年間に及ぶ苦しい取り組みは、ザイルに消費生活用製品安全法で安全基準が設けられたことにより結実している。岩稜会の活動は製造物責任法(PL法)の礎になったのだ。
この文章について石岡氏は「お詫び」と理解して日本山岳会に妥協した。 ⅲ)「できるだけ公平に客観的にとりまとめたつもりですが、……(略)……。この問題は、既に新聞、映画、小説にもとりあげられた問題ですが、かえってそれによる先入観もあるかと思いますので、この際原典資料を、あらためてお読み戴き、この問題の本質を理解して戴ければと思います」 ⅰ)、ⅱ)で説明したことと同様に出来るだけ公平に客観的に取りまとめる、という視点から離れていることは添付された参考資料の面からも明らかだ。また何をもって「原典資料」としているかも不明である。 ①は篠田教授が書いた「山の装備」の登攀用具の中のナイロンザイルに関する部分。この記述は鋭角に見せて、丸みがつけられた岩角を使ってナイロンザイルの岩角での弱さを隠したデータを基に書かれた。しかし、その事実は読者に判るようには明記されていない。 ②上記同様。 ③は「山の装備」(堀田弘司)の末尾に掲載された『山日記』編集委員会による遺憾の意の表名(筆者注=表明の誤り)文であり、詳細は ⅱ)で述べた。 ④は1959(昭和34)年『ザイル 強さと正しい使い方』(梶原信男著 篠田軍治氏監修) ③を除く①と②は、篠田教授の文章、④は篠田教授の監修であり、ナイロンザイル事件の一方の当事者である岩稜会が出した資料『ナイロンザイル事件報告書』(1977(昭和52)年7月、岩稜会刊)は参考資料から排除されている。 これらのことから、明らかなことは被害を受けた岩稜会側の資料はないままに、篠田氏側の説明を主に採用する、という一方的な引用である。 (2)『山550号』の本文は、以下の8項目からなっている。 〔1〕名誉会員推薦問題についての経過 〔2〕ナイロンザイル事件についての経過 〔3〕石岡・石原両氏からの要望書(第1回) 〔4〕日本山岳会からの回答文 〔5〕取り消し要望書の概要と本会のコメント 〔6〕『山日記』問題の客観的理解のために 〔7〕平成2年日本山岳会総会ならびに支部長会議における山田会長説明要旨 〔8〕おわりに(資料をまとめ終えての所感) 〔2〕を除くと〔1〕から〔7〕は名誉会員決定についての岩稜会側と日本山岳会に交わされた、いわば “交渉記録” である。これらを読んでも篠田氏がナイロンザイル事件で担った「明かされるべき」役割は具体的、明確に見えてこない。
検討委員会の約3か月後、切断した8ミリザイルのメーカー東京製綱蒲郡工場(愛知県蒲郡市)で行われた公開実験の目的は、上記篠田支部長の発言と関連がある、と誰もが考えるのは至極もっともだ。 ⅳ)「今後、関連する投稿があっても、よほどのことがない限り、公表をさけたいと思います」 最後の(ⅳ)は、『山550号』には明らかに独善的な資料の取捨、判断に加えて、フィクションである『氷壁』の引用、それも『氷壁』には登場していない肩書の人物の言葉によって、日本山岳会の名誉会員決定を以下の項「3『山550号』の論理矛盾と責任転嫁」に示すように肯定している。 3 『山550号』の論理矛盾と責任転嫁 『山550号』は「〔8〕おわりに(資料をまとめ終えての所感)」で、以下のように書いている。
傍線部分で『山550号』編集担当者の認識の意図がよくわかる。まず ●「篠田氏…ロープの性能についての実験と考えた」――だ。 この「篠田氏…ロープの性能についての実験と考えた」の表現と実験内容は、公開実験の結果を伝えた新聞記事(1955.5.1付中日新聞記事「初のナイロンザイル衝撃試験 強度は麻の数倍」)と、この公開実験の隠されていた内容が後に判明した真実を伝える新聞(1958.4.3付中日新聞記事「「麻の20分の1の強度 放出のザイルに要注意」)、そして岩稜会の実験データ(前記『ナイロンザイル事件報告書』)を客観的視点で点検すれば、同実験は日本山岳会関西支部長として登山者の安全を守るという意識から大きく離れ、登山者の安全を無視し、ザイルメーカーの立場に立つものだった。 ●公開実験の結果を新聞報道が「麻の数倍強い」と書いたのは誤解ではない。公開実験に使われた45度、90度の岩角には、それぞれ2ミリ、1ミリの削り(アール)が付けられていた。その事を伏せた実験結果だったので、マスコミは “鋭い岩角” (実態は丸められ鋭くない曲面に相当する)のデータを記事にしたのだ。ナイロンザイル事件は、公開実験の岩角にアールをつけておこなったことから始まったのだ。
と書いている。とんでもない話だ。これは、篠田支部長が負うべき責任を当事者(岩稜会)、マスコミに転化したものだ。 ●最後に、『山550号』がフィクションである『氷壁』の引用でもミスを犯している件を指摘したい。 前述したが、『山550号』は「はじめに」で、
と、述べている。だが、それに反して「〔8〕おわりに」では、フィクションである『氷壁』の一文をとりあげて名誉会員決定の正当性の根拠にしている。論理矛盾も甚だしい。次のように書いているので、読んでいただきたい。
ここには、看過できない問題が3点ある。上記引用文中の○数字とあわせて考えていただきたい。 ①〈八代教授・教授〉……『氷壁』には肩書が「教授」なる人物は一切登場していない。 ②〈ザイルの性能の実験〉……これは、フィクション中の人物の発言である。 ③ 上記の井上氏の洞察が最も妥当な客観的評価ではなかろうか〉……フィクションの人物の言葉を、井上氏の洞察としている。 ①~③で明白なことは、『氷壁』中(2017年刊、新潮文庫109刷の40頁)の東邦化工専務(八代教之助)の言葉を現実のナイロンザイル事件の公開実験の指揮を執った篠田教授と混同していることだ。つまり、ナイロンザイル事件を理解していないばかりか、『氷壁』をしっかり読んでいない、ということだ。
作家のナイロンザイル事件への思いが『山550号』の考察とは全く違うところにあるのがはっきりする。 4 日本山岳会のあるべき姿――社会とかけ離れていないか―― 国内の企業では、税金で不正な補償金を得た一流の食肉加工会社の名誉会長が、その名誉を取り消されたり、東京の医大病院で患者の命を医術ミスから失わせた事を研究室ぐるみで隠ぺいした事が判明して、指導した名誉教授がその地位を取り消された例など、多々ある。
日本山岳会には、楠目氏のような会員がおられる。この様な会員を裏切らずに現状から一歩踏み出すことが、21世紀に公益社団法人となった日本山岳会の再出発の姿であると思う。過去の誤りの事実を会員の意見を反映して認め、正しい道を社会に示していただきたい。それは困難な行動ではあるでしょうが、一歩後退二歩前進である。 (2018年7月記) 編集協力:「石岡繁雄の志を伝える会」 |
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冊子が出来上がり、まずは芳賀さまと尾上さまに、出来立ての冊子を相田さんが送られました。 その後、9月9日からの九州行きで、九州登山情報センタ-と東九州支部有志で行われた懇談会で、会に参加してくださった方々に、冊子を配布いたしました。 この九州の旅の様子は、以下のアドレスでご覧いただけます。http://www.geocities.jp/shigeoishioka/new78.html |
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9月18日、父が創設しました日本山岳会東海支部に、冊子を300冊お送りして、会員の皆さまに配布してくださるよう、お願いいたしました。 |
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10月3日 18:00-23:00、尾上昇元日本山岳会会長にお会いして、篠田軍治氏の名誉会員問題を解決するために御尽力いただけるようお願いしましたが、「元会長と言う立場上、全てに対してノ-コメントでお願いします」とのことでした。ただ、「日本山岳会内部の問題なので、日本山岳会と東海支部の会員になることをお薦めします」と貴重なご意見をいただきました。 (写真は、尾上さんと私) |
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早速、水野さんと私は、日本山岳会会員になるために、入会申込書を作成しました。正会員となるためには、2名の紹介者が必要で、その内1名は、元日本山岳会会長又は副会長経験者か、各支部の支部長がなる必要があるとのことで、尾上さんと、國ちゃんにお願いすることにしました。 10月13日、尾上さんから入会申込書に署名捺印してくださった用紙が届きました。その用紙を直ぐに國ちゃんにお送りしました。 10月18日、國ちゃんから入会申込書が届き、その申込書を日本山岳会宛に送りました。 |
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10月25日 18:30-21:30、日本山岳会東海支部長の高橋令司さまにお会いするために、高橋さまがお住いの岐阜駅に出向きました。 日本山岳会と東海支部に入会するために会員入会申込書を出したことをお伝えし、名誉会員問題を解決するためにご協力をお願いしました。 高橋さまは、「入会されるのは良いが、ナイロンザイル事件のことや、名誉会員問題の話を一切会員にされては困ります」とのことで、高橋さまとしてのご意見は、ノ-コメントとのことでした。お送りした冊子も、会員には配布できないと言う事でしたので、「送料受取人持ちでお返しください」とお願いしましたが、未だにお送りいただいておりません。 そんな訳で、水野さんと私は、意気消沈して帰って参りました。 (写真は、高橋支部長と私) |
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11月10日、「鈴鹿文学祭」において、会場にお越しくださった方々約90名に、冊子を配布いたしました。 その時の様子は、以下のアドレスでご覧いただけます。 http://www.geocities.jp/shigeoishioka/new79.html |
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11月14日、「鈴鹿文学祭」で発行していただいた同人誌『P.』の石岡繁雄特集号と、冊子を、父の知人など55ヵ所に送付しました。 |
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11月24日、高橋支部長よりメ-ルをいただきました。「昨日本部より連絡があり、水野・石岡の入会を断る方向になりました。取り下げることをお考えになってはいかがか」と言う内容でした。 とてもショックでした。 |
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12月16日、相田さんが國ちゃんに会いに福岡まで行かれました。名誉会員問題の今後をご相談するためです。 帰られてからご報告がありご相談の結果、日本山岳会会長様と各支部長さま宛に、冊子を送付し、今後は広く一般の方々にもこの問題を訴えていくことになりました。 また、1月17日~20日で北海道に行って、井上靖記念館見学と、芳賀さまにお目にかかってお話をお聞きすることにもなり、早急に航空券の手配などいたしました。 |
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12月20日、冊子と送状を、日本山岳会会長様と、住所が調べられた17支部の支部長様宛に送付しました。支部数は33支部あり、東海支部と東九州支部には、お渡し済みですので、残り14支部となりました。住所が判らなかった14支部には、メ-ルでお教えいただけるようお願いしました。今日までにお返事をいただて住所がわかった6支部に送付しましたので、あと8支部に送付すれば完了となります。 |
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2019年 |
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1月 新しい年となり、名誉会員問題の冊子の送付などで、多忙な日々を過ごしました。 1月17日~20日まで、この問題の件で極寒の北海道へ行って参りました。 その疲れからかインフルエンザを患ってしまい、10日間ほど臥せっていましたので、その間の名誉会員問題の活動については、水野さんにお願いしておりました。 旅の模様は-極寒の北海道への旅-の頁に掲載しております 右のアイコンをクリックしてご覧くださいませ |
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1月18日、16:10~21:30 日本山岳会の長老・ご意見番であり「伝える会」の活動にご理解のある芳賀孝郎さまを表敬訪問し、日本山岳会に対する篠田軍治氏の名誉会員取消しを求める活動を前進させる方法について、ご指導ご支援を仰ぎ、夕食を共にしてより交歓を深めることを目的として、相田さん・水野さんと共に北海道札幌市にお住いの芳賀さま宅をご訪問しました。 まずは、芳賀さまについて、ウェッブサイト「ミニ大通りレタ-ズ」より引用して、以下に記します。 1934(昭和9)年札幌生まれ。生まれ育った場所は、かつて1992年まで北5条西19丁目にて旧5号線に面して営業していた「芳賀スキー製作所」。物心つく前からスキーに熱中し、桑園国民学校、向陵中学、札幌西高校へ。学習院大学に進学して山岳部へ。以後、山とスキーの人生を歩む(元日本山岳会副会長)。1958年京都大学学士山岳会チョゴリザ登山隊に参加。1970年から1991年まで、父の跡をついでハガスキー社長。2007年まで(株)エイジス(本社千葉市)取締役副社長。2011年夏、千葉県幕張ベイタウンから20年ぶりに帰札。現在宮の森に暮らす。 芳賀さまについては、日本山岳会の晩餐会などの時に、皇太子殿下のお世話役としても活躍されていることを明記しておきます。 ご挨拶の後、芳賀さまとはじめてお会いした西糸屋山荘でのことなど、思い出話からスタ-トして、芳賀さまもご存知の屏風岩登攀に貢献した伊藤洋平氏や、ナイロンザイル事件に関心が強く名大にも席があり、父とも親しかった木下是雄氏のエピソードなどが話題になりました。 そしていよいよ本題に入り、篠田氏の名誉会員問題についての話合いをいたしました。質疑応答などが行われ、貴重なお話をお聞きすることができました。 その他、芳賀さまからの興味あるお話は以下です。 ◎札幌オリンピック以降1974年から、朝日新聞が進めていたトリム運動の内、クロスカントリ-に目を付けて、歩くスキ-の障碍者スキ-を朝日新聞主催で始めた。道民、市民歩くスキー大会は今年44回目となる。 ◎なぜ日本山岳会で皇太子のお世話役になったかについて、加藤泰安氏(井上靖氏の小説「あしたくる人」のモデルとなられた方)に可愛がられていたからとのご回答。 ◎加藤泰安氏と芳賀氏の関わりについて。 ◆学習院大学山岳部に属していた時に、鹿島槍で4人が消息を絶つ遭難。山岳部OBの加藤氏も捜索に参加して、その後存続の危機に見舞われた山岳部を立て直すため鬼の指導をしてくれた。 ◆加藤氏の祖父は北大教授で有島武雄の友。先祖は四国大洲の殿様であった。洞爺湖畔に100町歩の土地を持ち、別荘にしていた。その土地は農地として開放したが20町歩だけ残した。その土地を、昭和14年に財務担当の加藤家の家老が売った。それを購入したのが芳賀さまの父であり、別荘とした。そのことを加藤氏が知り、以来芳賀さまは小姓のようについて歩くようになった。昭和33年に京都大学山岳部ヒマラヤ山脈カラコルム・チョゴリザ登頂隊を結成(隊長は桑原武雄:フランス文学者)した時に加藤氏は副隊長であった。10人の隊員の内1名を学習院山岳部から入れることになり、芳賀さまを推薦してくれた。 ◆井上靖氏とも友好のあった加藤氏は、銀座のバ-に行く時に、芳賀さまを連れて行き、そこで井上氏と親しくなった。 ◆加藤氏の祖父は皇族との関係があったので、チョゴリザ登山隊員に選考された時、東宮御所に行き、御下賜金を賜わった。1万円入っておりビックリしたが、それは加藤氏に言われてAACK(京都大学学士登山会)登山隊に寄付した。その縁で、日本山岳会で皇太子殿下のお世話役をすることになった。 ◆加藤氏は芳賀夫妻の仲人(注:芳賀夫人は三田幸夫氏令嬢。三田氏は1968年から第11代日本山岳会会長)。 |
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1月20日、芳賀さまご紹介の有識者の方にご意見を聞かせていただきました。 |
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芳賀さまからのアドバイスで、名誉会員問題に関する「伝える会」のこれまでの動きを明確にするために以下の表を作成いたしました。ご覧くださいませ。 尚、今後も動きがありました場合にはこの表に追記していきますので、よろしくお願いいたします。
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1月23日、富山支部鍛冶支部長さまより、冊子の10頁の誤記についてご指摘があり、その部分を訂正するため早急に正誤表を作成しました。その後冊子を送付または手渡しした方々に、正誤表をお送りし謝罪する作業に従事しました。 |
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1月30日、日本山岳会小林会長宛親展で、書留配達証明付き書簡を送付いたしました。内容は、石岡・水野の入会申し込みについての問い合わせと、お送りしました冊子の中の間違い部分訂正のお願いとそのお詫びについてです。 |
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2月9日、小林会長より、入会申し込み拒否を書面にて正式に通知がありました。 (4月20日更新) |
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2月11日、日本山岳会に入れていただけないので、やむ終えず小林会長宛に以下の会見申し込みの私信を送付いたしました。 拝啓 公益社団法人 日本山岳会 会長 小林 政志 様 |
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2月12日、日本山岳会より冊子26冊の返却送付がありました。 |
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3月1日、尾上昇元会長より以下の面談申入れのメ-ルがありました。 ☆☆ 石岡 あづみ 様 ☆☆ ご無沙汰しています。 名誉会員問題につきまして、一度お会いしたく存じます。 近々でしたら3月7日、8日 その後ですと3月28日、29日です。 場所は、小生が設営します。お一人でお越し下さい。 ☆☆ 尾上 昇 ☆☆ 私は直ぐに、「出来るだけ早い方が良いと思いますので、7日でお願いします」とメ-ルの返信を打ちました。 |
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3月7日、尾上氏と面談いたしました。その内容に付きましては、以下をご覧ください。 2019.03.07尾上氏との面談の結果(03.19見直し) ○ 日時:2019年3月7日(水)17時半~20時10分 この面談は私にとりまして、とてもショックな出来事でした。 今まで親しくお付き合いしていただき、ナイロンザイル事件の語り部を自ら自称なさる尾上様から、このようなお話を伺うとは思ってもいませんでしたから… 尾上さまは「今後一切ナイロンザイル事件の話をすることも出来なくなった。あなたとも付き合えなくなった」ともおっしゃいました。 この日から私は神経性の胃腸炎で苦しむことになります。 |
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3月8日~23日、前記の「面談結果」を作成して、伝える会のメンバ-に相談、その上で、石原國利様・芳賀孝郎様・西田先生・森様・太田様のご意見も伺いました。 皆様それぞれのご意見をお聞かせくださいましたが、結局、日本山岳会側が遺憾に思っていらっしゃるのなら、その部分を詫びる手紙を出すことにいたしました。 |
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4月3日、小林会長宛私信で、詫び状を出しました。内容は以下です。 拝啓 篠田氏の名誉会員問題のこの後の活動については、6月1日からと決定しております「ケルン墓参」で、石原國利様をはじめとする伝える会のメンバ-が集まったところで話し合うことになりました。 |
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6月1日 16:00-18:00 西糸屋山荘にて 篠田氏の日本山岳会名誉会員撤回要求問題に付いて、「伝える会」会議 出席者:石原國利氏・森泰造氏(岩稜会)・相田武男氏・水野高司氏・立岡恭一氏・立岡あけみ氏・小川隆平氏・小川はつこ氏・あづみ 昨年6月2日からの活動記録資料を基に、今後の方針を決定するために話し合いました。 全会一致で、今後もこの問題を引き続き日本山岳会に対して要求し続けて行くことを、改めて決議しました。 その方法については、まず日本山岳会の新会長が6月22日の日本山岳会内の会議で決定した後、7月中頃を目途に、再度篠田氏の名誉会員撤回を求める書状を新会長宛に発送することになりました。 (6月25日更新) |